蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 苦惱
苦 惱
傳(つた)へ聞(き)く彼(か)の切支丹(キリシタン)、古(いにしへ)の惱(なやみ)もかくや――
影深(かげふか)き胸(むね)の黃昏(たそがれ)、密室(みつしつ)の戶(と)は鎖(さ)しもせめ、
戰(おのゝ)ける想(おもひ)の奧(おく)に「我(われ)」ありて伏(ふ)して沈(すづ)めば、
魂(たましひ)は光(ひかり)うすれて塵(ちり)と灰(はい)「心(こゝろ)」を塞(ふさ)ぐ。
懼(おそろ)しき「疑(うたがひ)」は、噫(あゝ)、自(みづから)の身(み)にこそ宿(やど)れ、
他(あだ)し人(ひと)責(せ)めも來(こ)なくに空(むな)しかる影(かげ)の戲(たは)わざ、
こは何(なに)ぞ、「畏怖(いふ)」の黨(ともがら)群(む)れ寄(よ)せて我(われ)を圍(かこ)むか。
脅(おびやか)す假(かり)裝(よそほ)ひに松明(たいまつ)の熖(ほのほ)つづきぬ。
聖麻利亞(サンタマリヤ)、かくも弱(よは)かる罪人(つみびと)に信(しん)の潮(うしほ)の
甦(よみがへ)り、かつめぐり來(き)て、「肉(しゝむら)」の渚(なぎさ)にあふれ、
俯伏(うつぶせ)に干潟(ひがた)をわぶる貝(かひ)の葉(は)の空虛(うつろ)の我(われ)も
敷浪(しきなみ)の法喜(ほふき)傳(つた)へて御惠(みめぐみ)に何日(いつ)かは遇(あ)はむ。
さもあれや、わが「性欲(せいよく)」の里正(むらをさ)は窺(うかが)ひ寄(よ)りて、
禁制(きんぜい)の外法(げはふ)の者(もの)と執(しふ)ねくも罵(のゝし)り逼(せま)り、
ひた強(し)ひに蹈繪(ふみゑ)の型(かた)を蹈(ふ)めよとぞ、あな淺(あさ)ましや、
我(われ)ならで叫(さけ)びぬ、『神(かみ)よ此身(このみ)をば磔(き)にも架(か)けね』と。
硫黃(いわう)沸(わ)く煙(けぶり)に咽(むせ)び、われとわが座(ざ)より轉(まろ)びて、
火(ひ)の山(やま)の地獄(ぢごく)の谷(たに)をさながらの苦惱(くなう)に疲(つか)れ、
死(う)せて又(また)生(い)くと思(おも)ひぬ、――夢(ゆめ)なりき、夜(よる)の神壇(しんだん)、
蠟(らふ)の火(ひ)を點(とも)して念(ねん)ず、假名文(かなぶみ)の御經(みきやう)の秘密(ひみつ)。
待(ま)たるるは高(たか)きwp洩(も)るる啓示(みさとし)の聲(こゑ)の耀(かゞや)き、――
信(しん)のみぞ其(その)證人(あかしびと)、罪深(つみふか)き内心(ないしん)ながら
われは待(ま)つ、天主(てんしゆ)の姫(ひめ)が讃頌(さんしよう)の聲(こゑ)朗(ほがら)かに、
事果(ことはて)て、『汝(なれ)を恕(ゆる)す』と宣(のたま)はむその一言(ひとこと)を。
[やぶちゃん注:「戰(おのゝ)ける」のルビの「お」、「畏怖(いふ)」のルビの「い」、「弱(よは)かる」のルビの「は」は総てママ。最終連一行目の中の「高(たか)きを洩(も)るる」は底本では「高(たか)き洩(も)るる」。底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。]
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