蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 皐月の歌
皐月の歌
雲(くも)は今(いま)たゆらにわたる、
ああ皐月(さつき)、――雲の麝香(じやかう)よ、
麥(むぎ)の香(か)もあたりに薰(くん)ず、
麥(むぎ)の香(か)の波折(なをり)のたゆた。
日(ひ)は醉(ゑ)ひぬ、綠(みどり)は蒸(む)しぬ、
ゆをびかに野(の)はうるみたり、
揚雲雀(あげひばり)――阿剌吉(アラキ)のみ魂(たま)、
軟風(なよかぜ)や輕(かろ)き舞(まひ)ぎぬ。
見(み)よ、瑞枝(みづえ)、若葉(わかば)のゆらぎ、
ゆらめける梢(こずゑ)のひまを
靑空(あをぞら)や孔雀(くじやく)の尾羽(をばね)、――
數(かず)の珠(たま)、瑠璃(るり)のつらなみ。
皐月野(さつきの)の胸(むね)のときめき――
節(ふし)ゆるきにほひの歌(うた)ぞ
日(ひ)に蒸(む)して、綠(みどり)に醉(ゑ)ひて、
たよたよと傳(つた)ひゆきぬる。
[やぶちゃん注:「阿剌吉(アラキ)」小学館「日本国語大辞典」によれば、オランダ語「arak」(アラック)で、『江戸時代、オランダから渡来した酒。アルコールに香気をつけたもの、あるいは、丁子、肉桂、ういきょうなどを焼酎につけたものという。アラキざけ』とある。しかし、有明の「阿剌吉(アラキ)のみ魂(たま)」という表現は逐語的には採りにくい。同辞典の用例を見るに、松尾芭蕉編の延宝六(一六七八)年の「桃青三百韻附両吟二百韻」に『花に嵐あらきちんたをあたためて』(信章)『胸につかへし霞はれ行く』(信徳)とある例を見るに(「ちんた」は「チンタ酒」で、やはりポルトガル語の「vinho
tinto」に基づく、ポルトガルから伝来した「赤ぶどう酒」のことを指す語である)、これは単に「あらし」に「アラキ」(「荒き」、アルコール度が高い強烈な酒のイメージ)を掛けたものであろう。しかし、ここで有明が「荒御魂(あらみたま)」を雲雀に比喩したとするのは、とてものことに困難であり、寧ろ、これは第一連の「雲の麝香(じやかう)よ」と同じで、皐月の空に舞い上がる揚げ雲雀の飛翔と囀りを、度数の高い酒のキュンとくる感じにメタファーしたものと私は採る。大方の御叱正を俟つ。]

