蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 底の底
底 の 底
底(そこ)の底(そこ)、夢(ゆめ)のふかみを
あざれたる泥(ひぢ)の香(か)孕(はら)み、
わが思(おもひ)ふとこそ浮(うか)べ。
浮漚(うきなわ)のおもひは夢(ゆめ)の
大淀(おほよど)のおもてにむすび、
ゆららかにゑがく渦(うづ)の輪(わ)。
滯(とどこほ)る銹(さび)の綠(みどり)に
濃(こ)き夢(ゆめ)はとろろぎわたり、
呼息(いき)づまるあたりのけはひ。
涯(はて)もなく、限(かぎり)も知(し)らぬ
しづけさや、――聲(こゑ)さへ朽(く)ちぬ、
あなや、この物(もの)うきおそれ。
浮漚(うきなわ)はめぐりめぐりぬ、
大淀(おほよど)のおもてに鈍(ね)びて
たゆまるる渦(うづ)の輪(わ)のかげ。
物(もの)うげの夢(ゆめ)の深(ふか)みに
魂(たましひ)の失(う)せゆくひまを、
浮漚(うきなわ)のおもひは破(や)れぬ。
朽(く)ちにたる聲(こゑ)張(は)りあげて
わがおもひ叫(さけ)ぶとすれど、
空(むな)し、ただあざれしにほひ。
涯(はて)もなきこの靜(しづ)けさや、
めくるめくおそはれごこち、
涯(はて)もなき夢(ゆめ)のとろろぎ。
[やぶちゃん注:「あざれたる」腐ってしまっている。
「泥(ひぢ)」「ひぢ」(現代仮名遣「ひじ」)は「埿」とも書き、特に水溜まりの泥・泥土の意。
「浮漚(うきなわ)」水の上に浮いている泡のこと。「なわ」は「水泡・水沫」の「みなわ」(元「み大淀(おほよど)なあわ」。「な」は「の」の意の格助詞)の「なわ」であるから、歴史的仮名遣は正しい。
「大淀(おほよど)」流れが停滞した大きな澱(よど)み。
「銹(さび)」「錆」に同じい。
「濃(こ)き夢(ゆめ)はとろろぎわたり」最終連でも「涯(はて)もなき夢(ゆめ)のとろろぎ」と繰り返されるが、「とろろぐ」という動詞は知らない。小学館「日本国語大辞典」にも載らぬが、そこには「とろろく」で、「すっかり溶けてどろどろになる」という意味で「古事記」の用例を示す。ここもそれか。識者の御教授を乞う。
「鈍(ね)びて」「ねびる」は「若さがなくなって年寄りじみている・老けて見える」という平安以来の古語であるから、ここは汚れて汚くなった水沫のイメージとして腑に落ちる。
「たゆまるる」「弛まるる」で、「自然、すっかり衰えてしまった」の意であろう。]
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