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« 和漢三才圖會卷第三十七 畜類 駱駝(らくだのむま) (ラクダ) | トップページ | 蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 淨妙華 »

2019/02/27

和漢三才図会巻第三十八 獣類 始動 /目録・麒麟(きりん) (仮想聖獣)

寺島良安「和漢三才図会」の「巻三十八 獣類」の電子化注を、新たにブログ・カテゴリ「和漢三才図会巻第三十八 獣類」(今回よりカテゴリ・タイトル表示のそれのみは新字とすることとした。無論、今まで通り、中身は正字正仮名である。特に大きな理由はないが、今までのものの「漢」の字であるべきところが「漢」であるのに、ふと、嫌気がさしたからではある。いや、そもそもが良安の「漢」の字は「漢」の(つくり)中央上の部分が中心を貫かず、「口」になってしまっている間の抜けた字体でさえあるのである)を起こして始動する。

私は既に、こちらのサイトHTML版で、

卷第四十  寓類 恠類

及び、

卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類

卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類

卷第四十七 介貝部

卷第四十八 魚部 河湖有鱗魚

卷第四十九 魚部 江海有鱗魚

卷第五十  魚部 河湖無鱗魚

卷第五十一 魚部 江海無鱗魚

及び

卷第九十七 水草部 藻類 苔類

を、また、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 蟲類」で、

卷第五十二 蟲部 卵生類

卷第五十三 蟲部 化生類

卷第五十四 蟲部 濕生類

を、新しいものとして、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 鳥類」で、

卷四十一 禽部 水禽類

卷四十二 禽部 原禽類

卷四十三 禽部 林禽類

卷四十四 禽部 山禽類

を、そして直近の最新のものとして、

卷三十七 畜類

を完全電子化注している。余すところ、同書の動物類は「卷三十八 獸類」「卷三十九 鼠類」の二巻のみとなった。思えば、私が以上の中で最初に電子化注を開始したのは、「卷第四十七 介貝部」で、それは実に十二年半前、二〇〇七年四月二十八日のことであった。当時は、偏愛する海産生物パートの完成だけでも、正直、自信がなく、まさか、ここまで辿り着くとは夢にも思わなかった。それも幾人かの方のエールゆえであった。その数少ない方の中には、チョウザメの本邦での本格商品化飼育と販売を立ち上げられながら、東日本大地震によって頓挫された方や、某国立大学名誉教授で日本有数の魚類学者(既に鬼籍に入られた)の方もおられた。ここに改めてその方々に謝意を表したい。

 総て、底本及び凡例は以上に準ずる(「卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の冒頭注を参照されたい)が、HTML版での、原文の熟語記号の漢字間のダッシュや頁の柱、注のあることを示す下線は五月蠅いだけなので、これを省略することとし、また、漢字は異体字との判別に迷う場合は原則、正字で示すこととする(この間、文字コードの進歩で多くの漢字を表記出来るようになったのは夢のようだ)。また、私が恣意的に送った送り仮名の一部は特に記号で示さない(これも五月蠅くなるからである。但し、原典にない訓読補塡用の字句は従来通り、〔 〕で示し、難読字で読みを補った場合も〔( )〕で示した。今までも成した仕儀だが、良安の訓点が誤りである場合に読みづらくなるので、誤字の後に私が正しいと思う字を誤った(と判断したもの)「■」の後に〔→□〕のように補うこともしている(読みは注を極力減らすために、本文で意味が消化出来るように、恣意的に和訓による当て読みをした箇所がある。その中には東洋文庫版現代語訳等を参考にさせて戴いた箇所もある)。原典の清音を濁音化した場合(非常に多い)も特に断らない)。ポイントの違いは、一部を除いて同ポイントとした。本文は原則、原典原文を視認しながら、総て私がタイプしている。活字を読み込んだものではない(私は平凡社東洋文庫版の現代語訳しか所持していない。但し、本邦や中文サイトの「本草綱目」の電子化原文を加工素材とした箇所はある)。【2019年2月27日始動 藪野直史】 

 

和漢三才圖會卷第三十八目録

  獸類

[やぶちゃん注:以下は原典では三段組で字は大きい(目録では今までも大きくしていないので、ここもそれに従う)。ここではルビは原典通りのひらがな或いはカタカナを一緒に示した。ここでは一部の不審を持たれるであろう箇所を除いて、注しない。]

麒麟(きりん)

獅子(しゝ)

獬豸(かいち)

白澤(はくたく)

虎(とら)

騶虞(すうぐう)

駮(ばく)

(こく) 【黃腰獸】

豹(ひやう))

貘(ばく) 【喫鐡獸】

[やぶちゃん注:本文では附録のそれは「囓鐡獸」とする。]

狡兎(かうと)

(つつか)

[やぶちゃん注:(つくり)が「恙」でお判りの通り、ツツガムシ(恙虫)病を媒介する仮想生物の一つとして措定されたものである。節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱ダニ目ツツガムシ科 Trombiculidae のツツガムシ病のリケッチア(正式学名:真正細菌界プロテオバクテリア門 Proteobacteria アルファプロテオバクテリア綱 Alphaproteobacteria リケッチア目 Rickettsiales リケッチア科Rickettsiaceae オリエンティア属オリエンティア・ツツガムシ Orientia tsutsugamushi)を媒介するのがダニの一種として推定されるに至るのは近世後期以降のことであり、それ以前は仮想された「恙蟲」に相当する生物が有象無象存在した。これもその一つである。但し、それは必ずしも「ツツガムシ病」のみを指すのではなく、多くの風土病や見かけ上の原因不明の疾患や死に至る病いがそれとされたことは言うまでもない。私は例えば、「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 沙虱(すなじらみ)」等を、その媒介想定生物(これはかなり実際の特定のツツガムシに接近している)の一つに比定している。この当該項はごく短いが、そこでまた、たっぷりと私のマニアックな考証に付き合っていただこうと考えている。]

象(ざう)

犀(さい)

一角(うんかうる)

[やぶちゃん注:ルビは言わずもがな、幻獣一角獣「ウニコール」(ポルトガル語:unicorne/英語:unicorn:ヨーロッパの伝説上の動物で馬体であるが、頭部にねじれた一本の角を有し、その角には解毒する力があると信じられたあれ)の訛りである。]

犛牛(りぎう)

牛(やぎう)

[やぶちゃん注:「やぎう」はママ。本文では「もうぎう」である。]

野猪(ゐのしゝ)

野馬(やまむま)

豪豬(やまあらし)

熊(くま)

羆(しくま)

[やぶちゃん注:「しくま」の読みはこの現行のヒグマを表わす漢字の「羆」を上下に分解して「四」(し)と「熊」(くま)で読んだことに由来する。七世紀には既に「ひぐま」の発音は見られるものの、近世までは本字(本種ヒグマ)は「しくま」もしくは「しぐま」の呼称の方が一般であった。]

羊(かもしか)

山羊(やまひつし)

鹿(しか)

麋(おほしか) 【雙頭鹿】

麈(しゆ)

麂(こびと)

麞(くじか)

麝(しや) 【麝香(ジヤカウ)】

麝貓(じやかうねこ)

猫(ねこ)

狸(たぬき)

風狸(かぜたぬき)

狐(きつね)

狢(むじな)

貒(み)

貛(くわん)

木狗(もつく)

犲(さい) 【やまいぬ】

狼(おほかみ)

黒眚(しい)

[やぶちゃん注:原典はどう見ても「生」(上)+「月」(下)であるが、表示出来ない。中文・和文サイトを縦覧して校合したところ幼獣に「黒眚」がいることが確認でき、東洋文庫版も採用しているので、この「眚」で示すこととした。]

檮杌(たうこつ) 附〔(つけた)〕 狡

兔(うさぎ)

水獺(かはうそ)

海獺(うみうそ) 附【山獺】

海鹿(あしか)

膃肭臍(をつとつせい)

胡獱(とゞ)

水豹(あざらし)

獵虎(らつこ)

祢豆布(ねつふ) 

 

和漢三才圖會卷第三十七

      攝陽 城醫法橋寺島良安尚順

   獸類

Kirin

 

 

きりん ※𪊺【正字見于廣雅】

麒麟

[やぶちゃん注:「※」=「鹿」+「希」。]

本綱麒麟瑞獸麕身牛尾馬蹄五彩腹下黃高丈二圓蹄

一角角端有肉音中鐘呂行中規矩遊必擇地詳而後處

不履生蟲不踐生草不羣居不侶行不入陥穽不羅羅網

王者至仁則出也

三才圖會云毛蟲三百六十而麒麟爲之長牝曰麒牡曰

麟牡鳴曰遊聖牝鳴曰歸和春鳴曰扶幼秋鳴曰養綏王

者好生惡殺則麟遊于野或云麟有角麒相似而無角

廣博物志云麟之青曰聳孤赤曰炎駒白曰索冥黒曰角

端黃曰麒𪊺【角端日行一萬八千里至速獸也】

[やぶちゃん注:前行の四・五字目の「麒𪊺」の「𪊺」の字は、上に「鹿」で下に「文」であるが、表示出来ないので、この字を当てた。なお、東洋文庫訳も「麒𪊺」とする。

五雜組云鳳凰麒麟皆無種而生世不恒有故爲王者之

瑞龍雖神物然世常有之人罕得見耳

△按瑞應圖曰牡爲麒牝爲麟與三才圖會爲表裏【三才圖會之訛乎】

きりん ※𪊺〔(きりん)〕【正字なり。

            「廣雅」に見ゆ。】

麒麟

[やぶちゃん注:「※」=「鹿」+「希」。]

「本綱」、麒麟は瑞獸〔(ずいじう)〕なり。麕(くじか)の身、牛の尾、馬の蹄〔(ひづめ)〕あり、五彩、腹の下、黃なり。高さ〔一〕丈二〔尺〕。圓〔(まろ)〕き蹄〔にして〕、一角あり。角の端に、肉、有り。音〔(こゑ)〕、鐘呂(しようりよ)に中(あた)る。行くこと、規矩に中り、遊ぶに必ず、地を擇びて詳らかにして後に、處(よ)る。生きたる蟲を履(ふ)まず、生きたる草を踐(ふ)まず、羣居せず、侶行〔(りよかう)〕せず、陥穽(をとしあな)に入らず、羅-網(あみ)に羅(かゝ)らず。王者、至仁〔(しじん)たる〕ときは、則ち、出づ。

「三才圖會」に云はく、『毛〔ある〕蟲、三百六十にして、麒麟、之れが長たり。牝を麒と曰ひ、牡を麟と曰ふ。牡(お)の鳴くを「遊聖」と曰ひ、牝(め)の鳴くを「歸和」曰ふ。春、鳴くを「扶幼」と曰ひ、秋、鳴くを、「養綏〔(やうすい)〕」と曰ふ。王者、生を好み、殺を惡〔(にく)〕む。〔かくある時は、〕則ち、麟、野に遊ぶ〔なり〕。或るひと、云はく、「麟、角、有り、麒は相ひ似て、角、無し」〔と〕』〔と〕。

「廣博物志」に云はく、『麟の青〔き〕を「聳孤〔(しようこ)〕」と曰ひ、赤きをして「炎駒」と曰ひ、白きを「索冥」と曰ひ、黒きを「角端」と曰ひ、黃なるを「麒𪊺〔(きりん)〕」と曰ふ【「角端」は日に行きて、一萬八千里、至つて速き獸なり。】』〔と〕。

「五雜組」に云はく、『鳳凰・麒麟、皆、種〔(たね)〕無くして生ず。世に恒に〔は〕有らず。故に王者の瑞と爲す。龍は神物なりと雖も、然〔(し)〕か〔も〕世に常に之れ有りて、人、罕(まれ)[やぶちゃん注:「稀」に同じい。]に見ることを得るのみ』〔と〕。

△按ずるに、「瑞應圖」に曰はく、『牡を麒と爲し、牝を麟と爲す』と。「三才圖會」と表裏たり【「三才圖會」の、訛〔(あやま)〕りか。】。

[やぶちゃん注:ウィキの「麒麟」を引く。『麒麟(きりん、拼音: qílín チーリン)は、中国神話に現れる伝説上の霊獣』。『獣類の長とされ、これは鳥類の長たる鳳凰と比せられ、しばしば対に扱われる』。但し、「淮南子」(えなんじ」(「え」は呉音)前漢の武帝の頃に淮南(わいなん)王劉安(紀元前一七九年~紀元前一二二年)が学者を集めて編纂させた思想書)に『よれば、麒麟は諸獣を生んだのに対し、鳳凰は鸞鳥を生み』、『鸞鳥が諸鳥を生んだとされており、麒麟と対応するのは正確には鳳凰より生まれた鸞鳥となっている』。『日本と朝鮮では、この想像上の動物に似』ているとして、『実在の動物もキリンと呼ぶ』。『形は鹿に似て大きく背丈は』五メートルあり(これは恐らく度量衡の誤認。後注する)、『顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、麒角、中の一角生肉。背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、身体には鱗がある。基本的には一本角だが、二本角、三本角、もしくは角の無い姿で描かれる例もある』。『日本では東京都中央区の日本橋に建つ麒麟像が広く知られているが、この像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから』、作者『原型製作は彫刻家(彫塑家)の渡辺長男』によって『翼が付けられている』が、本来の麒麟に翼はない(但し、先の「淮南子」の説に従うなら、翼があったとしても不思議ではないとは思うが)。『普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う』。『神聖な幻の動物と考えられており』、『動物を捕らえるための罠にかけることはできない。麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは、不吉なこととされる』。また、「礼記」に『よれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物』たる『「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。このことから、幼少から秀でた才を示す子どものことを、麒麟児や、天上の石麒麟などと称する』。『孔子によって纏められたとされる古代中国の歴史書』「春秋」は、『誤って麒麟が捕えられ、恐れおののいた人々によって捨てられてしまうという、いわゆる「獲麟」の記事をもって記述が打ち切られている』(私は麒麟というと、キリン・ビールの麒麟でもなく、日本橋の麒麟でもなく、偏愛する諸星大二郎の、漫画「孔子暗黒伝」(一九七七年~一九七八年『少年ジャンプ』連載)の、麒麟が捕まったのを孔子が見て驚愕するシーンを思い出すのを常としている)。「詩経」以来の『古文献では、「麟」の』一『字で表されることが多かったが、「麒」も稀に使われた』。「説文解字」に『より、オスを「麒」、メスを「麟」と呼ぶようになった』が、本文にも出る通り、『この雌雄を逆にしている資料もある』。『麒麟にはいくつか種類があると言われ、青い物を聳孤(しょうこ)、赤い物を炎駒(えんく)、白い物を索冥(さくめい)、黒い物を甪端(ろくたん)/角端(かくたん)、黄色い物を麒麟と言う』。『明の鄭和』(ていわ/ていか 一三七一年~一四三四年:武将。十二歳の時に永楽帝に宦官として仕えるも、軍功をあげて重用され、一四〇五年から一四三三年までの南海への七度の大航海の指揮を委ねられた)『による南海遠征により、分遣隊が到達したアフリカ東岸諸国から実在動物のキリンをはじめ、ライオン・ヒョウ・ダチョウ・シマウマ・サイなどを帰国時の』一九一四年に本国へ『運び、永楽帝に献上した。永楽帝はとくにキリンを気に入り、伝説上の動物「麒麟」に姿が似ていたこと、また現地のソマリ語で「首の長い草食動物」を意味する「ゲリ」』『の音に似ていたこともあり、“実在の麒麟”として珍重したと言われる(ただしその信憑性は明らかではない』『)』。『そしてこの故事がキリンの日本名の起源となった。また朝鮮でも同じく「기린(キリン)」』(麒麟girinkirin)『と呼ばれているが、伝説発祥の地・中国で現在は、キリンは「麒麟」ではなく』、「長頸鹿」『と呼ばれている』。『麒麟のように足の速い馬のこともキリンというが、漢字で書く場合は、偏(へん)を鹿から馬に変えて『騏驎』とすることがある。騏驎は、故事では一日に千里も走るすばらしい馬とされる』。『ことわざ「騏驎も老いては駑馬(どば)に劣る」(たとえ優れた人物でも老いて衰えると能力的に凡人にも敵わなくなることの例え)は、中国戦国時代の書物「戦国策」』の「斉策」の「斉五」の、「騏驥之衰也、駑馬先之、孟賁之倦也、女子勝之」(騏驎の衰ふるや、駑馬(どば)[やぶちゃん注:脚の遅い馬。]、之れに先んじ、孟賁(まうほん)の疲るるや、女子これに優(すぐ)る)『が語源』であるとある。因みに、孟賁(もうほん ?~紀元前三〇七年)は戦国時代の衛または斉の出身とする秦の将軍で、武王に仕えた。武王に仕えた諸軍人らと並び称せられた大力無双の勇士で、生きた牛の角を抜く程の力を持っていたとされる。しかし、紀元前三〇七年八月、武王と洛陽に入り、武王と力比べをして鼎の持ち上げた際、武王が脛骨を折って亡くなり、その罪を問われ、孟賁は一族とともに死罪に処されたとされる(以上はウィキの「孟賁」に拠った)。

『「本綱」……』とするが、「本草綱目」には縦覧して見ても、私には見当たらなかった。それどころか、東洋文庫訳は「本草綱目」の引用の場合、必ず、割注で当該巻を指示しているのに、ここにはそれがないのである。しかし、調べてみたところ、本「和漢三才図会」(正徳二(一七一二)年成立)と同時代の、四庫全書本「格致鏡原」(清の康熙年間(一六六二年~一七二二年)の陳元龍撰になるもの。「格致」は当時の「博物学」を意味する語である)巻八十二の「麒麟」に、

   *

  麒麟

大戴禮毛蟲三百六十而麒麟爲之長 論衡講瑞麒麟獸之聖者也 春秋保乾圗歲星散爲麟 孔演麟木精也宋均注麟木精生水故曰陰木氣好土土黃木靑故麟色靑黃 春秋運斗樞機星得則麒麟生萬人壽 鶡冠子麟者枵之獸隂之精也德能致之其精畢至 孫卿子古之王者其政好生惡殺麟在郊野月令章句凡麟生於火遊於土故脩其母致其子五行之精也 瑞應圖麟王者嘉祥也食嘉禾之實飲珠玉之英 春秋感精符麟一角明海内共一主也王者不刳胎不剖卵則出於郊 京房麟有五采腹黃高丈二金獸之瑞 陸璣詩疏麟麕身牛尾馬足黄色圓蹄一角角端有肉音中鐘行中規矩遊必擇地詳而後處不履生蟲不踐生草不羣居不行不入陷阱不罹羅網王者至仁則出

   *

という酷似した文字列(私が太字下線で示した)を見出せた。「京房」(紀元前七七年~紀元前三七年)は前漢の「易経」の大家であり、「陸璣詩疏」は西晋の政治家で文学者であった陸機(二六一年~三〇三年)の「詩経」の注釈書である。

「瑞獸〔(ずいじう)〕」目出度い予兆とされる聖獸。

 

「麕(くじか)」「くじか」だと広義の鹿の古名であるが、「麕」は狭義には獣亜綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科ノロジカ属ノロジカ Capreolus capreolus を指す。ウィキの「ノロジカ」によれば、『ヨーロッパから朝鮮半島にかけてのユーラシア大陸中高緯度に分布する』。現代『中国では』「子」「西方『と呼ばれる』。体長約一~一・三メートル、尾長約五センチメートルの『小型のシカ』で、『体毛は、夏毛は赤褐色で、冬毛は淡黄色である。吻に黒い帯状の斑があり、下顎端は白い。喉元には多彩な模様を持つのがこの種の特徴である。臀部に白い模様があるが、雌雄で形は異なる。角はオスのみが持ち、表面はざらついており、先端が三つに分岐している。生え変わる時期は冬』。『夜行性で、夕暮れや夜明けに活発に行動する。食性は植物食で、灌木や草、果実などを食べる』とある。

 

「高さ〔一〕丈二〔尺〕」前注の京房の記載であるなら、漢代の一丈は短く、二メートル二十五センチメートル(尺はその十分の一)であるから、二メートル二十九・五センチメートルとなる。これは先行する「馬」の叙述からも、現行のような馬の丈(た)け(寸(き))ではなく(本邦では通常、馬の丈けは、脚の下(地面)から前肢の付け根の肩上部の固い骨の上(騎乗する際の前の突出部)までを言う)、頭頂までの高さと考えるべきである。

「角の端」尖端なら、はっきりそう言うだろうから、ここは基部ととっておく。

「鐘呂(しようりよ)」「鐘」「呂」ともに中国音楽の十二律の一つ。基音を「黄鐘(こうしょう)」と言い、それより一律高い音を「大呂(たいりょ)」と呼ぶから、そのオクターブ二音と一致する鳴き声であることを指すか。

「規矩」規範。

「遊ぶに必ず、地を擇びて詳らかにして後に、處(よ)る」「處(よ)る」は「寄る」で、非常に用心深い性質であることを示す。

「生きたる蟲」昆虫ではなく、広義のヒトを含めた動物を指すと採る。

「侶行〔(りよかう)〕せず」仲間とともに行動せず、単独で生活し。

「毛〔ある〕蟲」前に同じ。広義の動物の意。

「養綏〔(やうすい)〕」「綏」は「安(やす)んずる」の意。以上、総ての呼称が目出度い表象である。

「廣博物志」明の董斯張(とうしちょう)撰になる古今の書物から不思議な話を蒐集したもの。全五十巻。

「五雜組」「五雜俎」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で遼東の女真が、後日、明の災いになるであろうという見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。

「見ることを得るのみ」日本語として裙汁と最後の「のみ」はいらない感じになる。

「瑞應圖」東洋文庫版の書名注に、『一巻。孫柔之の『瑞応図記』。清の馬国翰編輯の『玉函山房輯佚書』にある。天地の瑞応の諸物を分類し、図に説明を付けたもの』とある。]

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