蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 大河
大 河
ゆるやかにただ事(こと)もなく流(なが)れゆく
大河(たいが)の水(みづ)の薄濁(うすにご)り――邃(ふか)き思(おも)ひを
夢(ゆめ)みつつ塵(ちり)に同(どう)じて惑(まど)はざる
智識(ちしき)のすがたこれなめり、鈍(おぞ)しや、われら
面澁(おもしぶ)る啞(おし)の羊(ひつじ)の輩(ともがら)は
堤(つゝみ)の上(うへ)をとみかうみわづらひ步(あり)く。
しかすがに聲(こゑ)なき聲(こゑ)の力(ちから)足(た)り、
眞晝(まひる)かがよふ法(のり)を布(し)く流(ながれ)を見(み)れば、
經藏(きやうざう)の螺鈿(らでん)の凾(はこ)の葢(ふた)をとり、
悲願(ひぐわん)の手(て)もて智慧(ちゑ)の日(ひ)の影(かげ)にひもどく
卷々(まきまき)の秘密(ひみつ)の文字(もじ)の飜(こぼ)れ散(ち)る、――
げに晴(は)れ渡(わた)る空(そら)の下(もと)、河(かは)の面(おもて)の
紺靑(こんじやう)に黃金(こがね)の光(ひかり)燦(きら)めくよ、
かかる折(をり)こそ汚(けが)れたる身(み)も世(よ)も薰(かを)れ、
時(とき)さらず、癡(し)れがましさや、醜草(しこぐさ)の
毒(どく)になやみて眩(めくるめ)き、あさり食(は)みぬる
貪(むさぼり)の心(こゝろ)を悔(く)いてうち喘(あえ)ぎ、
深(ふか)くも吸(す)へる河水(かはみづ)の柔(やはら)かきかな、
母(おも)の乳(ちゝ)、甘(あま)くふくめる悲(かなし)みは
醉(ゑひ)のここちにいつとなく沁(し)み入(い)りにけり。
源(みなもと)は遠(とほ)き苦行(くぎやう)の山(やま)を出(い)で、
平等海(びやうどうかい)にそそぎゆく久遠(くをん)の姿(すがた)、
たゆみなく、音(おと)なく移(うつ)る流(ながれ)には
解(と)けては結(むす)ぶ無我(むが)の渦(うづ)、思議(しぎ)の外(ほか)なる
深海(ふかうみ)の眞珠(しんじゆ)をさぐる船(ふね)の帆(ほ)ぞ
今(いま)照(てり)りわたる、――智(さとり)なき身(み)にもひらくる
心眼(しんがん)の華(はな)のしまらくかがやきて、
さてこそ沈(しづ)め、靜(しづ)かなる大河(たいが)の胸(むね)に。
[やぶちゃん注:実は八行目「眞晝(まひる)かがよふ法(のり)を布(し)く流(なが)を見(み)れば、」は、底本では、
眞晝(まひる)かがよふ法(のり)を布(し)く流(なが)を見(み)れば、
となっている。しかし音数律から見ても、「流(ながれ)」でなくてはならず、ここも脱字と捉え、特異的に訂した。但し、その根拠はあくまで音数律上の推定でしかなく、校合すべきものはない。敢えて言えば、後の行の「たゆみなく、音(おと)なく移(うつ)る流(ながれ)には」が推定正当性の証左の一つではある。別に参考にした後の岩波文庫の自選「有明詩抄」では、「流(ながれ)」となってはいるものの、例の改悪を施したもので、この行は、
霑(うる)ほし足らふ法(のり)を說(と)く流(ながれ)と知れば、――
と致命的に改変された部分なので、決定的校合材料足りえない。大方の御叱正を俟つ。
なお、「喘(あえ)ぎ」のルビはママである。
「智識(ちしき)」仏道に教え導く指導者・導師・善知識のこと。無論、大河に比喩されたイメージである。
「とみかうみ」「と見かう見」。連語。「あっちを見たり、こっちを見たり」の意の平安以来の古語。
「しかすがに」「然すがに」。副詞。「そうはいうものの・そうではあるが、しかしながら」で万葉以来の古語。
「母(おも)」万葉以来の古語としての読み。
「平等海(びやうどうかい)」善知識によって速やかに導かれる、総ての衆生が平等な真如の大海に流れ入るという比喩。
「思議(しぎ)」凡夫があれこれ思いはかろうとし、下らぬ考えを廻らすこと。それも「迷い」に他ならない。
「しまらく」「暫く」の万葉時代に溯る古形。]
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