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2019/01/18

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 花やかなる情緖

 

  花やかなる情緖

 

深夜のしづかな野道のほとりで

さびしい電燈が光つてゐる

さびしい風が吹きながれる

このあたりの山には樹木が多く

楢(なら)、檜(ひのき)、山毛欅(ぶな)、樫(かし)、欅(けやき)の類

枝葉もしげく鬱蒼とこもつてゐる。

 

そこやかしこの暗い森から

また遙かなる山山の麓の方から

さびしい孤燈をめあてとして

むらがりつどへる蛾をみる。

蝗(いなご)のおそろしい群のやうに

光にうづまき くるめき 押しあひ死にあふ小蟲の群團。

 

人里はなれた山の奧にも

夜ふけてかがやく孤燈をゆめむ。

さびしい花やかな情緖をゆめむ。

さびしい花やかな燈火(あかり)の奧に

ふしぎな性の悶えをかんじて

重たい翼(つばさ)をばたばたさせる

かすてらのやうな蛾をみる

あはれな 孤獨の あこがれきつたいのちをみる。

 

いのちは光をさして飛びかひ

光の周圍にむらがり死ぬ

ああこの賑はしく 艶めかしげなる春夜の動靜

露つぽい空氣の中で

花やかな孤燈は眠り 燈火はあたりの自然にながれてゐる。

ながれてゐる哀傷の夢の影のふかいところで

私はときがたい神祕をおもふ

萬有の 生命の 本能の 孤獨なる

永遠に永遠に孤獨なる 情緖のあまりに花やかなる。

 

[やぶちゃん注:大正一〇(一九二一)年十月号『日本詩人』初出。初出では、

第三連の二箇所の「さびしい」の後に字空け(これは朗読時には有意に異なる)

かすてら」が傍点無しで「かすていら」(これも当然の如く朗読時には大きく異なる)

詩篇末に下方インデントポイント落ちで、『――情緖の神秘性に就いて――』(「秘」はママ)

となっている以外は(句点・漢字表記・ルビ等の違いを除く)、有意な異同は認めない。

 ところが、またしても筑摩書房版全集はとんでもないことをしているのである。校訂本文は総ての「孤燈」を「弧燈」と〈校訂〉しているのである。「弧燈」(ことう)はアーク灯のことで、アーク放電の際の発光を光源とする照明灯を指し、通常は炭素棒を電極として空中放電させた炭素アーク灯を指す。嘗ては街灯に用いられた。確かに第四連の「山の奥にも」「ゆめむ」「花やかな孤燈」というのは、アーク灯かも知れないとは感じさせはする。が、しかしまた、そうではないかも知れないし、この前段の実景の中の「さびしい電燈」は「電燈」で「弧燈」ではないという可能性も同程度に充分にある。否、この前段の電燈は如何にも誘蛾灯然としており、大正十年当時の農村のそれは幾つか調べてみたが、既に白熱電球が使用されていたようでもある。されば、私は、この校訂をやはり肯んじ得ない。何故なら、朔太郎は初出から一貫して「孤燈」と記しており、後の生前の三種の詩集再録(「定本靑猫」には本篇は不再録)でも、総て「孤燈」のままなである。「孤燈」は熟語として無論、存在し、「暗い中に一つだけともっている灯火」のことで、そのように読んで、詩篇に不都合があるとは私は思わないからである。如何なる理由に於いて、これらを総てアーク灯としての「弧燈」にすることが唯一絶対の正当にして正統な校訂行為なのか、私には分らないからである

「楢(なら)」被子植物門双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の多様な種、或いは、コナラ Quercus serrata を指す。多様な種はィキの「ナラを見られたい。

「檜(ひのき)」: 球果植物門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ Chamaecyparis obtusa

「山毛欅(ぶな)」ブナ科ブナ属ブナ Fagus crenata

「樫(かし)」ブナ科 Fagaceaeの常緑高木の一群の総称。狭義にはコナラ属 Quercus 中の常緑性の種を「カシ」と呼ぶが、同じブナ科のマテバシイ属 Lithocarpus のシリブカガシ(尻深樫)Lithocarpus glaber も「カシ」と呼ばれるし、シイ属 Castanopsis も別名で「クリガシ属」と呼ばれており、またクスノキ目クスノキ科 Lauraceaeの一部にも、葉の感じが似ていることから、「カシ」と呼ばれる種がある。ここはウィキの「カシ等に拠った。詳しくはそちらを見られたい。

「欅(けやき)」バラ目ニレ科ケヤキ属ケヤキ Zelkova serrata。]

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