蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 寂靜
寂 靜
熟(つ)えて落(お)ちたる果(このみ)かと、噫(あゝ)見(み)よ、空(そら)に
日は搖(ゆら)ぎ、濃くも腐(あざ)れし光明(くわうみやう)は
喘(あへ)ぎ黃(き)ばみて灣(いりうみ)の中(なか)に滴(したた)り、
波(なみ)に溶(と)け、波(なみ)は咽(むせ)びぬたゆたげに。
磯回(いそわ)のすゑの圓石(まろいし)はかくれてぞ吸(す)ふ、
飽(あ)き足(た)らひ耀(かゞや)き倦(う)める夕潮(ゆふじほ)を、
石(いし)の額(ひたへ)は物(もの)うげの瑪瑙(めなう)のおもひ、
かくてこそ暫時(しばし)を深(ふか)く照(て)らしぬれ。
風(かぜ)にもあらず、浪(なみ)の音(おと)、それにもあらで、
天地(あめつち)は一(ひと)つ吐息(といき)のかげに滿(み)ち、
沙(いさご)の限(かぎ)り彩(あや)もなく暮(く)れてゆくなり。
たづきなさ――わが魂(たましひ)は埋(うづも)れぬ、
こゝに朽(く)ちゆく夜(よる)の海(うみ)の香(にほひ)をかぎて、
寂靜(じやくじやう)の黑(くろ)き眞珠(またま)の夢(ゆめ)を護(まも)らむ。
[やぶちゃん注:「熟(つ)えて」「熟(つ)える」は「熟しきって潰れる」の意。]
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