和漢三才圖會卷第三十八 獸類 象(ざう/きさ) (ゾウ)
ざう 伽耶
きさ 【說文作𤉢字
象耳牙鼻足
之形】
象【音牆】
★ 【和名岐佐】
スヤン
[やぶちゃん注:★の部分に上図の篆文の文字が入る。]
本綱象交趾雲南及西域諸國野象至成群畜之長則飾
而乘之有灰白二色形體擁腫靣目醜陋大者身長丈餘
高稱之大六尺許肉倍數牛目纔若豕四足如柱無指而
有爪甲行則先移左足臥則以臂着地其頭不能俯其頸
不能囘其耳一軃其鼻大如臂下埀至地鼻端甚深可以
開合中有小肉爪能拾針芥食物飮水皆以鼻卷入口一
身之力皆有於鼻故傷之則死耳後有穴薄如皷皮刺之
亦死口内有食齒兩吻出兩牙夾鼻雄者長六七尺雌者
幾尺餘耳交牝則有水中以胸相貼與諸獸不同三年一
乳五歳始産六十年骨方足其性能久識嗜芻豆甘蔗與
酒而畏烟火獅子巴蛇殺野象多設机穽以䧟之或埋象
鞋於路以貫其足捕生象則以雌象爲媒而誘獲之飼而
狎之久則漸解人言使象奴牧之制之以釣左右前脚罔
不如命也
象牙【甘寒】治諸鐵及雜物入肉【刮牙屑和水敷之立出】諸物刺咽【磨水
服之愈】癇病一切邪魅及諸瘡【世人知燃犀可見水怪而不知沉象可驅水怪又夏
月合藥宜置象牙于傍】凡犀以望月紋生角象聞雷聲則花發牙
西域重象牙用飾牀座中國貴之以爲笏象毎蜕牙自
埋藏之人以木牙潛易取焉【象牙殺取者上也自死者次之蜕于山中多年者下
矣或謂一歳一換牙者非也】
象膽【苦寒微毒】明目治疳【其膽隨四時春在前左足夏在前右足秋後左足冬後右足也】
拾玉妙法經かく道塲の曉に白象天を見ぬは見ぬかは 慈圓
寰宇記云象見傷則群黨相扶將去南向跪拜鳴三匝以
木覆之【人如以斧刄刺象其象遁去則半日卽合故人象皮燒灰敷金瘡不合者愈】
五雜組云滇人畜象如牛馬然騎以出入裝載糧物而性
尤馴又有作架於背上兩人對坐宴飮者遇坊額必膝行
而過上山則跪前足下山則跪後足穩不可言有賊所劫
者窘急語象以故象卽捲大樹於鼻端迎戰而出賊皆一
時奔潰也惟有獨象時爲人害則穽而殺之
*
ざう 伽耶〔(かや)〕
きさ 【「說文」に「𤉢」の字に作る。
耳・牙・鼻・足の形を象る。】
象【音、「牆」。】
★ 【和名、「岐佐」。】
スヤン
「本綱」、象は交趾(カウチ)[やぶちゃん注:ヴェトナム北部。]・雲南及び西域の諸國に〔出づ〕。野象、群れを成すに至る。之れを畜ひて、長ずるときは、則ち、飾りて之れに乘る。灰・白の二色、有り。形體、擁腫〔(ようしゆ)せるがごとく〕[やぶちゃん注:腫れ物でを病んでいるかのようで。]、靣目〔(めんもく)〕[やぶちゃん注:「靣」は「面」の異体字。]、醜陋(みにく)し。大なる者は、身の長け、丈餘り[やぶちゃん注:明代の一丈は三・一一メートル。]、高さ、之れに稱(かな)ふ[やぶちゃん注:見合った分だけある。]。大いさ、六尺許り[やぶちゃん注:同換算で一メートル八十七センチメートル。]。肉、數牛に倍す[やぶちゃん注:牛数頭分に当たる。]。目、纔〔(ちいさ)くし〕て、豕(ぶた)のごとし。四足、柱のごとく、指、無くして、爪甲(つめ)、有り。行くときは、則ち、先づ、左の足を移し、臥すときは、則ち、臂〔(ひぢ)〕を以つて地に着く。其の頭、俯(うつむ)くこと能はず、其の頸、囘(まは)すこと、能はず。其の耳、一つに軃〔(たれさが)り〕、其の鼻、大にして、臂のごとく下に埀れて、地に至る。鼻の端〔(は)〕し、甚だ深く、以つて、開合すべし[やぶちゃん注:開いたり、合わさったりすることが出来る。]。中に小さき肉の爪有り〔て〕能く針芥を拾い[やぶちゃん注:ママ。良安は細く小さな針や塵を拾うという意味で訓読しているようだが、これは誤りであると思う。「拾針芥」は「磁石(磁「針」)が細かな屑鉄(芥)を引きつけるように、どんなに小さなものでも吸いつけて「拾」う」の謂いと私は読む。]、物を食ひ、水を飮むにも、皆、鼻を以つて卷きて口に入る。一身の力、皆、鼻に有る故に、之れを傷くるときは、則ち、死す。耳の後に、穴、有り。薄くして皷〔(つづみ)〕の皮のごとし。之れを刺すに、亦、死す。口の内に、食齒、有り。兩の吻(くちわき)に出づ。兩牙、鼻を夾〔(はさ)〕む。雄なる者、長〔(た)〕け、六、七尺[やぶちゃん注:一メートル八十七~二メートル十八センチメートル弱。]。雌なる者、幾尺[やぶちゃん注:数尺。]餘りのみ。牝に交(つる)むときは、則ち、水中に有りて、胸を以つて相ひ貼〔(てん)〕ず[やぶちゃん注:胸を合わせるように交尾する。]。〔これ、〕諸獸と同じからず。三年に一たび、乳〔(はらみ)〕す。五歳に始めて産し、六十年に〔して〕、骨、方(まさ)に足(た)る[やぶちゃん注:成体の頑丈な骨と成る。]。其の性〔(しやう)〕、能-久(よ)く識(し)り、芻豆(すうたう)・甘蔗(さたうのくさ)と酒とを嗜みて、烟火〔(はなび)〕・獅子・巴蛇〔(はだ)〕を畏る。野象を殺すには、多く、机穽(をとしあな[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。])を設(もふけ[やぶちゃん注:ママ。])て以つて之れを䧟(をとしい)る。或いは、象の鞋〔(くつ/わな)〕を路に埋づめて、以つて其の足を貫く。生きたる象を捕ふるには、則ち、雌の象を以つて媒(なかだち)[やぶちゃん注:囮(おとり)。]と爲して、之れを誘つ〔て〕獲る。飼(か)ひて之れに狎(な)るゝ〔こと〕久しきときは、則ち、漸〔(やうや)〕く、人言を解し、象奴〔(ざうつかひ)〕をして之れを牧(か)はしむ。之れを制するに〔は〕以つて左右の前脚を釣〔(つり)〕す[やぶちゃん注:錘(おもり)をぶら下げる。]。命のごとくならざるといふこと、罔(な)し[やぶちゃん注:そうしておけば、通常は、思いのままに操ることが出来ないなどということは、ない。]。
象牙〔(ざうげ)〕【甘、寒。】諸鐵及び雜物、肉に入るを治す【牙の屑を刮〔(けづ)り〕て水に和して之れを敷〔(つ)くる〕に立〔たちどころ)〕に出づ。】諸物、咽〔(のど)〕に刺(た)つに【水に磨して之れを服〔さば〕愈ゆ。】癇病・一切の邪魅及び諸瘡【世人、犀〔の角〕を燃せば水怪を見つべきことを知りて、而〔れども〕、象〔の骨〕を沉〔(しづ)〕めて水怪を驅すべきことを知らず。又、夏月、藥を合するに、宜しく象牙を傍らに置くべし。】凡そ、犀は、望月を以つて、紋、角に生ず。象は、雷聲を聞くときは、則ち、花[やぶちゃん注:「本草綱目」では「光」である。良安の誤字。]、牙に發す、西域には象牙を重じ、用ひて牀座〔(いす)〕を飾る。中國にも之れを貴んで、以つて笏に爲(つく)る。象、毎〔(つね)〕に牙を蜕(をと[やぶちゃん注:ママ。])すれば〔→時は〕、牙を自ら埋〔(うづ)〕んで[やぶちゃん注:ママ。]、之れを藏(かく)す。人、木の牙を以つて潛(ひそ)かに易(か)へて焉〔(これ)〕を取る【象牙、殺して取る者を上とす。自死〔せる〕者は之れに次ぐ。山中に蜕〔(おと)して〕多年〔なる〕者は下〔たり〕。或いは、「一歳〔に〕一たび牙を換ふ」と謂ふは、非なり。】。
象の膽〔(きも)〕【苦、寒。微毒。】目を明らかにし、疳[やぶちゃん注:「脾疳(ひかん)」。乳児の腹部膨満や異常な食欲を示す症状の総称。]を治す【其の膽、四時に隨ふ。春は前の左足に在り、夏は前の右足に在り、秋は後ろの左足に、冬は後ろの右足にあるなり。】。
「拾玉」
妙法經〔(によはうぎやう)〕かく道塲〔(だうじやう)〕の曉に
白象天を見ぬは見ぬかは 慈圓
「寰宇記(くはん〔うき〕)」に云はく、『象、傷(きづゝ[やぶちゃん注:ママ。])けらるるときは、則ち、群-黨〔(むれ)〕、相ひ扶(たす)けて將〔(ひき)〕い〔て〕去る。南に向き、跪〔(ひざまづ)き〕て拜し、鳴き、三匝〔(みめぐり)〕して、木を以つて之れ[やぶちゃん注:友の遺体。]を覆ふ』〔と〕。【人、如〔(も)〕し、斧・刄〔(かたな)〕を以つて象を刺し、其の象、遁れ去るときは、則ち、半日〔にして〕、卽ち、合す[やぶちゃん注:傷は自然に合して塞がれる。]。故に、人、象の皮を灰に燒き、金瘡〔(きんさう)〕の合はざる者に敷〔(つ)け〕て、愈ゆ。】。
「五雜組」に云はく、『滇〔(てん)〕人〔(ひと)〕、象を畜ふ〔こと〕牛馬のごとし。然〔(しか)〕も、騎して、以つて出入し、糧物〔(れうもつ)〕を裝-載(の)せる。而〔(しか)〕も、性、尤も馴る。又、架(たな)を背の上に作りて、兩人、對坐して宴飮〔(えんいん)〕する者、有り。坊額〔(ばうがく)〕[やぶちゃん注:巷間の扁額を掲げた門。]に遇へば、必ず、膝(いざ)り行きて、過ぐ。山を上るときは、則ち、前足を跪(ひざまづ)く。山を下るときは、則ち、後足を跪く。穩なること[やぶちゃん注:穏和な性質であることは。]、言ふべからず。賊、有りて、劫〔うばひ〕さるゝ者〔ある時〕は、窘急〔(きんきふ)〕[やぶちゃん注:「緊急」に同じい。]なること、象に語るに、故に以つす[やぶちゃん注:いかなる事態が生じているかを懇切丁寧に語り聴かせる。]。象、卽ち、大なる樹を鼻の端に捲(ま)ひて[やぶちゃん注:ママ。]、迎〔へ〕戰〔(う)ち〕て出づ。賊、皆、一時に奔(はし)り潰(つ)ゆなり[やぶちゃん注:ママ。]。惟だ、獨象有りて、時に、人の害を爲(な)せば[やぶちゃん注:なすことがあったりするが、その時は。]、則ち、穽(をとしあな[やぶちゃん注:ママ。])して之れを殺す。
[やぶちゃん注:現生最大の陸生哺乳類であるアフリカ獣上目長鼻(ゾウ)目ゾウ上科ゾウ科
Elephantidae のゾウ類。現生種は以下に示すアジアゾウに四亜種、アフリカゾウに二亜種で、二種六亜種(マルミミゾウ(体高二~二・四メートルと小柄で、中央・西アフリカの森林地帯に棲息することから「シンリンゾウ」とも呼ばれ、耳が小さく丸みを帯びている点、牙が真っ直ぐ下へ向かって生えている点を特徴とする。近年、別種する記載が多く見られ、その場合は三種五亜種となる)がいる。一種はインド産の、アジアゾウ属アジアゾウ亜種インドゾウ Elephas
maximus indicus で、もう一種はアフリカ産のアフリカゾウ属アフリカゾウ Loxodonta
Africana である。アジアゾウの亜種はインドゾウの他に、セイロンゾウ Elephas maximus maximus・スマトラゾウ Elephas maximus sumatrana・マレーゾウ Elephas maximus hirsutus であり、アフリカゾウはサバンナゾウ Loxodonta africana africana・マルミミゾウ Loxodonta africana cyclotis(先に記したように独立した一種として扱う場合は「Loxodonta cyclotis」となる)である。たまには子供向け風に両者の違いを判り易く示す。アジアゾウ(アジアゾウ属 Elephas )では、
・耳が小さな四角形を成す
・鼻の尖端は上だけに突起を有する
・頭頂部は左右に二つのピークを持つ
〇前足の蹄は五つで後ろ足が四つ
・背中が丸い
◎牙は極めて短く、♀には牙がないこともある
のに対し、
アフリカゾウは、
・耳が大きな三角形を成す
・鼻先の上下に突起を有する
・頭頂部が平たい
〇前足の蹄(ひづめ)が四つで後ろ足が三つ
・肩と腰が有意に盛り上がっていて背中は窪んでいる
◎♂♀ともに前方にカーブした牙を持ち、♂では三メートル以上に延びる
点である(以上は「富士サファリパーク」公式サイト内の「アフリカゾウとアジアゾウの比較」を参照した)。以下、ウィキの「ゾウ」を引く(下線太字は私が附した)。『「象」の字は、古代中国にも生息していたゾウの姿にかたどった象形文字であるとされる』。『これとは別に、日本にはゾウがいないにもかかわらず、日本語には「きさ」という古称があり』、「日本書紀」では『象牙を「きさのき」と呼んでいる』(以下の「日本書紀」と「和名類聚鈔」の引用は独自に私が作成した)。
「日本書紀」のそれは、天智天皇一〇年(六七一)十月の条。
*
是月、天皇遣使、奉袈裟・金鉢・象牙・沈水香・栴檀香及諸珍財於法興寺佛。
(是の月、天皇(すめらみこと)、使ひを遣はして、袈裟・金鉢(こかねのはち)・象牙(きさのき)・沈水香(ちむすいかう)・栴檀香(せんたんこう)及び諸々の珍財を法興寺の佛に奉らしめたまふ。)[やぶちゃん注:北野本の室町時代の訓を参考にした。]
*
また、平安中期の源順(したごう)の辞書「和名類聚鈔」(「巻一八毛群部第二十九 毛群名第二三四)に(ここは独自に全文を引いた)、
*
象 「四声字苑」云、「𤉢」【祥兩反上聲之重字。亦、作「象」。和名「岐佐」。】。獸名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也。
*
とある。他にも「宇津保物語」・「宇治拾遺物語」・「徒然草」、江戸時代の滝澤馬琴の「椿説弓張月」などにも『「象」の記述がある』。ゾウの『鼻は』、『上唇と鼻に相当する部分が発達したものであり、先端にある指のような突起で仁丹のような小さな物から、豆腐といったつかみにくい物までを器用につかむことができる』。『また嗅覚も優れており、鼻を高く掲げることで』、『遠方より風に乗って運ばれてくる匂いを嗅ぎ取ることができる。聴覚も優れている』が、『視力は弱く、色覚もなく、外界の認識は主に嗅覚と聴覚によっている』。『第』二『切歯が巨大化した「牙」を持ち、オスのアフリカゾウでは牙の長さが』三・五メートル『にまで達することもある。牙は象牙として珍重され、密猟の対象となる。巨大な板状の臼歯が上下に』一『本ずつの計』四『本しかない。自分の体重や歩くことによって足にかかる負担を少なくするため』、『足の骨と足の裏の間には脂肪に包まれた細胞がつまっており、足の裏の皮膚は固く角質化している。蹄を持つため』、『有蹄類として分類されることもある』。『雌と子供で群れを形成し、雄は単独か』、『雄同士で別に群れを形成して生活する。巨大な体躯のため、成体のゾウが襲われることはほとんどないが、しかし人間を初め』、『敵が皆無という訳ではなく、アフリカではライオンの群れ、インドではトラが、主に若いゾウや幼獣を襲うことが確認されている』。『そのため、群れの成獣たちは常に幼獣の周りを取り囲んで、これらの敵から身を守っている。その巨体ながら』、時速四十キロメートル『程度で走ることができる』。『寿命は』六十『歳から』七十『歳で』、二十『歳ほどで成獣になる』(本記載(時珍)の「六十歳」がいい加減ではないことが判る)。『人間には聞こえない低周波音(人間の可聴周波数帯域下限である約』二十ヘルツ『のそれ以下)で会話していると言われ、その鳴き声は最大約』百十二デシベル『もの音圧(自動車のクラクション程度)があり、最長で約』十キロメートル『先まで届いた例もある。加えて、象は足を通して低周波を捕えられることも確認された』。『ゾウの足の裏は非常に繊細であり、そこからの刺激が耳まで伝達される。彼らはこれで』三十~四十キロメートルも『離れたところの音も捕えることができる。この生態領域はまだ研究途中であるが、雷の音や、遠く離れた地域での降雨を認知できるのはこのためではないかと考えられている。また、足の裏のひび割れには滑り止めの役割があり、人間の指紋のように個体によってひび割れの模様は違っている。ゾウのしわは表面積を大きくし』、『熱を発散させるという』。『人間を見分けることもできるほどに高い認知能力を持っているといわれており、例えば』、『飼育下では優しく接してくれた人間に対しては甘えたり』、『挨拶したりするが、逆に自らや仲間に危害を加えた人物に対しては非常に攻撃的になる。また、人の言語の違いを聞き分けられるとも言われ、象を狩っていたマサイ族の言語を非常に警戒したとの報告もある。ただし、同じマサイ族でも狩りに参加しない女性にではなく、男性だけを避けようとする等々、様々な逸話が伝えられる。また、群れの仲間が死んだ場合に葬式』(これも本記載の正しさが認められる)『ともとれる行動をとることがある。死んだ個体の亡骸(なきがら)に対し、周りに集まり鼻を上げて匂いを嗅ぐような動作や、労わるように鼻でなでる等の行動をとった記録がある。これらの行為の意味については疑問点も多いが、いずれにせよかなり優れた記憶力や知能を持っていると推察されている。近年、ゾウには鏡映認知(鏡に映った自身を自身と理解する能力)があることが明らかになった』。『草・葉・果実・野菜などを食べる。ミネラルをとるために泥や岩塩などを食べることもある。草食動物で』一『日に』百五十キログラム『の植物や』百リットル『の水を必要とし、野生個体の場合は』、『ほぼ一日中』、『食事をしている。体が大きく必要となる食物も並大抵の量ではないため、森林伐採などの環境破壊の影響を受けやすく、また食欲と個体数増加に周囲の植生回復が追いつかず、ゾウ自身が環境破壊の元凶になってしまうこともある。また糞の量も多く成獣だと』、一『日平均』百二十キログラムもの『糞を出す。動物園で飼われている象で』は、一『日に』二百五十キログラムもの『糞をした記録もある』。『成熟した成獣のオスにはマスト(ムスト)と呼ばれる』、一定期間、『凶暴になる時期がある。ゾウはこめかみの辺りからタール状の液体を出すが、マストとなった個体はその分泌量が多くなるため、その判断材料とされる。動物園等では、この時期の個体は』、『保安のため、檻の中で鎖に繋いでおくことが多い』。『ゾウの死体や骨格は自然状態では全くと言っていいほど発見されなかったため、欧米ではゾウには人に知られない定まった死に場所があり、死期の迫った個体はそこで最期を迎えるという「ゾウの墓場」伝説が生まれた。だが、実際には他の野生動物でも死体の発見はまれで、ゾウに限ったことではない。自然界では動物の死体は肉食獣や鳥、更には微生物によって短期間で骨格となり、骨格は風化作用で急速に破壊され、結果的に文明人の往来が少なかったアフリカでは遺骸が人目につくことはなかった。そうした事情が基になり、この伝説ができたものと考えられている。象牙の密猟者が犯行を隠すためにでっち上げたという説もある。なお、人の往来が頻繁になった近年はアフリカのサバンナでもゾウの遺骸が見られる事がある』とある。「役畜としてのゾウ」の項。『ゾウは使役動物としてかつて現地の人たちには移動手段として使われ、重いものを運ぶのにも利用された。戦象として軍事用に使われたこともある。こうした役畜としての使用はおもにアジアゾウに限られ、アフリカゾウも使われた』(ローマ時代)『記録はあるものの、あまり役畜としての利用はせず、飼育もあまりされてこなかった』。『また、ゾウに芸をさせることもあり、サーカスではゾウに逆立ちさせたり台に上らせたりといった芸をさせる。タイではゾウにサッカーをさせる行事がある。また、かつてインドでは象に罪人の頭を踏みつぶさせる処刑があった』。以下、文化的記載。『インドの神話でゾウは世界を支える存在として描かれる』。『ヒンドゥー教には、ゾウの頭を持つガネーシャと呼ばれる神様がいる。仏教では歓喜天に当たり、シヴァ神の長男で富と繁栄の神様とされる。また、天帝インドラはアイラーヴァタと呼ばれる白象に乗っている』。『仏教の影響下、東南アジアでも白いゾウ(白象)は神聖視された。釈迦は白象の姿で母胎に入ったという。ゾウは普賢菩薩の乗る霊獣として描かれることが多い』。『古代地中海世界では戦象としてゾウを軍用に使役していた。古代ローマ人が初めてゾウと遭遇したのはピュロスのイタリア半島侵入の際で、ヘレニズム世界で使用されていた戦術をピュロスがそのまま持ち込んだものであった。このときローマ軍が戦象と戦った場所ルカニアから』、『ローマではゾウはルカニアの牛と呼ばれた。こうしたピュロスのエピソード以上に第二次ポエニ戦争の際、カルタゴの将軍ハンニバルがその傭兵部隊に加えて』三十九『頭の象を引き連れ、イタリア半島に侵攻したことはよく知られている。アルプス山中で受けた妨害と寒さや餓えのため、イタリアの平野部に到達した象は元の半数以下だったが、それもトレビア川の戦いでインドゾウの一頭を残してことごとく倒れた(最後のゾウ以外はアフリカゾウ(マルミミゾウ)であった)』。『ゾウはローマにおいては一般的なものではなく、そのため』、『ローマ帝国期においては』、『ときおり』、『ゾウがローマ市まで連れてこられ、パンとサーカスの一環として見世物に供された』。紀元八〇『年にローマ市中心部において完成したコロッセウムにおいても、ゾウが皇帝に挨拶をしたり』、『ダンスを踊った記録が残されている。また、ゾウとほかの猛獣とを戦わせる見世物も行われた』。『ゾウはその生息地だけでなく、ゾウの生息しない地域においても大きさや温和さ、強さ、賢さなどのイメージから、さまざまなシンボルに使われてきた』。以下、「日本人とゾウ」の項。『日本列島がまだユーラシア大陸と陸続きだった頃、日本にはナウマンゾウ』(ゾウ科†パレオロクソドン属†ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni)『が生きており、石器時代には獲物とされていた。日本においては約』二『万年前に絶滅したとされるが、その骨は後の時代も珍重され、正倉院にもナウマンゾウの臼歯が竜骨として保管されていた』。『文献上、現世のゾウが日本へ人為的に初渡来したのは応永』十五年六月二十二日(ユリウス暦一四〇八年七月十五日)で、『東南アジア方面からの南蛮船により、足利義持への献上品として現在の福井県小浜市に入港』し、『上京した後、朝鮮に贈られた記録がある』。『それ以前より』、『仏教の影響でゾウの存在は知られており』、「今昔物語集」には、『イノシシがゾウに乗った普賢菩薩に化けて僧を誑かす逸話がある』(これは私のすこぶる附きに好きな話で、私は『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その3) 附小泉八雲“Common
Sense”原文+田部隆次譯』の注で電子化している。「今昔物語集」の「卷第二十」の「愛宕護山聖人被謀野猪語第十三」(愛宕護(あたご)の山(やま)の聖人、野猪(くさゐなぎ)に謀(たばか)らるる語(こと)第十三)」がそれである。未読の方は是非読まれたい)。十二『世紀から』十三『世紀に成立したと言われる鳥獣人物戯画の乙巻には、長い鼻や太い足、牙など象の特徴をよく捉えた絵が描かれている』。天正三(一五七五)年には、『明の船が象と虎を連れて豊後国臼杵に到来し、大友宗麟に献上されたほか』慶長二(一五九七)年には、『ルソン総督が豊臣秀吉への献上品として、また』、慶長七(一六〇二)年には交趾(コウチ:現在のベトナム北部)から、『徳川家康への献上品として虎・孔雀とともに贈られた。神戸市立博物館所蔵の桃山時代の南蛮屏風には日本に連れて来られた象が描かれている』。享保一三(一七二八)年六月には、♂♀二頭の『象が江戸幕府』八『代将軍・徳川吉宗に献上するために広南(ベトナム)から連れてこられた。メスは上陸地の長崎にて』三ヶ月『後に死亡したが、暴れることを想定し』、『それに耐えうる頑丈な国産船が当時無かったことから、オスは長崎から陸路歩行で江戸に向かい、途中、京都では中御門天皇の上覧があり、庶民からもかなりの人気があった』。『上覧には位階が必要なため、オスのゾウには「広南従四位白象」と位と姓名が与えられている。江戸では徳川吉宗は江戸城大広間から象を見たという。その後、ゾウは浜御殿にて飼育されていたが、飼料代がかかり過ぎるため』、寛保元(一七四一)年四月、『中野村(現東京都中野区)の源助という農民に払い下げられ、翌年』十二『月に病死した。現在も馴象之枯骨(じゅんぞうのここつ)として、中野の宝仙寺に牙の一部が遺されている』その後、文化十年六月二十八日(グレゴリオ暦一八一三年七月二十五日)に『イギリス船シャルロッテ号とマリア号が長崎に来航した際、将軍への特別の贈り物としてメスの象』一『頭が連れてこられている。長崎奉行遠山景晋』(かげくに/かげみち:「遠山の金さん」こと景元の実父)『がその象の検分に当たり、しばらく長崎に滞留していたが、同年』九月一日に『幕府から受け取り拒否の回答が伝えられたため、その象は再び船に乗って日本を出国していった。なお、このイギリス船の来航の本当の目的は、トーマス・ラッフルズの命により、出島のオランダ商館をイギリスに引き渡すようにオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフに要求するためで、象はその挨拶がわりだったのではないかとされている』。
以上の本邦渡来の内、最後の文化一〇(一八一三)年のそれは、私の「耳囊 卷之十 文化十酉年六月廿八日阿蘭陀一番舟渡來象正寫の事」に記載があり(図有り)、そこで私は七回の渡来について詳細を注しておいたので、是非、参照されたい。
「伽耶〔(かや)〕」インド中部の伽耶(がや)城西方にある、釈迦が修行・説法をしたとされる伽耶山に因むものであろう。この山は別名を「象頭山(ぞうずせん)」とも呼び、その山容が象の頭に似ていると言われる。
「きさ」「岐佐」小学館「日本国語大辞典」の「きさ【象】」を見ると、石山寺本「大智度論」の平安初期の注に、『善勝白象(キサ)を下りて、怨家に施與して』と出るとあり、「語源説」の項には、①『牙に木目のような筋がありるところからキサ(橒)の義〔東雅。和訓栞/大言海〕』(「橒」は材木の断面に見られる木目を指す語で、この語源は刻(きざみ)の義・蚶貝(殻の外側の肋の有意に太いアカガイ等の貝類の称)模様に似ることから等の語源説がある)、②『牙サシ出ルの義〔日本釈名〕』、③『キザシ(牙)の略〔名言通〕』、④『ケサ(牙蔵)の転〔言元梯〕』、⑤『キバヲサ(牙長)の義〔日本語原学=林甕臣〕』、⑥『カミシラ(髪白)の反』切、という六説が載る。
「說文」既出既注。
「雲南」中国南西部の雲南省(グーグル・マップ・データ)。ヴェトナム・ラオス・ミャンマーに接する。
「一つに軃〔(たれさが)り〕」「軃」は中文サイトの辞書に「下垂」とある。東洋文庫訳は『一対(つい)垂れ下がり』とする。
「耳の後に、穴、有り。薄くして皷〔(つづみ)〕の皮のごとし。之れを刺すに、亦、死す」鼓膜のことを言っているとしたら、これは誤りである。ゾウの耳の穴はあの大きな耳朶の後ろではなく、前にあるからである。cageman-channel氏のブログ「ケイジマン チャンネル」の『ゾウさんの耳の「穴」を直視したこと、ありますか?意外なところにあった!?東山動植物園で撮影』を見られたい。
「牝に交(つる)むときは、則ち、水中に有りて、胸を以つて相ひ貼〔(てん)〕ず」嘘。普通に陸上で後背位で行う。
「芻豆(すうたう)」中国語では広く牛馬の飼料となる草を指す。さしずめ、マメ目マメ科マメ亜科シャジクソウ連ウマゴヤシ属ウマゴヤシ
Medicago polymorpha などの仲間であろう。
「甘蔗(さたうのくさ)」単子葉植物綱イネ目イネ科サトウキビ(砂糖黍)属サトウキビ
Saccharum officinarum の別称。ウィキの「サトウキビ」によれば、『サトウキビ発祥の地は、現在のニューギニア島あたりで、紀元前』六〇〇〇『年前後に現在のインド、さらに東南アジアに広まったといわれている』。『また、インドを原産とする文献もあ』り、『古代サンスクリット語による古文書の記載から』、少なくとも、製品としての『砂糖の精製は北インドが発祥ではないかとされている』とある。
「烟火〔(はなび)〕」花火。
「巴蛇〔(はだ)〕」「黒蛇(こくだ)」「黒蟒(こくぼう)」とも称する大蛇(蟒蛇(うわばみ))。ウィキの「巴蛇」によれば、「山海経」の「海内南経」に『よると、大きなゾウを飲み込み』、三『年をかけてそれを消化したという。巴蛇が消化をしおえた後に出て来る骨は「心腹之疾」』(治療困難な難病とされるが、詳細は不詳)『の薬になるとも記されている。また』、同じ「山海経」の「海内経」の中の、『南方にある朱巻の国という場所の記述には「有黒蛇
青首 食象」とあり、同じよう大蛇が各地に存在すると信じられていた』。「山海経」注には、「蚺蛇(ぜんだ)吞鹿、鹿已爛、自絞於樹腹中、骨皆穿鱗甲間出、此其類也」と『あって』、『ゾウの話は蚺蛇(大蛇)がシカなどを飲み込むような事を示したものであろうと』ある。「聞奇録」には、『山で煙のような気がたちのぼったのを見た男が』、『あれは何かとたずねたら「あれはヘビがゾウを呑んでるのだ」と答えられたという話が載っている』。『ゾウ(象)を食べるというのはウサギ(兔)という漢字との誤りから生じたのではないかとの説もある』。「本草綱目」では蚋子』(ぶと)『(蚊の小さいもの)は巴蛇の鱗の中に巣をつくる、と記している』(私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚋子(ぶと)」を参照されたい)。また、「山海経」の「大荒北経」には、『大人国に青い大蛇がおり、大きなシカを食べたという』ともある。『金州城(金州)』(現在の遼寧省大連市金州区附近)『の城隍廟にあった槐』(マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ
Styphnolobium japonicum)『の木には大蛇が住んでいるとされていて、その姿を見ると』、『病気になると言われていた。小さい廟が備えられてあり、「蟒大帥」「蟒老将軍」「黒蟒将軍」という神牌が供えられていたという』。「南裔異物志」には、蚺蛇の牙(長さ』六~七『寸)は土地の者が魔除けとして珍重しており、ウシ数頭分の価値があった、と記されている』とある。
「象の鞋〔(くつ/わな)〕」東洋文庫は『象鞋』でルビを振らず、注で、『穴を掘って中に上向きに大きな錐(きり)を埋め』、『草で覆っておく道具(わな)』とする。
「癇病」癲癇やひきつけ。
「瘡」限定的には梅毒や、広義の皮膚病を指すが、別に「傷」の意もあるので、ここは最後のそれでよかろうと思う。
「犀〔の角〕を燃せば、水怪を見つべきことを知りて、而〔れども〕、」犀の角を燃やすと、水に潜んでいる、普通は目に見えない妖怪を人が見ることが出きるということは知っているが。
「象〔の骨〕を沉〔(しづ)〕めて水怪を驅すべきことを知らず」象の骨をその水怪の棲息する水に沈めるだけで、奴らをそこから駆逐することが出来ることを知らない。
「夏月、藥を合するに、宜しく象牙を傍らに置くべし」夏に薬物を調合する際には、象牙をその傍に置いて行うと非常によろしい、というのである。暑さによる混合前の別箇な生薬が溶けるのを抑えるか、或いは、当該生薬に耐性のある毒虫などが集るのを防ぐというのであろう。
「拾玉」「妙法經〔(によはうぎやう)〕かく道塲〔(だうじやう)〕の曉に白象天を見ぬは見ぬかは 慈圓」誤りがある。水垣久氏のサイト「やまとうた」内の「十題百首 慈円『拾玉集』より」によれば、「十題十首和歌」の「獸」の「象」に、
如法經(によほふきやう)かく道場の曉(あかつき)に
日象天(につしやうてん)を見ぬは見ぬかは
である。「慈圓」は「慈鎭」に同じ。「獅子」の注を参照。「如法經」とは、一定の法式に従って経文を筆写することやその筆写した経文を指すが、多くの場合は「法華経」について言う。「日象天」は不詳。これが「獸」の「象」の歌であるならば、象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の二つの像様が知られる歓喜天のことかと思うが、「日象天」とは言わない。ただ、歓喜天は別に「聖天」(しやうてん)と呼ぶから、それに「天尊」(これも異名)を掛けて、暁の後の曙や日の出のプレとしての「日」の「象」(かたち)の「天」=太陽を暗にイメージしたものか? この手の釈教歌はよく判らぬ。
「寰宇記(くはん〔うき〕)」「太平寰宇記」。北宋の楽史(九三〇年~一〇〇七年)の著になる地理書。本文二百巻・目録二巻。中国では早くから八巻分が欠損していたが、本邦に残存していた宋刊本によって、現在、その中の五巻余を補うことが出来る。宋が天下を統一した九七九年を基準点として、中国内地の他、周辺の異民族地域の歴史地理を記述する。今に残らない南北朝から唐代にかけての地理書を多く引用し、人物の略伝や名所旧跡の詩を採録しているのを特徴とする(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
「五雜組」既出既注。
「滇〔(てん)〕」漢代の西南国境外に生活していた一種族。滇池(現在の雲南省昆明湖(グーグル・マップ・データ))付近に住み、髷(まげ)を結い、田を耕し、村落を形成していた。戦国時代には楚の荘蹻(そうきょう)がこの地に国を建てたというが、これは後世の伝説と思われる。前漢の武帝が西南夷経略を行うと、滇は紀元前一〇六年に漢に降(くだ)り、ここに益州郡が置かれたが、滇の首長は滇王に封ぜられて王印を賜わっている。昭帝の時、大乱が起こって、滇国は滅びたと推定されている。近年、雲南省晋寧郡石寨(せきさい)山から「滇王之印」の四字を刻した漢印が発見されている。また、滇は現在の雲南省の別称ともなった。
「奔(はし)り潰(つ)ゆなり」潰走(かいそう:戦いに惨敗し、秩序なく逃げ去ること)してしまう。]


