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« 若き旅人の歌 國木田獨步 | トップページ | 和漢三才圖會卷第三十八 獸類 囓鐵獸 (幻獣) »

2019/03/11

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貘(ばく) (マレーバク・ジャイアントパンダその他をモデルとした仮想獣)

 

Baku 

ばく 

【音麥】 

モツ 

本綱貘似熊而頭小脚卑黒白駁文毛淺有光澤或云黃

白色或曰蒼白色象鼻犀目牛尾虎足多力能舐食銅鐵

及竹骨蛇虺其骨節強直中實少髓其糞可爲兵切玉其

尿能消鐵爲水其齒骨極堅以刀斧却碎落火亦不能燒

人得之詐充佛牙佛骨以誑俚俗

貘皮 爲坐毯臥褥寢貘皮避温癘氣邪氣圖其形亦

 避邪唐世多貘作屏風

 

 

ばく 

【音、「麥」。】 

モツ 

「本綱」、貘は熊に似て、頭、小に〔して〕、脚、卑〔(みぢか)〕く、黒白の駁〔(まだら)〕の文〔(もん)あり〕。毛、淺く、光澤有り。或いは、云はく、黃白色、或いは曰はく、蒼白色なり〔と〕。象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の足〔にて〕、多力にして、銅・鐵及び竹・骨・蛇・虺〔(き)〕[やぶちゃん注:伝説上の水棲の毒蛇。五百年を経て蛟(みづち)に変じ、千年で龍となると中文サイトにはあるが、一一般的には実在する蝮(マムシ)のことを指す。]、能く舐〔(ねぶ)〕り食ふ。其の骨節、強直〔(ごうちよく)〕・中實[やぶちゃん注:髄の周囲の骨がみっちりと硬く厚く詰っていること。]にして、髓、少なく、其の糞、兵〔(ぶき)〕と爲〔(な)し〕て玉〔(ぎよく)をも〕切るべし。其の尿〔(いばり)〕は能く鐵を消〔(とか)〕して水と爲〔(せ)〕る。其の齒骨、極めて堅し。刀・斧を以つてするに、却つて碎落〔(さいらく)〕す。火も亦、燒くこと、能はず。人、之れを得て詐(いつは)りて、佛牙[やぶちゃん注:釈迦の歯。]・佛骨に充〔(あ)〕てて、以つて俚俗を誑(たぶら)かす。

貘〔の〕皮 坐-毯〔(ざぶとん)〕・臥--寢〔(しとね)〕と爲す。貘の皮は、温癘〔(おんれい)〕[やぶちゃん注:温気によって発症する疫病。]・[やぶちゃん注:「濕」の異体字。]氣〔(しつき)〕・邪氣〔(じやき)〕を避く。其の形を圖〔(ゑが)〕くも亦、邪を避く。唐の世には、多く貘を〔(ゑが)き〕て屏風を作る。

[やぶちゃん注:哺乳綱奇蹄目有角亜目バク科 Tapiridae のバク類(現生種は五種で、北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・東南アジアに分布する)の内、本「貘」はインドネシア(スマトラ島)・タイ南部・マレーシア(マレー半島)・ミャンマーに棲息するマレーバク Tapirus indicus 或いはジャイアントパンダ(哺乳綱食肉目クマ科ジャイアントパンダ属ジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca)その他をモデルとした仮想獣である。ここには現行知られるような悪夢を食ってくれるという明確な記載はないが、胴や鉄を食い、糞が武器となるほど硬く、尿は鐡を溶かして水と変じさせ、歯や骨は刀剣・斧でさえ刃が立たずに欠けてしまうとし、特に後半分でその皮を寝具に用いると、諸病や邪気を避けることができ、唐代(六一八年~九〇七年)には既にそうした聖獣として盛んに屏風に描かれたという辺りには、唐代には既に悪夢(それは身体への邪気の侵入に他ならない)を食ってくれるものとする伝承があったように私には読め、この仮想獣「貘」が日本へ伝承されるや、本邦では前の金属を食い溶かすという奇体な部分は捨てられ、専ら、悪夢を食ってくれる幻獣としてクロース・アップされたということであろう。荒俣宏氏の「世界博物大図鑑」の第五巻「哺乳類」(一九八八年平凡社刊)の「バク」の項によれば、『節分の晩に』、『獏の絵を枕の下に敷いて寝れば』、『この獣が悪夢を食べてしまうというのも日本特有の俗信』であり、また、『宝船の帆に獏という字を入れた絵』が『同様に悪夢よけのお守りに用いられた』のも、現行、正月二日の『初夢の晩』に『獏の姿を描いた紙を枕の下に敷いて寝れば悪夢を食べてもらえるといういい伝えが残』るのも本邦固有の習俗と読める。

 さてもそこでウィキの仮想獣を見てみると、『獏(ばく)は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。人の夢を喰って生きると言われるが、この場合の夢は将来の希望の意味ではなくレム睡眠中にみる夢である。悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えると同じ悪夢を二度と見ずにすむという』。『中国で「獏(貘)」は古くから文献に見えるが、どんな動物であるかについては文献によって一定しない。『爾雅』釈獣には「白豹」であるといい、『説文解字』には「熊に似て黄黒色、蜀中(四川省)に住む」(『爾雅』疏に引く『字林』も同様だが「白黄色」とする)であるという。『爾雅』の郭璞注には「熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる」とあり、ジャイアントパンダを指したようである』。『段玉裁『説文解字注』でも「今も四川省にいる」とあるので、やはりパンダである』ように思われるが、『後に、白黒まだらであることからバクと混同され、また金属を食べるという伝説が大きく取り上げられることになった』。『『本草綱目』にも引かれている白居易「貘屏賛」序によると、鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラにそれぞれ似ているとされる』。『中国の獏伝説では悪夢を食らう描写は存在せず、獏の毛皮を座布団や寝具に用いると疾病や悪気を避けるといわれ、獏の絵を描いて邪気を払う風習もあり、唐代には屏風に獏が描かれることもあった』。『こうした俗信が日本に伝わるにあたり、「悪夢を払う」が転じて「悪夢を食べる」と解釈されるようになったと考えられている』。『『後漢書』や』『『唐六典』の注に伯奇(はくき)が夢を食うといい』、『これが獏と混同されたとの説もある』。なお、『この「伯奇」を「莫奇」と書いてある文献もあるが、江戸時代の小島成斎『酣中清話』の記載を孫引きしたもののようである』。『日本の室町時代末期には、獏の図や文字は縁起物として用いられた。正月に良い初夢を見るために枕の下に宝船の絵を敷く際、悪い夢を見ても獏が食べてくれるようにと、船の帆に「獏」と書く風習も見られた』。『江戸時代には獏を描いた札が縁起物として流行し、箱枕に獏の絵が描かれたり』、『獏の形をした「獏枕」が作られることもあった』。また『中国の聖獣・白澤と混同されることもある。東京都の五百羅漢寺にある獏王像も、本来は白澤の像とされている』(これは私の偏愛する像である)。『近年のフィクションで獏もしくはそれをイメージしたキャラクターが悪役として出る場合は、伝承とは逆転して良い夢を食べて絶望に追いやったり、悪夢を見せたりすることが多い』。『奇蹄目バク科の哺乳類のバクは、この伝説上の獏と姿が類似する事から、この名前がついた』『なお、京都大学名誉教授林巳奈夫の書いた『神と獣の紋様学中国古代の神がみ』によれば、古代中国の遺跡から、実在する動物であるバクをかたどったと見られる青銅器が出土している。このことから、古代中国にはバク(マレーバク)が生息しており、後世において絶滅したがために、伝説上の動物・獏として後世に伝わった可能性も否定はできない。なお』、『古代中国においては、他にもアジアゾウやインドサイが生息しており、その後』、『絶滅している』とあるから、私の推理は的外れではあるまい。

 但し、笹間良彦著「図説 日本未確認生物辞典」(一九九四年柏美術出版刊)の「獏」には、本「和漢三才図会」の訳を引かれた後、『大変な能力ある動物であるが、動物学上獏(タピール)』(Tapir:バクの英名)『と名付けられたものに外形は似ているが、全く想像的動物である』。タピールは『有蹄類の奇蹄類獏科でおとなしい動物でこれが伝説の夢を食う動物とされるようになったのは何故であろうか』とされた上で、『中国の』「唐六典」の「詞部郎中職」の記載の十二神『の中に漠奇という夢を食う動物の話があり』、『漠奇から漠が結びつけられたものらし』とされ、「節序紀原」(釋如松著・延宝七(一六七九)年刊)から以下を訳しておられる。

   《引用開始》

いまの世に節分の夜に漠の形を描いたものを枕に用いたり描いたものを敷いてねると、悪い夢を見たときに獏が食ってくれると信じる風習がある。考えるにその元は『爾雅』とい う書から出たようである。これに獏は金属のような固いものや竹を食うとあるが、夢を食うという説は記していない。

唐の白居易の漠を描いた屏風に讃して、獏は鼻は象のようで目は犀に似、尾は牛に似て足は虎に似る。獏の皮は湿気を避け、その図を敷くと邪気を避ける。いまの世で白澤と混同している。また、『陸佃』がいうのには、獏の皮を座蒲団や寝具に用いるともろもろの湿病悪気を避けるといっているのを、悪い夢を食うというのに誤まったのであろうか。

   《引用終了》

と、悪夢を食うという認識は中国ではなかった如松は断じており、笹間氏も『漠が夢を食うというのは誤解であろう』とはされる(但し、私はそうは思わない)。以下、笹間氏はその後、『獏は白澤であるという人も出てくるが、縁起物として獏の図や文字を用いるようになったのは室町時代末期頃からであるから、漠が夢を食うという俗信が日本に伝わったのはそれ以前からであろう』とされ、江戸後期の御家人で右筆であった国学者屋代弘賢(やしろひろかた 宝暦八(一七五八)年~天保一二(一八四一)年)の「不忍文庫画譜」にある以下を引かれる。

   *

陸月に用ふる宝船のえ[やぶちゃん注:ママ。「繪」であろうから「ゑ」が正しい。]はいつの頃より始りぬるにや。大永[やぶちゃん注:一五二一年~一五二七年。室町幕府はあるものの、戦国初期。]のころ巽阿彌[やぶちゃん注:「そんあみ」。]が記[やぶちゃん注:「澤巽阿彌覺書」か。]に見えたれば其前よりや行はれぬらむでや此一ひらはかけまくもかしこしき後水尾院[やぶちゃん注:文禄五(一五九六)年~延宝八(一六八〇)年/在位:慶長一六(一六一一)年~寛永六(一六二九)年。]獏の字を書き給ひて御手づから版にえらせ給ひしとて、今も勘使所(かんづかひどころ)[やぶちゃん注:京都御所口向(くちむき)役所。「口向」は経理・総務担当を指す。]にひめおかるとかや。

   *

『とあり、正月の初夢には宝船の図を描いた絵を枕の下に敷いて寝る縁起的風習があって宝船の帆の中央に「宝」の字を書くのが一般であるが、目出度い吉夢をばかり見るとは限らず嫌な夢を見ることがある。そこで夢を食うと言い伝えられている漠を図の代わりに文字で書き込んだ宝船の図も使われたことを物語るものである』とされ、さらに、国学者喜多村信節(きたむらのぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の「萩原随筆」を引いてこれは後小松院(一三八三~一四一二年・足利四代将軍義持の治世で室町初期)のこともするとある。また、『獏の図の札が縁起物として流行したのは江戸時代で、井原西鶴の『好色一代男』にも』(恣意的に漢字を正字化した)、

   *

二日は越年にて或人鞍馬山に誘はれて一原といふ野を行けば、厄拂い[やぶちゃん注:ママ。]の聲、夢違の獏の札、寶船賣など鰯柊[やぶちゃん注:「いはしひいらぎ」。魔除け。]をさして鬼打豆云云。

   *

『とあり、獏の図を枕に敷くのは晦日とも一日ともいう』と記されて、『このように、獏が夢を食うと信ぜられたのは日本だけのようである』。『そのために江戸時代頃までの箱枕には側面に漠の絵を描いたものもあり、この縁起の獏の絵は動物学上の獏』『とは全く似ていない動物である』とされる。ウィキの「獏」の葛飾北斎の「貘」、及び、豊臣秀吉貘枕の画像をリンクさせておく。

 最後に、モデル生物と目されるウィキの「マレーバク」を引いておく。体長百八十~二百五十センチメートル、尾長五~十センチメートル、肩高九十~百五センチメートル、体重二百五十~五百四十キログラム。『頭部から肩、四肢の体色は黒く、胴体中央部の体色は白い』。『これにより』、『昼間では白色部が際立つことで輪郭が不明瞭になり』、『捕食者に発見されにくくなると考えられている』。『頸部の皮膚は固く、厚さ』二~三『センチメートルに達する』。『生後』六『か月以内の幼獣には白い縦縞が入る』。『河川や沼地の周辺にある多雨林に生息する』。『夜行性』で、『群れは形成せず、単独で生活する』。『危険を感じると』、『茂みや水中へ逃げ込む』。『食性は植物食性で、主に木の葉を食べるが』、『果実も食べる』。『妊娠期間は』三百九十~四百七日。四~五月に、一回に一頭の『幼獣を産む』。『生後』二『年半から』三『年で性成熟する』。『タイの山岳民族の間では』、『神が余りものを繋ぎ合わせて創造した動物とされた』。『開発による生息地の破壊、娯楽やペット用の狩猟などにより』、『生息数は減少している』とある。]

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