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2019/01/07

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 沖を眺望する

 

  沖を眺望する

 

ここの海岸には草も生えない

なんといふさびしい海岸だ

かうしてしづかに浪を見てゐると

浪の上に浪がかさなり

浪の上に白い夕方の月がうかんでくるやうだ

ただひとり出でて磯馴れ松の木をながめ

空にうかべる島と船とをながめ

私はながく手足をのばして寢ころんでゐる

ながく呼べどもかへらざる幸福のかげをもとめ

沖に向つて眺望する。

 

[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年二月号『感情』初出。短詩で表現も至って当たり前乍ら、私の偏愛する一篇であり、私の心の中では最後の「沖に向つて眺望する」が何度も二十代の時からリフレインし続けてきたものである。初出とは表現の微妙な変異がある。やはり私のそれを電子化した古いテクストを参照されたい。私はこの詩の「ながく呼べどもかへらざる幸福のかげをもとめ」という一行を読むにつけ、朔太郎満二十七歳(大正二(一九一三)年四月製作)の折りの自筆自選の手作りの歌集「ソライロノハナ」に記された、エレナ幻想とも称すべき大磯ノ海平塚を思い出すのを常としている(「ソライロノハナ」の中では「二月の海」という「一九一一、二」のクレジット(明治四十四年)を添えるパートが、この二章から構成されている)。リンク先はやはり孰れも私の古い電子テクストであるが(今回、正漢字表記をやり直しておいた)、「ソライロノハナ」自体がまず普段、読まれることの少ないものであるから、未読の方は、是非、読まれたい。

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