萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 五月の死びと
五月の死びと
この生(いき)づくりにされたからだは
きれいに しめやかに なまめかしくも彩色されてる
その胸も その脣(くち)も その顏も その腕も
ああ みなどこもしつとりと膏油や刷毛で塗られてゐる。
やさしい五月の死びとよ
わたしは綠金の蛇のやうにのたうちながら
ねばりけのあるものを感觸し
さうして「死」の絨氈に肌身をこすりねりつけた。
[やぶちゃん注:初出なし(確認されていない)。「底本靑猫」では再録せず。「絨氈」は「じゆうたん」で問題ない表記であるが、筑摩書房版全集校訂本文は、またしても過剰な消毒薬を散布せずにはおかぬ。「絨毯」に変えてしまっている。いいかね? 「じゆうたん」(現代仮名遣「じゅうたん」)は現行の辞書でも漢字表記を「絨緞」「絨毯」「絨氈」と載せているんだ! どこの誰が「じゆうたん」は「絨毯」でなくては誤りだと言ったんだ?!
さても、この詩篇、エレナ幻想の一つであろう。エレナは洗礼名で、本名は馬場ナカ、朔太郎の妹ワカの友人であった。明治二三(一八九〇)年生まれの朔太郎より四つ歳下、朔太郎が十七歳の頃に出逢っている。吉永哲郎氏の論文『「さみしい男」の文学史―――朔太郎のエレナ憧憬をめぐって ―――』(共愛学園前橋国際大学論集・二〇〇四年三月発行・PDF・分割発表の一篇)によれば、明治四二(一九〇九)年に、『高崎の医師佐藤清と結婚し』、『二子をもうけたが、結核を病み、転地療養を続けるうち』、大正六(一九一七)年五月五日、二十八歳の若さで亡くなっている。『高崎の柳川町のハリスト正教会(現・下小鳥町)の「教会銘度利加(洗礼名が記載されている大判本)」の「第二簡其の二」に』、「洗礼日大正三年五月十七日 洗礼名 エレナ」の『名が記載されていた』とある。
「綠金」「ろくきん」或いは「りよくきん」で、緑色を帯びた金色のこと。]
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