蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 秋の歌
秋 の 歌
柔(やは)らかき苔(こけ)に嘆(なげ)かふ
石(いし)だたみ、今(いま)眞(ま)ひるどき、
たもとほる淸(きよ)らの秋(あき)や、
しめやげる精舍(しやうじや)のさかひ。
並(なら)び立(た)つ樅(もみ)の高樹(たかぎ)は、
智識(ちしき)めく影(かげ)のふかみに
鈍(ね)びくゆる紫(むらさき)ごろも、
合掌(がつしやう)の姿(すがた)をまねぶ。
しめやげる精舍(しやうじや)のさかひ、――
石(いし)だたみ音(おと)もかすかに
飜(ひるがへ)る落葉(おちば)は、夢(ゆめ)に
すすり泣(な)く愁(うれひ)のしづく。
かぎりなき秋(あき)のにほひや、
白蠟(びやくらふ)のほそき熖(ほのほ)と
わがこころ、今(いま)し、靡(なび)かひ、
ふと花(はな)の色(いろ)にゆらめく。
花(はな)の色(いろ)――芙蓉(ふよう)の萎(しな)へ、
衰(おとろ)への眉目(まみ)の沈默(もだし)を。
寂(さび)の露(つゆ)しみらに薰(くん)ず、
かにかくに薄(うす)きまぼろし。
しめやげる精舍(しやうじや)に秋(あき)は
しのび入(い)り滅(き)え入(い)るけはひ、
ほの暗(くら)きかげに燦(きら)めく
金色(こんじき)のみ龕(づし)の光(ひかり)。
[やぶちゃん注:「たもとほる」「た/もとほる」で「徘徊(たもとほ)る」(「た」は整調強調の接頭語)。上代語で「行ったり来たりする・歩き回る」の意。
「智識(ちしき)」仏道に教え導く指導者・導師・善知識のこと。無論、高木の樅の木のイメージの換喩。
「鈍(ね)びくゆる紫(むらさき)ごろも」「ねぶ」は「年を経る」、「くゆ」は「燻(くゆ)る・薰る」であろうから、相応に香をたきしめた匂い立つような年季の入った高貴な紫衣(しえ)という、同前の擬人表現。
「しめやげる精舍(しやうじや)」「精舎」は寺。「しめやげる」は「しめやかな」に同じく「如何にもひっそりと静まりかえった感じのする」の意。
「しみらに」「繁みらに」。副詞。「暇なく連続して・一日中」の意。
「み龕(づし)」ここは厨子の意で、仏像を祀った仏壇。]
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