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2019/02/21

大和本草卷之十三 魚之上 鱠殘魚(しろうを) (シラウオ)

 

鱠殘魚 本草ニ王餘魚トモ銀魚トモ云潔白ニシテ銀

 ノコトシ大坂伊勢所〻ニアリ味ヨシホシテ串ニサシタル

 ヲ目サシト云遠ニヲクル珍味トス本草時珍云曝乾乄

[やぶちゃん注:「ヲクル」はママ。]

 以貨四方ト云如シ倭俗膾殘魚ヲキスコト訓ス甚誤

 レリ本草四十四卷膾残魚ノ集解ヨリ見ルヘシシロウヲ

[やぶちゃん注:ここのみ「残」の字体。]

 ナル叓明白ナリ無鱗但目有黒尒其外ノモ皆

 白魚ナリキスコニ非スキスコハ大ナル者七八寸ニ乄鱗アリ時

 珍食物本草註云膾殘魚味甘平無毒寛中健胃

 利水潤肺止欬作乾食之補脾○江州田上堅田

 ナトニ冬月捕之冰魚ト云又鰷魚之苗冬春在海

 者亦可謂冰魚

○やぶちゃんの書き下し文

鱠殘魚(しろうを) 本草に「王餘魚」とも「銀魚」とも云ふ。潔白にして銀のごとし。大坂・伊勢、所々にあり、味、よし。ほして、串にさしたるを「目ざし」と云ひ、遠くにをくる。珍味とす。「本草」、時珍、云はく、『曝〔(さら)〕し乾して以つて四方に貨(う)る』と云ふ〔が〕ごとし。倭俗、膾殘魚を「きすご」と訓ず。甚だ誤れり。「本草」四十四卷「膾残魚」の「集解」より見るべし、「しろうを」なる叓(こと)、明白なり。鱗、無く、但だ、目に黒有るのみ。其の外のも、皆、白魚なり、「きすご」に非ず。「キスゴ」は大なる者、七、八寸にして、鱗、あり。時珍「食物本草」註に云はく、『膾殘魚、味、甘、平、無毒。中〔(ちゆう)〕を寛〔(くつろ)げ〕、胃を健〔かにし〕、水を利し、肺を潤〔(うるほ)〕し、欬〔(せき)〕を止む。乾し作〔(な)して〕、之れを食ふ。脾を補す』〔と〕。○江州の田上(たなかみ)・堅田〔(かたた)〕などに、冬月、之れを捕る。「冰魚(ひうを)」と云ふ。又、鰷-魚〔(あゆ)〕の苗〔(こ)〕、冬・春、海に在る者〔も〕亦、「冰魚」と謂ふべし。

[やぶちゃん注:条鰭綱新鰭亜綱原棘鰭上目キュウリウオ目シラウオ科シラウオ属シラウオ Salangichthys microdon(本邦に棲息する四種は後掲)。時に全くの別種であるスズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinae シロウオ Leucopsarion petersii と混同されるので、注意が必要(シロウオは正しくは漢字表記で「素魚」と表記し、シラウオ「白魚」とは区別されるが、素人は文字通り、素も白もいっしょくたにしてしまう)。孰れも死ぬと、白く濁った体色になって見分けがつきにくくなるが、生体の場合はシロウオ Leucopsarion petersii の方には体にわずかに黒い色素細胞があり、幾分、薄い黄味がかかる。主に参照したウィキの「シラウオ」の記載と、シロウオ漁で知られる和歌山県湯浅市公式サイトのちらのページが分かり易い。その図を見ても判然とするように、シラウオの口は尖っていて、体型が楔形をしていて鋭角的な印象であるのに対し、シロウオやそれに比較して全体が丸味を帯びること、シラウオの浮き袋や内臓がシロウオの内臓ほどにははっきりとは見えないこと、また形態的な大きな違いとして、シラウオには背鰭の後ろに脂びれ(背鰭の後ろにある小さな丸い鰭。この存在によってシラウオガアユ・シシャモ・ワカサギ(総てキュウリウオ目 Osmeriformes)などと近縁であることが分かる)があることが挙げられる(なお、「大和本草」の次項が、その「麵條魚(しろうを)となっている)。ウィキの「シラウオ」を引いておく。『東アジアの汽水域周辺に生息する半透明の細長い小魚で』、『体は細長いが、後ろに向かって太くなり尾びれの前で再び細くなるくさび形の体形である。死ぬと白く濁った体色になるが、生きている時は半透明の白色で、背骨や内臓などが透けてみえる。腹面に』二『列に並ぶ黒色の点があり、比較的、目は小さく口は大きい』。『従来の説では、シラウオは春に川の河口域や汽水湖、沿岸域など汽水域の砂底で産卵し、孵化した稚魚は翌年の春まで沿岸域でプランクトンを捕食しながら成長』し『、冬を越した成体は産卵のために再び汽水域へ集まって産卵するが』、『産卵した後は』♂♀ともに一『年間の短い一生を終えると考えられていた。しかし』、二〇一六『年現在、シラウオは産卵のために汽水域に集まるのではなく、汽水域で一生を過ごすという新しい説が提唱されている』。『古来より沿岸域へ産卵に集まる頃の成魚が食用に漁獲され、早春の味覚として知られる。かつては全国で漁獲された』。二〇一六『年現在、北海道、青森県、秋田県、茨城県、島根県などが主な産地となっており』、『比較的、東日本に多い。漁はシロウオと同じように』、『四角形の網を十字に組んだ竹で吊るした「四つ手網」がよく使われるが、霞ヶ浦などの大きな産地ではシラウオ用の刺し網や定置網などもある』。『日本のみならず、中国や東南アジアでも食用にされる。日本では高級食材として扱われている』。『シラウオは非常に繊細で』、『漁で網から上げて空気にふれると』、『ほとんどがすぐに死んでしまうため、生きたまま市場に出回ることはほとんどない』『(活魚として出回るシロウオとは対照的である。)』『料理方法としては、煮干し、佃煮、酢の物、吸い物、卵とじ、天ぷら、炊き込みご飯などがあげられる』。『また、刺身、寿司などとして生で食べることもある』。『江戸前寿司のネタとしては、コハダやアナゴとならんで最古参にあげられる』。但し、『シラウオは寄生虫(横川吸虫)の中間宿主となっている場合があるので』、『市販の生シラウオを含むシラウオの生食には注意を要する』。『少数の寄生では重篤な症状は出ないが、多数の寄生によって軟便、下痢、腹痛などの消化器障害が起こる可能性がある』。『シラオ、シラス、トノサマウオ、シロウオ、シロオ』などの別名を有する。『「トノサマウオ」』『は、野良仕事をしない領主(殿様)のきれいな手をシラウオになぞらえたものという説がある。また、細長く半透明の優美な姿から、女性の細くて白い指を「シラウオのような指」とたとえることがある。なお、シラウオは「銀魚」、「鱠残魚」という漢字を用いる場合もある』。『中国では銀魚、面條魚と呼ぶ』。『銀魚干(干し銀魚)、冷凍銀魚の形で販売される。太湖の銀魚は、白魚、白蝦』『と共に「太湖三白」として有名である』。『キュウリウオ目シラウオ科の魚は東南アジアから東シベリアまで』六属十四種『が分布している。なかには体長が』十五センチメートル『以上になる種類もいる』。『日本には』三属四種『が分布するが、アリアケシラウオとアリアケヒメシラウオは有明海周辺だけに分布している。この』二『種類は』、『分布が極めて局地的な上』、『絶滅寸前というところまで個体数が減っているため、どちらも絶滅危惧IA類(CR)(環境省レッドリスト)に指定されている』。

シラウオ Salangichthys microdon(体長八センチメートルほど。東シベリア・朝鮮半島・中国・日本(北海道~九州北部)に分布)

イシカワシラウオ Salangichthys ishikawae(体長八センチメートルほど。日本固有種で上記シラウオと同じく北海道から九州北部に分布。シラウオに似ており、漁獲・流通でも特にシラウオと区別しない)

アリアケシラウオ Salanx ariakensis(体長十五センチメートルほどにもなる大型のシラウオで、有明海と朝鮮半島に分布する。有明海沿岸域では漁獲・食用にされていたが、現在は漁獲が激減し、絶滅が心配されている)

アリアケヒメシラウオ Neosalanx reganius(体長五センチメートルほどのやや小型のシラウオで、丸い頭部とずんぐりした体型を持ち、別種のシロウオに似ている。有明海に注ぐ筑後川と熊本県の緑川及び緑川支流の浜戸川のみにしか分布しない日本固有種である。さらに二つの棲息地では体長や鰭の大きさなどに差があり、それぞれが独立した地域個体群と考えられている。川の下流域に棲息するが、食用にされていないにも関わらず、個体数が減り続けている。減少の理由は筑後大堰などの河川改修や汚染等による河川環境の変化と考えられている)

なお、以上四種は福岡から殆んど出ることがなかった益軒が実見し得る範囲内に総てが棲息している。なお、私の古い仕儀である、寺島良安和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚の「鱠殘魚(しろいを)」も是非、参照されたい。彼も後に掲げる「本草綱目」から抄出している。この表記から、シラウオ(或いは「鱠殘魚」の和訓)は江戸前中期には「しろいを」とも呼んでいたことが判る。

「鱠殘魚(しろうを)」(「鱠」は「なます」と和訓するが、細かく切った魚の生肉、即ち、刺身を指す(それらを酢に漬ける加工品は本邦での謂いである))この漢名は、中国古来の伝承で、春秋時代の呉の第六代の王闔閭(紀元前四九六年~紀元前四九六年:在位:紀元前五一四年から没年まで:名臣孫武・伍子胥らの助けを得て、呉を一大強国へと成長させ覇を唱えたが、越王勾践に敗れ、子の夫差に復讐を誓わせて没した)が大河(恐らくは長江)を舟で行く途中、魚鱠(なます)を食べ、その残りを川に捨てたところ、それが化して魚になったのを「鱠殘魚」と名付けたことによる。原文の一つは、「文選」に所収する、名編の誉れ高い、晋の左思「三都の賦」の一篇、「呉都賦」に「雙則比目、片則王餘。」(雙は、則ち、「比目(ひもく)」、片は、則ち、「王餘(わうよ)」。:両の目を並び持つ魚は「比目」と言い、片目しか持たない魚は「王餘」と言う。)に劉淵林が注した、「比目魚、東海所出。王餘魚、其身半也。俗云、越王鱠魚未盡、因以殘半棄水中爲魚、遂無其一面、故曰王餘也。」(「比目魚」は東海に出づる所のものなり。「王餘魚」は其の身、半なり。俗に云ふ、『越王、鱠魚(くわいぎよ)を未だ盡さざるに、因りて以つて、殘半を水中に棄つるに、魚と爲る。遂に、其の一面、無し。故に「王餘」と曰ふなり。』と。:比目魚は東海に産するものである。王餘魚はその魚体が丁度半分しかない。俗に伝えるところでは、『越王が膾(なます)にした魚を食べ尽くさないうちに(呉王が奇襲をかけてきたため)、その残りの半身を水中に棄てたところ、それが生きたまま魚となった。しかし、それは丁度その魚体の半分がなかった。故に王の余した魚と名づけたのである。』と。))(ここでは「越」王となっている)等がある。さても本邦ではこれをシラウオの漢名のように記すが、以上の狭義のシラウオ種群の現行の分布から考えて、その魚は本邦のシラウオではない。しかし、中文ウィキ「シラウオ科」(中文名「銀魚科」Salangidae)に古称を「鱠殘魚」としてあり、太湖・洪沢湖・巣湖・洞庭湖に棲息するとし、多くの種を挙げているが、例えば、太湖新銀魚 Neosalanx taihuensis とあるので、一部は同じシラウオ属ではあることは判る。

『本草に「王餘魚」とも「銀魚」とも云ふ』明の李時珍の「本草綱目」の「巻四十四」の「鱗之三」の「無鱗魚」に、

   *

鱠殘魚【「食鑑」。】

釋名王餘魚【「綱目」】。銀魚。時珍曰、按「博物志」云、王闔閭江行、食魚鱠、棄其殘餘於水、化爲此魚、故名。或又作越王及僧寶誌者、益出傅會、不足致辯。

集解時珍曰、鱠殘出蘇、松・浙江。大者長四五寸、身圓如筯、潔白如銀、無鱗、若巳鱠之魚、但目有兩黑。彼人尤重小者、曝乾以貨四方。淸明前有子、食之甚美。淸明後子出而瘦、但可作鮓腊耳。

氣味甘、平、無毒。

主治作羮食、寛中健胃【寗源。】

   *

とある。

『ほして、串にさしたるを「目ざし」と云ひ、遠くにをくる』う~ん、あの大きさのシラウオの「目刺し」って、作るの手間掛かりそう。でも、食べてみたい!

「貨(う)る」「賣る」(売る)に同じ。

「きすご」スズキ目スズキ亜目キス科 Sillaginidae のキス(鱚)類、或いは同科キス属シロギス Sillago japonica の別名である。

「鱗、無く」厳密には誤りである。シラウオには鱗は殆んどないが、の尻鰭より有意に大きいので性差判別のポイントとなる)の基底部付近に尻鰭鱗がある大阪府立環境農林水産総合研究所公式サイトシラウオページの画像で視認出来る。

「中」漢方で言う仮想の体内概念である「中焦(ちゅうしょう)」であろう。上・中・下の三焦の中部。脾胃(ひい:胃の機能を助ける仮想器官群概念)を包括した概念で、消化吸収及び腸管への伝送を行い、気血生化の源とする。

「欬〔(せき)〕」「咳」。

「江州の田上(たなかみ)」現在の大津市の瀬田川が琵琶湖から流れ下る、附近の広域旧地名(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。但し、非常な問題がある。次注参照。

「堅田」滋賀県大津市堅田た)であるが、ここで益軒は「冰魚(ひうを)」=シラウオと認識しているが、これはシラウオではない。そもそもが完全な淡水である琵琶湖やそこから出る瀬田川の上流部に汽水産のシラウオがいるはずがないのである。琵琶湖で現在も「氷魚(ひうお)」と呼ばれる殆んど透明な小さな魚はいる。しかしそれは、二~三センチメートルほどの稚鮎(ちあゆ:条鰭綱キュウリウオ目キュウリウオ亜目キュウリウオ上科キュウリウオ科アユ亜科アユ属アユ Plecoglossus altivelis の幼魚)を指すのである。また、やっちゃいましたね、益軒先生。

「鰷-魚〔(あゆ)〕」現行では多くの場面で「鰷」を「はや」(複数種の川魚を指す総称)と読むが、益軒はアユをこれに当てる。「和漢三才図繪会」でも寺島良安は「鰷」を「あゆ」と読んでいる。

「苗〔(こ)〕」幼魚・若魚。]

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