山林に自由存す 國木田獨步
山林に自由存す
山林に自由存す
われ此句を吟じて血の湧くを覺ゆ
嗚呼山林に自由存す
いかなればわれ山林を見すてし
あくがれて虛榮の途にのぼりしより
十年の月日塵のうちに過ぎぬ
ふりさけ見れば自由の里は
すでに雲山千里の外にある心地す
眥を決して天外を望めば
をちかたの高峰の朝日影
嗚呼山林に自由存す
われ此句を吟じて血の湧くを覺ゆ
なつかしきわが故鄕は何處ぞや
彼處にわれは山林の兒なりき
顧みれば千里江山
自由の鄕は雲底に沒せんとす
[やぶちゃん注:初出は『國民之友』明治三〇(一八九七)年二月。初出時の標題は「自由の鄕」(「鄕」は「さと」。本文の最終行と同じ)で、第三節(「嗚呼山林に自由存す」)がなかった(底本異同にはそう読めるように記してある)。國木田獨步の詩篇では最も知られた一篇であろう。ここまでの國木田獨步「獨步吟」十四篇、殆んどは今の読者から見れば、凡庸な抒情詩にしか見えないかも知れぬが(実際、調べて見てもネット上にはこれらは驚くべきことに殆んど電子化されていないのである)、しかし、これが近代詩の黎明期を支えた詩篇の有意な一角であったことは記憶しておく必要がある。
「途」は「みち」。
「雲山千里」は独歩の死後の大正二(一九一三)年に東雲堂書店から刊行された「独歩詩集」では、「うんざんせんり」とルビする。
「眥」は「まなじり」。
「をちかた」「彼方」「遠方」で「遠くの方・向こうの方・あちら」の意。
「雲底」は「うんてい」。]

