萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 靑空
靑 空
表 現 詩 派
このながい烟筒(えんとつ)は
をんなの圓い腕のやうで
空にによつきり
空は靑明な弧球ですが
どこにも重心の支へがない
この全景は象のやうで
妙に膨大の夢をかんじさせる。
[やぶちゃん注:大正一〇(一九二一)年十二月号『日本詩人』初出。初出は標題と添え辞が全く異なり、細部に気になる異同があるので以下に示す。
*
印 象
とある都會の上空にて
このながい煙突は
女の圓い腕のやうで
空にによつきり
空は靑明な球形ですが
どこにも重心の支へがない。
この全景は象(ざう)のやうで
妙に澎大の夢をかんじさせる。
*
「澎」は「水の漲(みなぎ)るさま・水の湧き立つさま」であるから、誤字か誤植であろう。
本篇は「定本靑猫」には再録されていない。
「表現詩派」「表現主義派の詩の感じで」「表現主義の詩のように」「表現主義詩風(ふう)に」の意であろう。「表現主義」(Expressionismus)は「ドイツ表現主義」とも呼ばれ、ウィキの「ドイツ表現主義」によれば、ドイツに於いて第一次世界大戦前に始まり、一九二〇年代に最盛となった芸術運動で、客観的表現を排して内面の主観的な表現に主眼をおくことを特徴とした。建築・舞踊・絵画・彫刻・映画・音楽など各分野で流行し、「黄金の二十年代」と呼ばれ、ベルリンを中心に花開いた。『日本を含む世界各地の前衛芸術に影響を与え、現代芸術の先駆となった』。『日本においては、単なる「表現主義」(「表現派」)ではなく「ドイツ表現主義」(「ドイツ表現派」)という言い方がなされることがあるが、これがどのような経緯で使われるようになったかについて明確に記載している文献は存在しない。ただ、 第二次世界大戦前から日本で「ドイツ表現派」という呼び方が用いられていたことを示す、次のような文献が存在する』として、大正一一(一九二二)年十一月発行の雑誌『解放』に山岸光宣が発表した評論「独逸表現派の社会革命劇 トルレルの『転変』を中心として」があり、また、大正一二(一九二三)年一月三日及び二月二日附『東京朝日新聞』で田中總一郎が「独逸表現派戯曲家」という記事を書いている。本詩篇の初出は大正一〇(一九二一)年十二月であるが、上記の添え辞に変更された本書は、大正一二(一九二三)年一月発行であるから、時制的に「ドイツ表現主義」が持て囃された時期と、よく一致しており、本詩篇のイメージも、かの表現主義に拠った絵画グループ『青騎士』(ドイツ語:der Blaue Reiter:ブラウエ・ライター:元は一九一二年にロシア人画家ヴァシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич
Кандинский:ラテン文字転写:Wassily Kandinsky)と動物を好んで描いたドイツ人画家フランツ・マルク(Franz Marc)が創刊した綜合的な芸術年刊誌の誌名であり、また、ミュンヘンに於いて一九一一年十二月に集まった主として表現主義画家たちによる自由な芸術家サークル)に参加した画家たち(第一回展にはハンス・アルプ、パウル・クレー、アンリ・マティス、エミール・ノルデ、パブロ・ピカソ、アンリ・ルソーが、第二回展にはエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、カジミール・マレーヴィチ、ジョルジュ・ブラック、ロベール・ドローネーといった錚々たる面々が参加している。ここはウィキの「青騎士」を参考にした)に参加した画家たちの絵を確かに髣髴させ、短篇ながら、成功していると私は感じる。
「弧球」聴き慣れない熟語で朔太郎の造語の可能性が高いが、しかし「穹窿」や「蒼穹」のイメージに「天球」を合わせたものとして腑には落ちるし、詩語として悪くはない。また、この堅い造語(推定)の音「コキユウ(コキュウ)」を和らげるのにここにのみ特異的に「ですが」という敬体を敢えて用いたのも掟破り乍ら、成功していると言える。]
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