蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 朱のまだら
朱のまだら
日射(ひざ)しの
綠(みどり)ぞここちよき。
あかしや
並(な)みたつ樹蔭路(こかげみち)。
よろこび
あふるる、それか、君(きみ)、
彼方(かなた)を、
虛空(こくう)を夏(なつ)の雲(くも)。
あかしや
枝(えだ)さすひまびまを
まろがり
耀(かがや)く雲(くも)の色(いろ)。
君(きみ)、われ、
二人(ふたり)が樹蔭路(こかげみち)、
綠(みどり)の
匂(にほ)ひぞここちよき。
軟風(なよかぜ)
あふぎて、あかしやの
葉(は)は皆(みな)
たゆげに飜(ひるがへ)り、
さゆらぐ
日影(ひかげ)の朱(しゆ)の斑(まだら)、
ふとこそ
みだるれわが思(おもひ)。
君(きみ)はも
白帆(しらほ)の澪入(みをい)りや、
わが身(み)に
あだなる戀(こひ)の杙(かし)。
軟風(なよかぜ)
あふぎて澪(みを)逸(そ)れぬ、
いづくへ
君(きみ)ゆく、あな、うたて。
思(おも)ひに
みだるる時(とき)の間(ま)を
夏雲(なつぐも)
重(おも)げに崩(くづ)れぬる
綠(みどり)か、
朱(しゆ)か、君(きみ)、あかしやの
樹(こ)かげに
あやしき胸(むね)の汚染(しみ)。
[やぶちゃん注:初出は『月刊スケッチ』明治三八(一九〇五)年八月号で、中央公論社「日本の詩歌」第二巻の解説によれば、本詩集「有明集」『所収の作品では、最初期のものに属する』とある。その解説では、先行する詩集「春鳥集」(明治三十八年七月本郷書院刊)の自序から以下を引く(恣意的に漢字を正字化した)。『時としては諸官能倦じ眠りて、ひとり千歲を癈墟に埋もれし古銅のごときを覺ゆることあり。あるいは〈朱を看て碧と成し〉て美を識(し)ることあり』。また、後の「有明詩集」大正一一(一九二二)年アルス刊)の自注の以下も引く。『アカシヤという植物を全く誰も注意しないが、なかなか好い風情のものである。明治何年ごろのことか、ゴムの木と違って、はじめて東京に輸入されてから、よく見附内などにごたごたと植えられてあった。それが何時(いつ)の間にか引き抜かれてしまった』。解説では最後に、比較文学者・英米文学者で北原白秋門下でもあった『島田謹二は白秋の詩篇「片恋」』の論考『の中で、東京の詩人有明がいち早くアカシヤを歌ったことが、木下杢太郎や白秋たちに、都会美の象徴としてこの木を採り上げさせるきっかけとなった、という(『近代比較文学』)』ともあった。
「あかしや」底本は実は第一連三行目は「あやしや」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説によれば、本底本には『致命的な誤植』が実に『二十三ケ所に亙ってみとめられるが、幸い解説者が有明から直接に示されていた正誤表がある』とされた上、その正誤一覧表が掲げられている。詩篇の鑑賞を妨げるもので、しかも詩人自身が作成した正誤表であるからして、向後は、これに載るものは本文を訂して示すこととする。マメ目マメ科ネムノキ亜科アカシア属 Acacia に属するアカシア類。ウィキの「アカシア」では、『日本では関東以北では栽培が困難であるものが多い。比較的温暖な所で栽培されるもの』として七種を挙げているのでそちらを見られたい。
「並(な)みたつ」底本は「並(な)みたち」。同前正誤表により特異的に訂した。
「匂(にほ)ひぞここちよき。」底本は「匂(にほ)ひここちよき。」。同前正誤表によって特異的に訂した。
「白帆(しらほ)の澪入(みをい)りや、」では「澪」(河川や海で船が航行する水路・航路)に入るの意の熟語として採り、かく読みを附したが、次の連の「あふぎて澪(みを)逸(そ)れぬ、」では、二行後の「君(きみ)ゆく、あな、うたて。」の韻律と対になっており、熟語ではないので、かく分けて読みを振った。
「あだなる戀(こひ)の杙(かし)」「杙(かし)」は杭・株(くひぜ(くいぜ))で、前の「澪入り」に河川の棒杭を擬えた縁語。杭から舫いを解いて澪入りしてしまった舟(「君」)は「杙」は見ても浅瀬の制水域なればこそ、近づいては来ぬ。それは結局、舟とは、最早、「あだなる」(徒なる)もの、儚く直接的には無縁なものとなっているのである。]
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