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2019/01/28

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 姑獲鳥(うぶめ) (オオミズナギドリ?/私の独断モデル種比定)

Ubumedori

 

うぶめどり    夜行遊女

         天帝少女

         乳母鳥 譩譆

姑獲鳥

         無辜鳥 隱飛

         鬼鳥  鉤星

タウフウニヤ◦ウ 

本綱鬼神類也能收人魂魄荊州多有之衣毛爲飛鳥

毛爲女人是産婦死後化作故胸前有兩乳喜取人子養

爲己子凡有小兒家不可夜露衣物此鳥夜飛以血

爲誌兒輙病驚癇及疳疾謂之無辜疳也蓋此鳥純雌無

雄七八月夜飛害人

△按姑獲鳥【俗云産婦鳥】相傳曰産後死婦所化也蓋此附會

 之中華荊州本朝西海海濵多有之則別此一種

 之鳥最陰毒所因生者矣九州人謂云小雨闇夜不時

 有出其所居必有燐火遙視之狀如鷗而大鳴聲亦似

 鷗能變爲婦攜子遇人則請負子於人怕之迯則有憎

 寒壯熱甚至死者剛者諾負之則無害將近人家乃

 背輕而無物未聞畿内近國狐狸之外如此者

うぶめどり    夜行遊女

         天帝少女

         乳母鳥 譩譆〔(いき)〕

姑獲鳥

         無辜鳥〔(むこてう)〕

         隱飛〔(いんひ)〕

         鬼鳥〔(きてう)〕

         鉤星〔(こうせい)〕

タウフウニヤ 

「本綱」、鬼神の類也。能く人の魂魄を收〔(をさ)〕む[やぶちゃん注:捕る。]。荊州[やぶちゃん注:湖北省。]に多く、之れ、有り。毛を衣〔(き)〕て飛鳥と爲り、毛を(ぬ)げば、女人と爲る。是れ、産婦、死して後(〔の〕ち)、化して作(な)る。故〔に〕胸の前に兩乳有り。喜〔(この)〕んで人の子を取り、養ひて己〔(わ)〕が子と爲す。凡そ小兒有る家には、夜(〔よ〕る)、〔兒の〕衣物〔(きもの)〕を露(あら)はにす〔る〕べからず。此の鳥、夜、飛び、血を以つて、之れにじ、誌(しるし)と爲す。兒、輙〔(すなは)〕ち、驚癇及び疳病を病む。之れを「無辜疳(むこかん)」と謂ふなり。蓋し、此の鳥、純(もつぱ)ら、雌なり。雄、無し。七、八月〔の〕夜、飛びて、人を害す。

△按ずるに、姑獲鳥は【俗に云ふ、「産--鳥(うぶめ)」。】、相ひ傳へて曰はく、「産後、死せば、婦、化する所なり」〔と〕。蓋し、此れ、附會のなり。中華にては荊州、本朝にては西海〔の〕海濵に多く、之れ、有りといふときは、則ち、別に、此れ、一種の鳥〔たり〕。最も陰毒〔の〕因りて生ずる所の者ならん。九州の人、謂ひて云はく、「小雨(こさめふ)り、闇(くら)き夜、不時に[やぶちゃん注:不意に。]出づること、有り。其の居〔(を)〕る所、必ず、燐火[やぶちゃん注:鬼火。青白い妖しい火。]あり。遙かに之れを視るに、狀(〔かた〕ち)、鷗(かもめ)のごとくにして、大きく、鳴く聲も亦、鷗に似る。能く變じて婦と爲り、子を攜〔(たづさ)へ〕て、人に遇ふときは、則ち、人に子を負(をは)せんことを請ふ。之れを怕(おそ)れて迯(に)ぐれば、則ち、憎(にく)み、寒・壯熱、甚〔だしく〕して死に至る者、有り。剛の者、諾して之れを負ふときは、則ち、害、無し。將に人家に近づくに、乃〔(すなは)〕ち、背、輕くして、物、無し。未だ畿内・近國には、狐狸の外、此くのごとき者を聞かず。

[やぶちゃん注:妖怪にして妖鳥の「姑獲鳥(うぶめ)」で「産女」「憂婦女鳥」等とも表記する。但し、鳥形象のそれは少なく、概ね、下半身が血だらけの赤子を連れた人形(ひとがた)の妖怪であることが多い。私のブログ記事では「怪奇談集」を中心に十数種の話を電子化している、最も馴染み深く、産婦の死して亡霊・妖怪となるという点で個人的には非常に哀れな印象を惹起させる話柄が多いように感ずる。まず、妖鳥の方はウィキの「姑獲鳥」によれば、『中国の伝承上の鳥。西晋代の博物誌』「「玄中記」や、ここで引いた「本草綱目」などの『古書に記述があり、日本でも』として、本「和漢三才図会」の記載を紹介して、まさに本条を抜粋現代語訳した感じで以下のように記す。『「夜行遊女」「天帝少女」「乳母鳥」「鬼鳥」ともいう』。『鬼神の一種であって、よく人間の生命を奪うとある。夜間に飛行して幼児を害する怪鳥で、鳴く声は幼児のよう。中国の荊州に多く棲息し、毛を着ると鳥に変身し、毛を脱ぐと女性の姿になるという』。『他人の子供を奪って自分の子とする習性があり、子供や夜干しされた子供の着物を発見すると血で印をつける。付けられた子供はたちまち魂を奪われ、ひきつけの一種である無辜疳(むこかん)という病気になるという』。『これらの特徴は、毛を着ると鳥、毛を脱ぐと女性になるという点で東晋の小説集』「捜神記」にある「羽衣女」と、また、『他人の子を奪う点で』では「楚辞」に『ある神女「女岐(じょき)」と共通しており、姑獲鳥の伝承は、これら中国の古典上の別々の伝承が統合されたものと見られている』、また、唐代の「酉陽雑俎」では、『姑獲鳥は出産で死んだ妊婦が化けたものとの説が述べられており』、「本草綱目」に於いても、『この説が支持されている』。『日本でも茨城県で似た伝承があり、夜に子供の着物を干すと、「ウバメトリ」という妖怪が自分の子供の着物だと思って、その着物に目印として自分の乳を搾り、その乳には毒があるといわれる』のであるが、『これは中国の姑獲鳥が由来とされ、かつて知識人によって中国の姑獲鳥の情報が茨城に持ち込まれたものと見られている』。『江戸時代初頭の日本では、日本の伝承上の妖怪「産女」が中国の妖怪である姑獲鳥と同一視され、「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読むようになったが、これは産婦にまつわる伝承において、産女が姑獲鳥と混同され、同一視されたためと見られている』とある。

 さても、以上に言う「玄中記」のそれや「捜神記」にある「羽衣女」は、私の「古今百物語評判卷之二 第五 うぶめの事附幽靈の事」の注で電子化してあるので見られたいし、「酉陽雑俎」の「前集卷十六」及び北宋の叢書「太平広記」の「卷四百六十二」に載る「夜行遊女」では、「或言産死者所化(或いは産死者の化(くわ)せる所なりと言ふ)」とあるのも「諸國百物語卷之五 十七 靏のうぐめのばけ物の事」(但し、これは五位鷺を誤認した擬似お笑い怪談)で述べておいた。「楚辞」の「女岐」については、子を殺す或いは殺そうとする、奪おうとする妖怪「鬼車」として知られる、中国の「鬼車」のウィキの記載に、『また、鬼車とはまったく別の伝説として、人の子供を奪って養子にするといわれる神女「女岐(じょき)」がある』が、「楚辞」では『「女岐は夫もいないのになぜ』九『人もの子供がいるのか」とあり、この言い伝えが』、先に示した「捜神記」での『鬼車と子供にまつわる話と習合し、さらに「九子」が「九首」と誤って伝えられたことから、鬼車が』九『つの頭を持つ鳥として伝えられたものと見られている』とある。

 因みに、「鬼車」は同じくけったいな多頭妖鳥なので、仲間のよしみで、中国の「鬼車」の特徴をそこから引いておくと、「太平御覧」には、『斉の国(現・山東省)に頭を』九『つ持つ赤い鳥がおり、カモに似て』、九『つの頭が皆鳴くとあ』り、唐代の「嶺表録異」に』は、九つの『頭を持つ鳥で、嶺外(中国南部から北ベトナム北部かけて)に多くいるもので、人家に入り込んで人間の魂を奪う。あるとき』のこと、九つの『頭のうちの一つを犬に噛まれたため、常にその首から血を滴らせており、その血を浴びた家は不幸に苛まれるという』とし、「正字通」では、『「鶬虞(そうぐ)」の名で記述され』、『「九頭鳥(きゅうとうちょう)」ともいい、ミミズクの一種である鵂鶹(きゅうりゅう)に似たもので、大型のものでは』一『丈あまり(約』三『メートル)の翼を持ち、昼にはものが見えないが、夜には見え、火の光を見ると目がくらんで墜落してしまうという』。また、南宋代の「斉東野語」には、十個の『頭のうちの一つを犬に噛み切られ、人家に血を滴らせて害をなすという。そのために鬼車の鳴き声を聞いた者は、家の灯りを消し、犬をけしかけて吠えさせることで追い払ったという』とあるそうである。因みに、頭を数多く持つというのは中国の妖獣ではしばしば見かけるが、本邦では流行らない傾向があるように私は思う

 ウィキの「産女」も見ておく必要があろうが、これは最近では、『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 橋姫(3) 産女(うぶめ)』で引いているので、そちらを見られたい。

「譩譆〔(いき)〕」これは実は経絡の一つ「譩譆穴(いきけつ)」(足の太陽膀胱経に属する第四十五番目の経穴)の名でもある。ウィキのそれによれば、この名の由来として、『譩と譆は』「言」と「意」、「言」と「喜」を『それぞれまとめて一字で書いたもので』、『この字は、おくび』(欠伸(あくび))『または吐息を表す擬声語で、アー・シー、またはウィー・シーと読む。ここを強く押すと、げっぷや吐息が出ることによる』とある。子を失い、自らも死に、妖鳥となってしまった鳥の哀れな鳴き声か。一方で、これは「姑獲鳥」のモデルとされる実在する鳥の鳴き声ともとれる。夜行性で、夜「あーしー」「うぃーしー」と鳴く鳥、凶鳥とされ、鳴き声も不気味ともされるフクロウやトラツグミを想起することは出来よう。

「無辜鳥〔(むこてう)〕」この異名は何かしみじみするではないか! これはこの姑獲鳥が哀れにも亡くなった妊婦の化した「何の罪もない鳥」だという意味ではないのか?!

「鉤星〔(こうせい)〕」これは中国では星座の名で、西洋の龍座に相当するようだ。彼女はヨタカが星となったように、星座となったのではなかったか? そうあってほしいと私は「收〔(をさ)〕む」東洋文庫訳は『食べる』とする。如何にもセンスのない厭な訳だ。

「胸の前に兩乳有り」旧暦「七、八月」の夜に飛ぶ、「西海」(「國」ではなく、わざわざ「海」を使っているのは、この鳥が海岸に近いところにいるからではなかろうか?)の「海濵に多く」棲息する、実在する鳥を捜索するに、最も特徴的な箇所だ! しかし、誰も真剣に「姑獲鳥」のモデルの鳥を探した形跡はない。ちょっと淋しい。もう一つ言い添えるなら、妖鳥の形状を良安は「遙かに之れを視るに」その形は「鷗(かもめ)のごとくにして、大きく、鳴く聲も亦、鷗に似る」と言ってるんだぜ? 両乳マークはないけど、海辺を棲息地とし、カモメ(チドリ目カモメ科カモメ属カモメ亜種カモメ Larus canus kamtschatschensis)に似ていて、それより大きく、夜に盛んに騒ぎ、本邦では西日本の暖地で夏秋に見られる鳥……いるじゃないか!

ミズナギドリ目ミズナギドリ科オオミズナギドリ属オオミズナギドリ Calonectris leucomelas

だよ! ウィキの「オオミズナギドリ」によれば(太字下線やぶちゃん)、本邦『では春から秋にかけて最も普通にみられるミズナギドリ類であり』『よく陸からも観察される』。『西太平洋北部の温帯域で』、『ミズナギドリ科』Procellariidae『のうち』で、『唯一繁殖し、夏鳥として日本近海、黄海、台湾周辺の島嶼に分布する』。『日本では、夏季に北海道(渡島大島)から八重山諸島(仲御神島)にかけての離島で繁殖し』、『韓国では、済州道の管轄となる泗水島に大繁殖地があり、他の島々でも少数が繁殖する』。『冬季になるとフィリピンやオーストラリア北部周辺へ南下し』、『越冬するが』、『日本の近海に残るものもある』全長は四十六~五十一センチメートル、翼開長は一メートル十から一メートル二十二センチメートルで(カモメは全長四十~四十六センチメートル。翼開長はオオミズナギドリと大差ない)、『体長や翼開長はウミネコと同じぐらいであるが、飛翔時には翼がカモメ類より細長く見える』(とわざわざ言っているのはカモメとよく似ているからに他ならない)『雌雄同色であり、上面は暗褐色の羽毛で覆われ、羽毛の外縁(羽縁)が淡色で、白い波状の斑紋が入っているように見える』。『大雨覆や次列風切は淡褐色で、飛翔時には不明瞭なアルファベットの「M」字状に見える』。『頭部は白い羽毛に不明瞭な褐色の斑紋や斑点が点在する』。『尾羽は黒または黒褐色』。『体下面は白い羽毛で覆われる』。『翼下面は白いが、初列下雨覆の外側(外弁)や風切羽下面は黒または黒褐色』。『嘴の色彩はピンク色がかった淡青色で』、『先端に黒みがある』。『足はピンク色』。『地表から飛翔することができず、斜面を使って助走したり』、『断崖』『や樹上から飛び降りたりしなければ』、『飛び立てないとされることもあるが』、『岩手県の三貫島や伊豆諸島の御蔵島の繁殖地では、地面から羽ばたいて飛び立つのが観察されている』。『飛び立てない理由として体重の重さや、翼の長さと足の短さなどが挙げられることもあるが』、『他のミズナギドリ目の鳥類と比べてとくに体形が大きく違うわけでもない』。『繁殖期のほかは海上で生活する』。『主に滑翔して、ゆっくりとした羽ばたきを交えながら、海面低くを左右に翼を傾けて飛びまわり』、『餌の群れを見つけると遠くからもたくさん集まる』。『食性は動物食で、魚類や軟体動物などを食べる』。『水面を泳ぎながら』、『水面近くにいる獲物を捕らえたり、浅く潜水して捕らえる』。『とくにカタクチイワシ』条鰭綱ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシEngraulis japonicus)『を多く利用することが報告されている』。『海面からは翼を広げて羽ばたきながら風上に向かい』、『助走して飛翔する』。『ほとんど海上で鳴くことはないが』、『夜間の営巣地では鳴き声や翼の音で騒がしくなる』。『鳴き声は、ピーウィーピーウィー(雄』『)、グワーェグワーェ(雌』『)など』。二~三月に『集団繁殖地に飛来して』『平地や斜面を問わず』、『森林に』九十センチメートルから一メートルほどの『横穴を掘り、奥を』二十~三十センチメートル × 十~二十センチメートル『に広げて』、『枯葉などを敷いた巣に』、六~七月に、一回に一個の『卵を産む』。『巣穴形状は「棒状型」「くの字型」「迷路型」など様々である』。『雌雄が昼夜交代で抱卵し、抱卵期間は』五十二~五十四日で、『雛は孵化してから』七十~九十『日で巣立つ』。『抱卵や抱雛をしないほうの親鳥は未明から海上に出て餌を探し、日没後に巣穴に戻って雛に給餌する』。『時速およそ』三十五キロメートルで『飛び、巣に戻るまでにかかる時間を考えて餌場から帰巣し、門限を守る習性がある』。十月(孵化後二ヶ月目)には、『雛は親鳥より体重が重くなり』、一・五倍にもなり、『やがて親鳥が雛を残して島を離れた後も、雛は約』三『週間にわたって蓄えた脂肪で成長し』、十一月下旬から十二月上旬には島から渡り去る。『太平洋戦争の戦前、戦中、戦後の期間、日本各地の繁殖地では』『羽毛が利用されたり、食用とされることもあった』。『沖縄県仲の神島では組織的な捕獲事業が行われ』、『生息数は大きく減少したが、御蔵島では住民らが厳しい自主規制のもと保護し捕獲を行った』。『池田真次郎の『森林と野鳥の生態』によると御蔵島では年に一度巣立ち前の雛を捕獲し、皮からは油を搾り、肉は塩漬、骨と内臓は挽いて塩辛にしたという。また、糞が堆積し化石化してできたグアノは肥料として利用された』。『御蔵島では本種を「カツオドリ」と呼びならわしている』『が、「カツオドリ」の標準和名を持つ鳥は別にあり、オオミズナギドリとは目レベルで異なる』(ペリカン目カツオドリ科カツオドリ属カツオドリ Sula leucogaster)『全くの別種である』とある。そうだ! 彼らは島の地面の中に巣を作るのだ! だから、彼らの巣を実際に見た者は少ないのだ! とすれば、「姑獲鳥」の巣の記載がないこと、雌しかいない、という変なことが書いてあるのが、ちょっと腑に落ちるじゃあないか?! 私は一つ、誰もやっていない「姑獲鳥」の実在モデル候補としてオオミズナギドリを挙げる!!!

「驚癇」幼児のひきつけを起こす病気を指す。現在は脳膜炎の類が比定されている。驚風(きょうふう)とも呼ぶ。

「疳病」東洋文庫割注は『小児の神経症。夜泣きををしたり』、『恐い夢におそわれたりする』とある。

「純(もつぱ)ら」「專ら」。

「西海」九州。

「攜〔(たづさ)へ〕て」「携へて」に同じ。連れて。

「寒・壯熱」異様な寒気(さむけ)と激しい高熱。

剛の者、諾して之れを負ふときは、則ち、害、無し。將に人家に近づくに、乃〔(すなは)〕ち、背、輕くして、物、無し」ここに無念と苦痛の中で亡くなった若き妊婦とその嬰児の霊の鎮魂(異界からたまさかに眺める現実界としての「村」)や、神道以前の産土神の零落した姿をさえ、私はここに見る思いがするのである。

「未だ畿内・近國には、狐狸の外、此くのごとき者を聞かず」「畿内」とその「近國」はまさに良安の生活フィールドを指す。即ち、良安は姑獲鳥が婦人や赤子に化けるというのを見聴きしたことが全くない、と不審を言い添えているのである。噂にさえ聴かない以上は「附會のなり」、牽強付会のコジツケの妄説に過ぎない、と断ずるのは、どうもこの妖鳥・妖怪を素直に受け入れられない私にはよく判るのである。]

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