蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 信樂
信 樂
靜かに眠(ねぶ)りて、寢(ねる)魂(たま)の夜(よる)の宮(みや)にも事(こと)あらで、
いと爽(さは)らかに靑(あを)みたる晨(あした)に寤(めざ)め、見(み)かへれば、
傴僂(くゞせ)に似たる「昨(きそ)」の日(ひ)は過(す)ぎゆく「時(とき)」の杖(るゑ)に縋(すが)り、
何方(いづち)去(い)にけむ、思(おも)ひ屈(く)して惱(なや)みし我(われ)も心(うら)解(と)けぬ。
零(こぼ)れし種子(たね)の奇(く)しきかな、我生(わがよ)荒(すさ)める确(そね)にだに
惠(めぐ)み齎(もた)らす「信樂(しんげう)」の朝(あさ)の一(ひと)つや、何物(なにもの)も
これには代(か)へじ、「慈悲(じひ)」の御手(みて)は秘(ひ)むれど、銀(ぎん)の衡(はかりざを)、
金(きん)の秤目(はかりめ)、その極(はて)の星(ほし)にかかれる身(み)の錘(おもり)。
實(げ)に靜(しづ)まれる日(ひ)の朝(あさ)け、曾(かつ)て覺(おぼ)えぬ悅(よろこび)に
瘦屈(やさか)み冷(ひ)えしわが胸(むね)は、雪消(ゆきげ)に濕(しめ)り、冬(ふゆ)過(す)ぎて、
地(つち)の照斑(てりふ)と蒲公英(たな)の花(はな)、芽(め)ぐむ外(と)の面(も)のつつましき
春(はる)さながらの若萌(わかもえ)にきざす祈誓(きせい)ぞほのかなる。
何(なに)とはなしに自(おのづか)ら耳(みゝ)を澄(す)せば遠方(をちかた)に
浪(なみ)どよみ風(かぜ)の戰(そよ)めける音(おと)をし尋(と)むる心地(こゝち)して、
憧(あく)がれわたる窓(まど)近(ちか)く小鳥(ことり)轉(てん)じてまぎれむと
惧(おそ)るる隙(ひま)に聞(き)きわきぬ、過去(くわこ)遠々(をんをん)の代(よ)をここに。
かくて浮(うか)ぶるわが「宿世(すぐせ)」、瞳(ひとみ)徹(とほ)れる手弱女(たをやめ)の
頸(うなじ)をめぐる珠飾(たまかざり)、譬(たと)へばそれか、鳴響(なりひゞ)き、
瑠璃(るり)はささやく紅玉(こうぎよく)に、(さあれ苦(く)の緖(を)の一聯(ひとつらね))、
綠(みどり)に將(はた)や紫(むrさき)に、愛(あい)の、欣求(ごんぐ)の、信(しん)の顆(つぶ)。
げにこの朝(あさ)の不思議(ふしぎ)さを翌(あす)の夕(ゆふべ)にうち惑(まど)ひ、
わが身(み)をさへに疑(うたが)はば、惡風(あくふう)さらに劫(ごふ)の火(ひ)を
誘(さそ)ひて行手(ゆくて)塞(ふさ)ぎなば、如何(いかが)はすべき、弛(たゆ)まるる
腕(かひな)は渴(かは)く唇(くちびる)に淨水(じやうすゐ)掬(むす)ぶ力(ちから)なくば。
あるは曲(まが)れる「癡(ち)」の角(つの)にいと鈍(おぞ)ましき「慾(よく)」の牛(うし)、
牧場(まきば)に足(た)らふ安穩(あんのん)の命(いのち)に倦(う)みて、すずろかに
埓(らち)のくづれを踰(こ)えゆかば、星(ほし)も照(て)らさぬ夜(よる)の道(みち)、
後世(ごせ)の善所(ぜんしよ)を誰(たれ)かまた鞭(むち)うち揮(ふる)ひ指(さ)ししめす。
あるは木强(きすぐ)の本性(ほんじやう)に潛(ひそ)む蠻夷(えみし)の幾群(いくむ)の
集(つど)ふやとばかり、われとわが拓(ひら)かぬ森(もり)の下蔭(したかげ)に
思(おも)ひ惑(まど)ふや、襲(おそ)ひ來(く)る彼(か)の殘逆(ざんげき)の矛槍(ほこやり)を
血(ち)ぬらぬ前(まへ)に淨(きよ)めなむ心(こゝろ)しらへのありや、否(いな)。
悲願(ひぐわん)の尊者(そんじや)、諸菩薩(しよぼさつ)よ、ただ三界(さんがい)に流浪(るらう)する
魂(たま)を憐(あはれ)み御心(みこゝろ)にかけさせたまへ、ゆくりなく
煩惱(ぼんなう)盡(つ)きし朝(あさ)に遇(あ)ひて、今日(けふ)を捨身(しやしん)の首途(かどいで)や、
遍路(へんろ)の旅(たび)に覺王(かくわう)の利生(りしやう)をわれに垂(た)れたまへ。
[やぶちゃん注:第五連二行目の中の「譬(たと)へばそれか、」は底本では「譬(たと)へばそれが、」。底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。
「信樂」「しんげう」(現代仮名遣「しんぎょう」)は仏教用語で、教えを信じ喜ぶこと、阿彌陀如来の本願(菩薩時代にそれらを成就出来なければ如来にならぬと阿彌陀は請願した故にその本願は時空を越えて既に成就されているのである)を信じて疑わないことを指す。
「傴僂(くゞせ)」「屈背」に同じ。脊椎が曲がって、伸びなくなる病気。また、その患者。
「确(そね)」上代語。石が多く地味の瘦せた土地。「磽」とも書く。
「蒲公英(たな)」「たな」は「蒲公英」三字へのルビ。タンポポ(キク目キク科タンポポ属
Taraxacum)は古くは「田菜(たな)」、「藤菜(ふぢな)」「布知菜(ふちな)」などと称していた。
「木强(きすぐ)」形容動詞「氣直(きす)ぐなり」の語幹の用法。「きすぐ」(或いは「きすく」)は、「素朴で飾りけのないさま・生真面目なさま」を言う。
「心(こゝろ)しらへ」既出既注であるが、再掲しておくと、自動詞ハ行四段活用の「心知らふ」の名詞化したもの。意味は「よく知っている」或いは「心遣いをする・気を配る」の意であるが、前後の放浪する隠遁や捨身のそれを考えるなら、無垢としての無知としての前者である。]
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