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2019/03/01

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獅子(しし) (ライオンをモデルとした仮想獣類)

 

Sisi

 

 

しゝ   狻猊 虓【音】

 

獅子

 

スウツウ

 

本綱獅爲百獸長出西域狀如虎而小也黃色亦如金色

猱狗而頭大尾長亦有青色者銅頭鐵額鈎爪鋸牙

昂鼻目光如電吼聲如雷有耏髯牡者尾上茸毛大如斗

日走五百里爲毛蟲長怒則威在齒喜則威在尾毎一吼

則百獸辟易馬皆溺血拉虎吞貔裂犀分象其食諸禽獸

以氣吹之羽毛紛落其毛入牛羊馬乳中皆化成水雖死

後虎豹不敢食西域畜之七日内取其未開目者調習之

若稍長則難馴矣其屎極臭赤黒色

                 慈鎭

 拾玉位山浮世にこそは下るとも獅子の座にのる身とも成なん

博物志魏武帝至白狼山見物如狸跳至獅子頭殺之唐

史髙宗時伽毘耶國獻天鐵獸能擒獅象則獅雖猛悍又

有制之者也

 

 

しゝ   狻猊〔(さんげい)〕

     虓〔(こう)〕【音、[やぶちゃん注:欠字]。】

獅子

 

スウツウ

 

「本綱」、獅〔(しし)〕、百獸の長たり。西域に出づ。狀〔(かたち)〕、虎のごとくして、小さし。黃色〔も〕亦、金色の猱狗(むくいぬ)のごとくにして、頭、大きく、尾、長し。亦た、青色の者も有り。銅〔(あかがね)〕の頭〔(かしら)〕、鐵〔(くろがね)〕の額〔(ひたひ)〕、鈎〔(かぎ)〕の爪、鋸〔(のこぎり)〕の牙、〔(た)てる〕耳、昂〔(たか)き〕鼻[やぶちゃん注:高く盛り上がった鼻。]。目の光り、電〔(いなづま)〕のごとく、吼〔(ほ)ゆ〕る聲〔もまた〕雷〔(かみなり)〕のごとし。耏-髯〔(ほほひげ)〕有り。牡は尾の上に茸毛〔(じようまう)〕[やぶちゃん注:白い綿毛。]有り、〔その〕大いさ、斗〔(とます)〕のごとし。日々に走ること、五百里。毛ある蟲〔(ちう)〕[やぶちゃん注:人を含む動物全般の謂い。]の長(をさ)たり。怒るときは、則ち、威〔(い)は〕齒に在り、喜ぶときは、則ち、威〔は〕尾に在る。毎〔(つね)〕に一吼〔(いつく)〕すれば、則ち、百獸、辟易す。馬、皆、溺血〔(ちのいばりをなが)〕す。虎を拉(とりひし)ぎ、貔〔(ひ)〕[やぶちゃん注:貔貅(ひきゅう)。伝説上の猛獣の名。]を吞み、犀を裂(さ)き、象を分〔(わか)〕つ[やぶちゃん注:真っ二つにしてしまう。]。其れ、諸禽獸を食ふに、氣を以つて之れを吹かば、羽毛、其の毛を紛落〔(ふんらく)〕す[やぶちゃん注:乱れ散るように脱落してしまう。]。〔また、獅子の毛は、其れ、〕牛・羊・馬の乳の中に入れば、皆、化して水と成る。死して後と雖も、虎・豹、敢へて食はず。西域に〔ては〕之れを畜(か)ふ。七日の内、其の未だ目を開〔(ひら)〕かざる者を取り、之れを調習〔(てうしゆう)〕す。若〔(も)〕し、稍〔(やや)〕長ずれば、則ち、馴れ難し。其の屎〔(くそ)〕、極めて臭く、赤黒色〔たり〕。

                 慈鎭

 「拾玉」

   位山(くらゐやま)浮き世にこそは下(くだ)るとも

      獅子の座にのる身とも成りなん

「博物志」〔に〕、『魏の武帝、白狼山に至り、物を見る〔に〕、狸〔(たぬき)〕のごとき〔もの〕、跳〔(と)〕んで、獅子の頭に至り、之れを殺す』〔と〕。「唐史」に、『髙宗の時、伽毘耶〔(カビヤ)〕國より「天鐵獸」を獻ずる。〔これ、〕能く獅・象を擒(と)る』といふときは、則ち、獅、猛悍〔(まうかん)〕[やぶちゃん注:気性が荒くて獰猛であること。]と雖も、又、之れを制する者、有るなり。

[やぶちゃん注:所謂、哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属ライオン Panthera leo(紀元前一〇〇年頃まではインドからアラビア・アフリカに広く分布したが、現在ではアフリカ中部とインドの一部(インドの個体群は絶滅が危惧されている)にのみに分布する)がモデルとなって想像された伝説上の生物。本邦の神社にある左右の狛犬のうちでも角がないものがそれ。但し、伝承過程での幾つかの混淆があり、ここでも冒頭に異名として挙がる「狻猊〔(さんげい)〕」は「獅子」とは別種の獣とする説がありウィキの「狻猊」によれば、「爾雅」(じが:現存する中国最古の類語辞典・語釈辞典。春秋戦国時代以降に行われた古典語義解釈を漢初(前漢は紀元前二〇六年から紀元後八年まで)の学者が整理補充したものと考えられている)の「釈獣」本文には「狻麑」として見え、猫(さんびょう:毛色が薄い虎の類、或いは豹の一種とも言う)に似て、虎や豹を食うとあるものの、郭璞(かくはく 二七六年~三二四年:西晋・東晋の文学者)の注では、早くもそれを「獅子」のこととしている。「穆天子伝(ぼくてんしでん)」(周の穆王の伝記を中心とした全六巻から成る歴史書であるが、成立年も作者も不詳の奇書)『には「狻猊は五百里を走る」と』ある。『漢訳仏典でも狻猊は獅子の別名として使われ』、玄奘訳の「大菩薩蔵経」(「大宝積経」の「菩薩蔵会」)に、『「喬答摩(ガウタマ)種狻猊頷、無畏猶如師子王。」といい』、「玄応音義」では『「狻猊は獅子のことで、サンスクリットでは僧訶(シンハ)という」とする』。『仏陀はしばしば獅子にたとえられるため、仏陀のすわる場所を「獅子座」と呼ぶことがある』。『ここから高僧の座る場所も「獅子座」あるいは「猊座」といい、「猊座の下(もと)に居る者」という意味で、高僧の尊称や、高僧に送る手紙の脇付けは「猊下」となった』。『銅鏡、各神獣鏡の意匠、特に唐の時代に作られた「海獣葡萄鏡」に多数見受けられる瑞獣を海獣または狻猊と呼ぶことがある。なお、海獣とは砂漠の向こうに住む「海外の獣」という意味であるという』。『明代には竜が生んだ九匹の子である竜生九子(りゅうせいきゅうし)の一匹とされ』、楊慎の「升庵外集」に『よれば、獅子に似た姿で』(と、明代にはまたしても「獅子」とは別種となっているのである)、『煙や火を好み、故に香炉の脚の意匠にされるという』。なお、『「狻」の読みは、しばしば』、『つくりの「夋」に引かれて百姓読み』(漢字熟語の誤読様態の一種。形声文字の音符((つくり)や(あし)の部分)につられた読み方を勝手にしてしまうことを指す)『した「シュン」との表記が散見されるが、反切は』「唐韻」で『素官切』、「集韻」などでは『蘇官』『とあり、「サン」が正しい(酸と同音)』と注記がある。小学館「日本大百科全書」の「獅子」では『猛獣ライオンlionの称』としつつも、文化的な側面をコンパクトに纏めているので、それを引く。『「師子」とも書く。古来百獣の王とされ、たたえて「獅子王」ともよんだ。その威容および迅速勇猛な性質から、多くの民族において力や権威、王権などの象徴となっている。東アジアでは、これをもとに想像上の獣が考えられた。仏教では、文殊菩薩』『の乗り物であり、「獅子吼(く)」は、獅子の咆哮』『が百獣を威服させるところから、釈迦』『の説法を比喩』『する。「獅子座」は仏の座席、転じて高僧の座をいう。獅子には悪魔を圧する霊力があると信じられたために、門や扉の守護物とする習俗が生じ、日本でも、神社の社前や宮中の鎮子(ちんし)』「ちんじ」「ちんす」とも読む。調度品の一つで、室内の敷物・帳(とばり)・軸物などが風に煽られないように押さえる重(おも)し、風鎮や文鎮などのこと)『に、狛犬』『と対をなして獅子の像を置き魔除』『けとした。新年や祭礼に「獅子頭(がしら)」をかぶって舞う「獅子舞」も、悪霊退散の呪術』『であり、日本へは中国から伝来した。なお、「唐(から)獅子」(外国の獣(しし)の意)は、絵画彫刻に装飾化した獅子をいう場合があり、ことに牡丹(ぼたん)の花との配合はもっとも絢爛(けんらん)豪華な意匠である』とある。

 

「虓〔(こう)〕」この漢字は現在、「嘯(うそぶ)く。虎が吼(ほ)える、また、その声」、「怒る。虎が怒る」、「獅子」の意などがあるとする(大修館「廣漢和辭典」)。

「金色の猱狗(むくいぬ)」実際のライオンを考えると、金色の毛がふさふさと垂れた尨犬(むくいぬ)というのは言い得て妙ではある。

〔(た)てる〕耳」東洋文庫訳は『垂れた耳』としてはいるのであるが、やや疑問があり、かく訓じた。この「」、大修館「廣漢和辭典」を引くと、音「テフ(チョウ)」では確かに「耳の垂れさがる形容とはあるのだが、これを音「ダク・チャク」と読んだ場合は、真逆の「耳のたつ形容」であるとあるからなのである。付図の獅子の耳は分明でないので証左にならぬが、何枚かの絵図を拡大して見てみると、耳穴が前に向いて開いて見えているようなものが多い(則ち、耳介は垂れておらず、体に対しては外側を体側に貼り付けるように立っているのである)し、彫像化されたものや神社の狛犬と並ぶ獅子も耳はしっかり有意に立っている。何より、本邦の獅子舞の耳は可動式である者が多く、それは寧ろ、ピンと立つのを獅子の持つ鋭敏・敏感さの象徴としていると言える。それらを考えた時、寧ろ、これは「垂れる」ではなく、「立つ」の意なのではないかという確信を持ったのである。大方の御叱正を俟つものではある。

「斗〔(とます)〕」明代の一斗は十七リットル。現在の普通の酒樽の一斗樽は十八リットル。

「日々に走ること、五百里」明代の一里は五百五十九・八メートルしかないから、二百八十キロメートル弱。「日々」は「毎日」の意ととり、機械的に一日二十四時間で割ると、時速十一・六六キロメートルとなる。因みに、モデルであるライオンの瞬間最高速度は時速八十キロメートルにも達するものの、持続力はなく、群れで狩りをするのは、そうしないと駿足のガゼルなどには簡単に逃げられてしまうからである。また、ライオンは寝ている時間の方が長い。例えば、トラと比べても、トラの方が速い。だから、トラは単独で狩りをするのである。

「貔〔(ひ)〕」貔貅(ひきゅう)。伝説上の猛獣の名。図像はウィキの「貔貅」を見られたい。

「羽毛、其の毛」鳥の羽や獣の体毛、その総ての毛が。

「其の屎〔(くそ)〕、極めて臭く、赤黒色〔たり〕」「本草綱目」ではこの後に、「主治」として、『服之、破宿血、殺百蟲。燒之、去鬼氣【藏器】』と薬効を記す。しかし、唐代の段成式の「酉陽雜爼」の「巻十六 毛篇」(獣類のパート)の冒頭の「師子」(=獅子)を見ると、昔から生薬「蘇合香」は「獅子の糞」であると言われているとあるものの、同書の今村与志雄訳注本(一九八一年東洋文庫刊)では、それは梁の陶弘景(時珍が「本草綱目」でよく彼の説を引く)が記した当時の俗説であって、「蘇合香」とは「獅子の糞」ではなく、ユキノシタ目マンサク科フウ(楓)属ソゴウコウノキ(蘇合香の木)Liquidambar orientalis の樹脂であるとある(疥癬治療等に効果があるとする)。因みに、「楓」は本木本属フウ属の正漢字で、実は我々がムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer に当てている「楓」、カエデ類の漢字は、正しくは「槭」なのである。

「慈鎭」「拾玉」「位山(くらゐやま)浮き世にこそは下(くだ)るとも獅子の座にのる身とも成りなん」「拾玉集」。歴史書「愚管抄」の作者として知られる、平安末から鎌倉初期の天台僧慈円(久寿二(一一五五)年~嘉禄元(一二二五)年:摂政関白藤原忠通の子で、摂政関白九条兼実は同母兄天台座主就任は四度に亙った。「慈鎭」(和尚)は諡号)の私家集。慈円の死後百年近く経った、鎌倉末から南北朝期の嘉暦三(一三二八)年から興国七/貞和二(一三四六)年の間に伏見天皇の皇子で青蓮院門跡・天台座主を務めた尊円法親王が編纂したもので、歌の他に散文も収める。一首の校訂は同書を所持しないので不能。【2019年3月3日一部削除・追記】いつも種々の記事で情報を戴くT氏より、国文学研究資料館の同歌集の当該の画像を戴いた(私はADSLで、見るのに異様に時間が掛かるので使用しない)。そこでは、

 位山うき世にこそは下るとも獅子の座にゐる身とも也なん

で「のる」ではなく、「ゐる」あった。

「博物志」十巻。もとは三国時代の魏から西晋にかけての政治家で博物学者であった張華(二三二年~三〇〇年)が撰したものであるが、散佚してしまい、後代、諸書に記された引用を集めたものが残る。東洋文庫の書名注には、『博学な著者が、山川や不思議な動植物・物名などについて様々な珍しい話を集めて記した書』とする。

「魏の武帝」後漢末の武将で政治家・詩人で、後漢の丞相から魏王となった、三国時代の魏の基礎を作ったかの曹操(一五五年~二二〇年)のこと。

「白狼山」現在の遼寧省朝陽市カラチン左翼モンゴル族自治県の附近(グーグル・マップ・データ)。ここは後漢末の二〇七年に、曹操と中国北部の異民族烏桓(うがん)との間で行われた「白狼山の戦い」で知られる。曹操軍は烏桓を打ち破り、この戦いで烏桓勢力は大幅に弱体化、後に魏や鮮卑の部族に吸収されることとなった。曰くつきの地であり、これが、この戦さの前の出来事なら、このタヌキみたような不詳の小動物が、獅子の頭に噛みついてそれを倒したというのは、曹操の「白狼山の戦い」での圧倒的勝利や後に魏王となることを予言するものとして作話されたものででもあったのであろう。

『「唐史」に……』東洋文庫の注に(太字は底本では傍点「ヽ」)『新・旧『唐書』高宗紀及び五行志には記載がない。なお『酉陽雜爼』(巻一六毛篇)に、「高宗のとき、加毘国から天鉄熊を献上した。白象・獅子をつかまえられた」とある』とする。しかし、残念ながら「加毘葉国」は前掲の今村氏の東洋文庫訳注でも未詳である。]

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