蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 不安
不 安
人(ひと)は今(いま)地(ち)に俯(ふ)してためらひゆけり、
疎(うと)ましや、頸垂(うなだ)るる影(かげ)を、軟風(なよかぜ)
搔撫(かいな)づるひと吹(ふき)に、桑(くは)の葉(は)おもふ
蠶(かいこ)かと、人(ひと)は皆(みな)頭(かうべ)もたげぬ。
何處(いづこ)より風(かぜ)は落(お)つ、身(み)も戰(おのゝ)かれ、
我(われ)しらず面(おも)かへし空(そら)を仰(あふ)げば、
常(つね)に飢(う)ゑ、饜(あ)きがたき心(こゝろ)の惱(なや)み、
物(もの)の慾(よく)、重(おも)たげにひきまとひぬる。
地(ち)は荒(あ)れて、見(み)よ、ここに「饑饉(ききん)」の足穗(たりほ)、
うつぶせる「人(ひと)」を誰(た)が利鎌(とがま)の富(とみ)と
世(よ)の秋(あき)に刈(か)り入(い)るる、噫(ああ)、さもあれや、
畏(おそ)るるはそれならで天(あめ)のおとづれ。
たまさかに仰(あふ)ぎ見(み)る空(そら)の光(ひかり)の
樂(がく)の海(うみ)、浮(うか)ぶ日(ひ)の影(かげ)のまばゆさ、
戰(おのゝ)ける身はかくて信(しん)なき瞳(ひとみ)
射(い)ぬかれて、更(さら)にまた憧(あくが)れまどふ。
何處(いづこ)へか吹(ふ)きわたり去(い)にける風(かぜ)ぞ、
人(ひと)は皆(みな)いぶせくも面(おもて)を伏(ふ)せて、
盲(めし)ひたる魚(うを)かとぞ喘(あへ)げる中(なか)を
安(やす)からぬわが思(おもひ)、思(おもひ)を食(は)みぬ。
失(うしな)ひし翼(つばさ)をば何處(いづく)に得(う)べき、
あくがるる甲斐(かひ)もなきこの世(よ)のさだめ、
わが靈(たま)は痛(いた)ましき夢(ゆめ)になぐさむ、
わが靈(たま)は、あな、朽(く)つる肉(しゝむら)の香(か)に。
[やぶちゃん注:「蠶(かいこ)」及び「戰(おのゝ)かれ」と「戰(おのゝ)ける」のルビは孰れもママ。
第一連の後半はやや判り難いが、「軟風(なよかぜ)」が「搔撫(かいな)づるひと吹(ふき)に」→「人(ひと)は皆(みな)頭(かうべ)もたげ」、それは「桑(くは)の葉(は)おもふ」「蠶(かいこ)」のようではない「かと」思う、という比喩である。後の「有明詩抄」では、この一連目を次のように改変している。
*
人は今地(ち)に俯(ふ)してためらひ行けり。
鈍(おぞ)ましや、そよと吹く風の一吹(ひとふき)、
それにだに怯(おび)えつる蠶(かひこ)の如く、
人はひとむきに頭(かしら)擡(もた)げぬ。
*
達意の表現になっていて意味としては腑に落ちるものの、シンボリックな自在に振り回すようなカメラ・ワークが、凡庸な定点カメラのリアリズムに変質してしまい、人(=「我」)の心の電気ショックのように感じ怯える感覚が、全く伝わって来ない。この一連だけでも全体が散文的にしか感知できなくなって瘦せ細っていることがお判り戴けるものと思う。これが有明の致命的な改悪癖の実態である。
第三連は全体に意味がとり難いのであるが、要は、本詩篇が純粋に詩人の落魄(おちぶ)れた魂の心象風景であると割り切って見渡せば、腑に落ちる。そのために有明は「饑饉(ききん)」(=詩人独りの絶対の心の飢え)と「人(ひと)」(=孤独な詩人である自分)に鍵括弧を附したのである。「誰(た)が地(ち)は」誰のものでもない自分一人の孤独な「心」という土地の「荒」蕪であり、「饑饉」なのである。そうしたイマージュの中なれば、「飢饉」の畑に「足穗(たりほ)」が垂れていてよい。しかしその稲穂には実など一かけらもないのではないか――私の空ろな心のように――そんなにまで打ちひしがれて「うつぶせる」「人(ひと)」である惨めな「我」「を誰(た)」れが「利鎌(とがま)の富(とみ)と」呼ぶというのか? 私の精神の土地は不毛なのだ、「世(よ)の秋(あき)に刈(か)り入(い)るる」秋の稔りだって?! 「噫(ああ)、さもあれや」、それはそれ、私の心の土地の〈絶対の飢え〉とは無縁のことだ。そうさな、農夫の「畏(おそ)るる」の「は」、「それ」(魂の枯渇)ではなくて「天(あめ)のおとづれ」、二百十日の大雨と嵐の来襲か。私の心にもそれは来る、いや、もう来ている、と詩人は言うのではないか? だからこそ「わが靈(たま)は、あな、朽(く)つる肉(しゝむら)の香(か)に。」とコーダするのではないかと私は読む。大方の御叱正を俟つものではある。]