蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 茉莉花
茉 莉 花
咽(むせ)び嘆(なげ)かふわが胸(むね)の曇(くも)り物憂(ものう)き
紗(しや)の帳(とばり)しなめきかかげ、かがやかに、
或日(あるひ)は映(うつ)る君(きみ)が面(おも)、媚(こび)の野(の)にさく
阿芙蓉(あふよう)の萎(ぬ)え嬌(なま)めけるその匂(にほ)ひ。
魂(たま)をも蕩(た)らす私語(さゝめき)に誘(さそ)はれつつも、
われはまた君(きみ)を擁(いだ)きて泣(な)くなめり、
極祕(ごくひ)の愁(うれひ)、夢(ゆめ)のわな、――君(きみ)が腕(かひな)に、
痛(いた)ましきわがただむきはとらはれぬ。
また或宵(あるよひ)は君(きみ)見(み)えず、生絹(すずし)の衣(きぬ)の
衣(きぬ)ずれの音(おと)のさやさやすずろかに
ただ傳(つた)ふのみ、わが心(こゝろ)この時(とき)裂(さ)けつ、
茉莉花(まつりくわ)の夜(よる)の一室(ひとま)の香(か)のかげに
まじれる君(きみ)が微笑(ほほゑみ)はわが身(み)の痍(きず)を
もとめ來(き)て沁(し)みて薰(かを)りぬ、貴(あて)にしみらに。
[やぶちゃん注:中央公論社「日本の詩歌」第二巻の解説によれば、本篇は明治四〇(一九〇七)年十月号『新思潮』創刊号(小山内薫による第一次)初出とある。
「茉莉花」(まつりか)はジャスミン茶として知られる、被子植物門双子葉植物綱シソ目モクセイ科ソケイ(素馨)属マツリカ Jasminum sambac。常緑半蔓性灌木で、インド・スリランカ・イラン・東南アジアなどに自生する。参照したウィキの「マツリカ」によれば、『サンスクリットのマリカー』『が語源』で、『中国語では(双瓣)茉莉、インドネシア語・マレー語ではムラティ』、『フィリピン語ではサンパギータ』、『ヒンディー語ではモグラ』、『ハワイ語ではピカケ』『で、日本でもこれらの名で呼ばれることがある』。『花は香りが強く、ジャスミン茶(茉莉花茶)などに使われる。ジャスミン茶は、マツリカの花冠で茶葉を着香する。ハーブオイルやお香などにも使われる』とある。「夜の一室の」とあるから、鉢植えのそれである。
「阿芙蓉」キンポウゲ目ケシ科ケシ属ケシ Papaver somniferum 或いはその仲間のケシ(芥子・opium poppy)類の別名。所謂、極めて危険な麻薬「アヘン」(阿片/鴉片/opium(オピウム))を採取する(実から採取される果汁を乾燥させたもの)あれである。ウィキの「アヘン」によれば、『アヘンの名の由来は、英語名opiumの中国語の音訳である阿片(拼音:a piàn』(アー・ピエン)『を音読みしたもので』、『明代の中国、江戸時代の日本では』、「阿芙蓉(あふよう)」『と書いた』とある。ここは表現上はその生花の萎び饐えた匂いなのであるが、そこには陰(いん)にアヘンの匂いも漂うよう、確信犯でこの花が選ばれていると読むべきであろう。
「蕩(た)らす」誑(たぶら)かす。「誑す」も「たらす」と訓ずる。
「われはまた君(きみ)を擁(いだ)きて泣(な)くなめり」かつて大学の国語学の講義や、高校の古文を教えていて、激しく不満であり、今も不満であり続けるのは、「なめり」はそう書いてあっても「なんめり」と読まなければならない、という奇妙な鉄則である。ここでそう読んだら、その輩はインキ臭い教条主義に溺れた鼻高の糞アカデミストでしかなく、死ぬまで永久に詩や文学は判らぬであろう。
「ただむき」「腕(ただむき)」で、これは肘(ひじ)から手首までの間の部分を指す、狭義の「腕(うで)」である。「腕」を「かいな(歴史的仮名遣:かひな)と読んだ場合は、狭義には、その上部である「肩から肘までの二の腕」を指す(広義には「肩から手首までの間」の用法もある)。
「しみらに」「繁みらに」。副詞で「ひまなく連続して・一日中」の意。「しめらに」とも書き、万葉以来の古語。]