和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 青鸐(せいだく) (架空の神霊鳥)
せいだく
青鸐【音濁】
拾遺記云幽州之墟羽山之北有善鳴之禽人靣鳥喙八
翼一足毛色如雉行不踐地名曰青鸐其聲似鐘磬笙竽
也世語曰青鸐鳴時太平故盛明之世翔鳴藪澤音中律
呂飛而不行至禹平水土棲於川岳所集之地必有聖人
出焉自上古鐘諸鼎噐皆圖像其形銘讃至今不絕
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せいだく
青鸐【音、「濁」。】
「拾遺記」に云はく、『幽州の墟羽山の北に善く鳴くの禽有り。人靣〔(じんめん)に〕鳥の喙〔(くちば)〕し、八つの翼、一足〔たり〕。毛色、雉のごとく、行くこと、地を踐(ふ)まず。名づけて「青鸐」と曰ふ。其の聲、鐘〔(しやう)〕・磬〔(けい)〕・笙〔(しやう)〕・竽〔(う)〕に似たり。「世語」に曰はく、「青鸐、鳴く時、太平なり。故に盛明の世に藪澤〔(そうたく)〕に翔(かけ)り鳴く。音、律呂〔(りつりよ)〕に中〔(あた)〕る。飛びて行(ある)かず。禹、水土を平(たひら)ぐるに至りて、川岳〔(せんがく)〕に棲む〔こととなれり〕。集まりゐる所の地、必ず、聖人、出ずる有り。上古より鐘・諸々の鼎〔(かなえ)〕の噐〔(うつは)〕に、皆、其の形を圖-像(かたど)る。銘讃〔(めいさん)〕、今に至るまで絕へず[やぶちゃん注:「へ」はママ。]〔と〕。」』〔と〕。
[やぶちゃん注:この「青鸐」という漢名は、中文サイトを見るに、現在、日本産のキジ目キジ科ヤマドリ属ヤマドリ
Syrmaticus soemmerringii 及びその近縁種で中国に棲息する「山雉」類に与えられていた(いる)ようであるが、言わずもがな、本来は神霊鳥である。
「拾遺記」中国の後秦の王嘉が撰した志怪小説集。全十巻。上古より東晋に及ぶ小説稗伝の類を収めている。王嘉は隴西郡安陽県の出身で、未来を予言する能力を持つ者として知られた一種の神仙でもあったが、三九〇年頃、後秦の創建主の姚萇(ようちょう)の機嫌を損ね、誅せられた。参照したウィキの「拾遺記」によれば、『王嘉が撰した原本は散佚しているが、梁の蕭綺(しょうき)が、その遺文を蒐集して』一『書とした。その際』、『附された綺の序によれば、元来は』十九『巻で』二百二十『編であったとされるが』、「晋書」の「王嘉伝」で「拾遺録」十巻を『撰したとするのとは一致していない』し、『現行本は東晋代の話まで収めるのも、蕭綺の序に「事は西晋末におわる」とあるのと一致しない』とある。以下、最後までが「拾遺記」の記載であることは、以下の中文サイトから拾って加工した「拾遺記」巻一から明らかである(太字部)。
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帝堯在位、聖德光洽。河洛之濱、得玉版方尺、圖天地之形。又獲金璧之瑞、文字炳列、記天地造化之始。四兇既除、善人來服、分職設官、彞倫攸敘。乃命大禹,疏川瀦澤。有吳之鄉、有北之地、無有妖災。沉翔之類、自相馴擾。幽州之墟、羽山之北、有善鳴之禽、人面鳥喙、八翼一足、毛色如雉、行不踐地、名曰靑鸐、其聲似鐘磬笙竽也。「世語」曰、「靑鸐鳴、時太平。」。故盛明之世、翔鳴藪澤、音中律呂、飛而不行。至禹平水土、棲於川岳、所集之地、必有聖人出焉。自上古鑄諸鼎器、皆圖像其形、銘贊至今不絕。
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「一足」後肢は一本しかないのである。図を参照。
「行くこと、地を踐(ふ)まず」空中を浮遊して動くのである。
「磬〔(けい)〕」中国古代の打楽器で、「ヘ」の字形をした石又は玉・銅製の板を吊り提げて、桴(ばち)で叩いて音を出す。一枚だけから成る「特磬」と、複数の磬を並べて旋律を鳴らすことが出来るようにした「編磬」があるが、後者が一般的である。八音(はちおん:儒教音楽で使われる八種類の楽器を表わす語。古代中国では楽器は「金」・「石」・「糸」・「竹」・「匏」(ほう:スミレ目ウリ科ユウガオ属ヒョウタン変種ヒョウタン Lagenaria siceraria var. gourda のこと)・「土」・「革」・「木」の八種の素材から作られるとされ、かく区分されてあった。楽器の総称を表わす「金石糸竹」という四字熟語はこれに由来する)の一つである「石」に当たるため、古代以降にも中国の雅楽では使われ続けた(ここは主にウィキの「磬」とそのリンク先に拠った)。
「竽〔(う)〕」既出既注であるが、再掲しておく。中国の古代の管楽器の一つ。笙(しょう)に似るが、笙より大きく、音も低い。 戦国時代から宋まで使われたが、その後は使われなくなった。本邦にも奈良時代に伝来したものの、平安時代には使われなくなってしまった。「竿」(さお)の字とは異なるので注意。
「世語」中国南北朝期の宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた小説集「世説新語」のこと。「世説」とは「世間の評判」の意。
「盛明の世」正道が行われ、真智によって普く照らし出された繁栄せる太平の世。
「律呂〔(りつりよ)〕」中国・日本の音楽理論用語。「音律」のこと。中国では十二律を六律ずつの二つのグループに分けて「律」と「呂」とし、「律呂」と併記して「音律」の意に用いた。音律に関する文献は、多く「律呂」の語が題名に含まれている。日本の音楽文献の中にもこれを流用したものがあるが、本邦の雅楽では、「律」・「呂」の意味が中国の場合と違って、音階の名称になっていることもあり、両者を併記する場合でも、中国とは逆に、「呂律」ということが多い(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。「呂律(おれつ)が回らない」の語源である。
「飛びて行(ある)かず」先にも出たが、飛ぶばかりで、地面に足を下ろすことはなく、歩行することはないのである。
「禹、水土を平(たひら)ぐる」古代の聖王禹は中国全土の徹底した治水事業によって世に繁栄と静謐を齎したとされる。
「川岳〔(せんがく)〕」川上の高山か。]
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