大和本草卷之十三 魚之上 麵條魚(しろうを) (シロウオ)
【外】
麵條魚 本草ニノセス潛確類書及河閒府志ニノセタリ
長一二寸鱠残ヨリ小ナリ甚潔白ナリ是亦白ウ
ヲト云三月海ヨリ川ニ多ク上ル漁人梁ヲ以テ多クトル四
月以後ハ無之味膾残魚ニ不及トイヘ𪜈新シキハ味頗
美ナリ處〻ニ多シ又白小トモ云杜子美白小ノ詩曰
天然二寸魚又名之曰白小白小モ麪條魚ナリト
潛確類書ニイヘリ味淡ク乄ヨノツネノ病人ニ無妨甘平
無毒寬中健胃合生薑作羹佳只産婦ニハ食ハシムベ
カラス有害ト云氣ヲ上スル性アルハ順水流而上故ナリ
○やぶちゃんの書き下し文
【外】
麵條魚(しろうを) 「本草」にのせず。「潛確類書」及び「河閒府志」にのせたり。長さ一、二寸、〔前條の〕鱠残魚(しろうを)より、小なり。甚だ潔白なり。是れも亦、「白うを」と云ふ。三月、海より、川に多く上〔(のぼ)〕る。漁人、梁〔(やな)〕を以つて多くとる。四月以後は、之れ、無し。味、膾残魚に及ばずといへども、新しきは、頗〔(すこぶ)〕る美なり。處々に多し。又、「白小〔(ハクシヨウ/しろこ)〕」とも云ふ。『杜子美、「白小」の詩に曰はく、「天然 二寸の魚」〔と〕。又、之れを名づけて「白小」と曰〔(い)〕ふ。「白小」も麪條魚〔(しろうを)〕なり』と「潛確類書」にいへり。味、淡くして、よのつねの病人に妨げ無し。甘、平。毒、無し。中〔(ちゆう)〕を寬〔(くつろ)〕げ、胃を健す。生薑〔(しやうが)〕に合はせ、羹〔(あつもの)〕と作〔(な)せば〕、佳〔(よ)〕し。只だ、産婦には食はしむべからず、害、有ると云ふ。氣を上〔(じやう)〕する性あるは、水流に順ひて上〔(のぼ)〕る故なり。
[やぶちゃん注:こちらは条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinaeシロウオ属シロウオ Leucopsarion petersii である。ウィキの「シロウオ」によれば、『透明な体の小魚で、日本、朝鮮に分布し、食用に漁獲される』。条鰭綱新鰭亜綱原棘鰭上目キュウリウオ目シラウオ科シラウオ属シラウオ Salangichthys microdon とは生態や姿が似ており、混同しやすいが(実際には生魚は素人が見ても明らかに違う種と判る)、全く異なった種であり、分布も異なっている。その分布・生態・識別等は、前条の「大和本草卷之十三 魚之上 鱠殘魚(しろうを)(シラウオ)」の私の注を参照されたい。『日本での地方名としてヒウオ(氷魚。茨城・徳島)、イサザ(北陸)、ギャフ(伊勢湾沿岸)、シラウオ(関西・広島)などがある。関西地方などでの呼称は、シラウオ科のシラウオとの混称。また、北陸地方での呼称イサザは、琵琶湖産ハゼの一種の標準和名に充てられていて、琵琶湖で氷魚はアユの稚魚を指す』(寧ろ、地方名や流通での名前の混乱の方が有意に問題がある。なお、最後の部分は前条の私の注で説明した通り、益軒は致命的な大誤認をして「シラウオ」のこととしている)。『朝鮮では標準名で「死白魚』『」(サベゴ)と呼ばれるが、死ぬと白く変色することによる』。『英語では氷のハゼを意味するice gobyと呼ばれる』。『成魚は全長』五センチメートル『ほどで、細長い円筒形の体形をしている。体はわずかに黒い色素細胞がある以外はほぼ透明で、眼球・うきぶくろ・脊椎等が透けて見える。ただし死ぬと体が白く濁ってしまい、体内の構造は見えなくなる。メスは腹部に黒い点が』一『列に並ぶのでオスと区別できる。吻は丸く、口は眼の後ろまで裂け、下顎が上顎より前に突き出る。顔つきはハゼ類の特徴がよく現れている』。『ハゼ科の魚は背鰭が二つあることと腹鰭が吸盤状になっているのが特徴だが、シロウオの背鰭は一つしかなく、腹鰭はごく小さい。また鱗も側線もない。充分に成長しても仔魚のような特徴を残すことからプロジェネシス』(プロジェネシス(progenesis/paedogenesis:早熟・前発生:動物に於いて性的性徴・発達が加速される現象。ネオテニー(neoteny:幼態成熟:性的に完全に成熟した個体であるにも拘わらず、非生殖器官に未成熟な幼生時・幼体時の性質が残る現象)の対語)『と考えられている。ハゼ科の中では形態が特異な種類として位置づけられ』、一属一種の単型である。『北海道南部から九州南部までと朝鮮半島南部の慶尚南道周辺』『に分布する。南西諸島には分布しないが、奄美大島からの報告がある』。『日本に生息する個体は遺伝的に異なる地理的集団を形成しており』、『「日本海系統」「太平洋系統」に分けられる。また、瀬戸内海域は日本海系と太平洋系統が混合していると報告されている』。『通常は沿岸の浅い海に生息し、プランクトンを捕食しながら生活しているが、早春には成魚が川の下流域に遡上して産卵する。成魚は河口で群れをなし、満潮時の上げ潮に乗って川をさかのぼる。汽水域上限から淡水域にかけての、転石が多い区域に辿り着くと群れは解消される。一夫一妻・』一『回限りの繁殖様式とされ』一~三ミリメートル『程度の礫質底に』、『オスは各々が石の下に潜り込んで産卵室を作り、メスを誘って産卵させる。メスは産卵室の天井に長径』三ミリメートル『ほどの細長い水滴形の卵を約』三百『個産卵する。海水では孵化しない』。『産卵・受精後はオスが巣に残り、孵化するまでの』二『週間ほど何も食べずに卵を保護する。寿命は約』一『年で、メスは産卵後に、オスも卵が孵化した後に死んでしまう。孵化する仔魚は全長』五ミリメートル『ほどで、すぐに川の流れに乗って海へ下る』。『古来より川の下流域へ集まる頃の成魚が食用に漁獲され、早春の味覚として知られる。食用以外にはメバル等の肉食魚の釣り餌としても利用される』。『漁には十字に組んだ竹』二『本で四角形の網を吊るした四手網が全国的によく使われる。網を川底に吊るし、シロウオの群れが網の上を通過したときに一気に引き上げて漁獲するもので、早春の下流域で四手網を繰り出す様は春の風物詩ともなっている。他に地引網や簗』(やな:後注する)『などでも漁獲される。簗漁が行われる地域は日本各地にあるが、福岡市の室見川下流におけるシロウオの簗漁は江戸時代からの伝統があり、マスコミで取り上げられる機会も多い。南三陸町の伊里前川では川に幾何学状に積み上げた「ザワ」と呼ばれる石垣の隅におい込んで捕獲する漁をしているが、これは戦後発達した漁法で近隣地域に見られないため』、『近年「しろうお祭」と称される祭が開催されるようになった』。『近年、日本では高級食材として扱われている。死ぬと著しく風味が落ちるとされるため、流通する際は、水と酸素を充填したポリ袋に入れるなどして、殺さないように注意が払われる』。『生のシロウオを軍艦巻の寿司種にしたり、生きたまま』、『ポン酢などで食べる踊り食いなどで生食が広がりつつある。踊り食いや生食については河川の細菌や寄生虫(横川吸虫)など、衛生上の問題が一部で指摘されている。他に、天ぷら、卵とじ、吸い物の椀種、ニンジンなどと共に炊く炊き込みご飯などの料理が伝統的に食べられている』。『朝鮮では、慶尚南道や釜山でフェやムルフェと呼ばれる酢、トウガラシなどで味を付けて生食する料理や、和え物、チヂミの類、スープなどとして食べられる』とある。
「麵條魚」「麵」は言わずもがな、小麦粉をこね伸ばした食用に生地の意。後の「麪條魚」の「麪」は「麵」の異体字。
『「本草」にのせず』明の李時珍の「本草綱目」。
「潛確類書」「潜確居類書」とも。明代の学者陳仁錫(一五八一年~一六三六年)が編纂した事典。
「河閒府志」この別名で最も知られる、明の樊深の撰になる「嘉靖河間府志正徳大名府」か。現在の河北省滄州市河間市附近(グーグル・マップ・データ)の地方誌であるが、同様の別名で全くの別書もあるので確かではない。しかし、この河間市は東の渤海湾から直線でも八十五~百キロメートル以上離れた内陸であり、そこに記される「麵條魚」は降海性であるシロウオ(基本的には海水魚であるが、卵は海水では孵化せず、淡水域でも棲息は出来るが、成魚は海に下る)の近縁種(中国には本邦のシロウオは棲息しない)であるとは私には思われない。ハゼ科 Gobiidae 或いはゴビオネルス亜科 Gobionellinae の別種、或いは全く違う種であろう。中文サイトで以下に掲げる杜甫の「白小」を見ると、確かに、注で「白小」が現在の「面条魚」であるとするが、中文サイトで「面白魚」を見ると、漢名を「玉筋魚」とし、これは現在の条鰭綱スズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科イカナゴ属イカナゴ Ammodytes personatus である。しかも、またまた面倒なことに、イカナゴは沿海性であって、河間市まで溯ることは考え難い。イカナゴ科 Ammodytidae は総て海水魚であるから、その仲間という訳にもいかない。ただ、これは「河閒府志」と「麵條魚(しろうを)」の連関に於ける致命的齟齬であって、後掲される杜甫の「白小」は、ここで詠まれたものではないから、問題はないと言えば言えるのである(ただ、中国にはシロウオは棲息しないし、後で注するように、杜甫の「白小」も詠まれた場所からシロウオどころかイカナゴの仲間でさえ実は、ない)。明代に「麵條魚」と呼ばれたシロウオとは全く異なる淡水魚が如何なるものであるのかが、私の疑問として残るのみではある。
「鱠残魚(しろうを)」前条「大和本草卷之十三 魚之上 鱠殘魚(しろうを)(シラウオ)」を参照。
「梁〔(やな)〕」「簗」に同じ。川などの瀬に杭 などを八の字形に並べ、水をせき止めて一ヶ所を開けて、そこに梁簀 (やなす:篠竹を編んで作った簀(すのこ)。河川の魚道に張り立てて魚を捕らえるための装置。) を張って流れてくる魚を受けて捕る仕掛け。上り梁・下り梁などがある。
「白小〔(ハクシヨウ/しろこ)〕」読みは、前のシラウオと区別するために私が勝手に附した。
『杜子美、「白小」の詩に曰はく、「天然二寸の魚、又、之を名づけて白小と曰〔(い)〕ふ」〔と〕。「白小」も麪條魚なり』と「潛確類書」にいへり原典の記載を国立国会図書館デジタルコレクションの画像で調べた。ここである。杜甫の五言律詩「白小はくしやう)」は以下。所持する一九六六年岩波文庫刊の鈴木虎雄・黒川洋一校注「杜詩」(第六冊)に拠ったが、訓読の一部は私の趣味で変えてある(「生成猶捨卵」は「生成猶拾卵」であるのを、校注者が一本に作る「捨」の字の方を採用した)。
*
白小
白小羣分命
天然二寸魚
细微霑水族
風俗當園蔬
入肆銀花亂
傾筐雪片虛
生成猶捨卵
盡取義何如
白小
白小も羣(みな)命(めい)を分かつ
天然 二寸の魚
细微にして 水族を霑(うる)ほす
風俗 園蔬(えんそ)に當(あ)つ
肆(みせ)に入れば 銀花 亂れ
筐(かご)を傾くれば 雪片 虛(むな)し
生成 猶ほ 卵(らん)を捨(お)くといふ
盡(ことごと)く取るは 義 何如(いかん)
*
これは中文サイトの解説に拠れば、七六六年、杜甫が寓居していた夔州(きしゅう)での詠とする。夔州(現在の重慶市附近)は中国の南部のど真ん中の内陸であり、シロウオやイカナゴの仲間とは無縁である。「白小」に校注者は安易にも『しらうおの類であろう』とするが、内陸のここではそれらであろうはずがないのである。「水族を霑(うる)ほす」他の水族の餌となる。「風俗」夔州のそれ。「園蔬(えんそ)に當(あ)つ」陸の畑の野菜の代わり、食事の「あて」にする、の意。「肆(みせ)」音「シ」で、店・市場の意。「銀花」その透き通った瑞々しく美しい「白小」魚の換喩。「筐(かご)」本来は「はこ」だが、「白小」を入れた籠の意で当て訓した。「雪片」「銀花」同様、「白小」魚の換喩。「生成 猶ほ 卵(らん)を捨(お)くといふ」「捨(お)く」は「置く」で、卵を取らずにおく、の意と校注者は注し、以下、最後の二句を、『(ただ』、『ものはいたわって用うべきものである)物の生成からいうと』、『鳥の卵でさえもこれを』、『すておいて』、『取らぬというのが聖人の仁徳である』。『しかるにこの魚をここの人』々『はすっかり取り尽くすようであるが』、『それはどういうわけである』の『か』? それはまさに『仁』の『意にそむいた』仕方『ではないか』? と訳しておられる。意味は腑に落ちる。達意の訳としては瑕疵は全くない。しかし、何となく、ここまでまさにテツテ的に、まさに籠の目の間の「白小」まで浚い取って現代語訳してしまうと、少し、淋しい気が私はするのである。
*
「中」漢方で言う仮想の体内概念である「中焦(ちゅうしょう)」であろう。上・中・下の三焦の中部。脾胃(ひい:胃の機能を助ける仮想器官群概念。後の「胃」もそれで現代医学の内臓としての「胃」とは概念が異なるので注意)を包括した概念で、消化吸収及び腸管への伝送を行い、気血生化の源とする。
「羹〔(あつもの)〕」暖かい煮込みスープ。
「氣を上〔(じやう)〕する性あるは、水流に順ひて上〔(のぼ)〕る故なり」「順ひて」は不審。「(食すと)人の陽気を盛んにさせる性質がこの魚にあるのは、水の流れに逆らって川を溯る習性に基づくのである」の意であろう。所謂、フレーザーの言う類感呪術的解釈である。]