蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 聖燈 (ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの訳詩)
聖 燈
深(ふか)き眞晝(まひる)を弗拉曼(フラマン)の鄙(ひな)の路(みち)のべ、
いつきたる小(ちさ)き龕(ほくら)の傍(かた)へ過(す)ぎ
窺(うかが)へば懸(か)け聯(つら)ねたる畵(ゑ)の中(なか)に、
聖母(せいぼ)は御子(みこ)の寢(ね)すがたを擁(いだ)きたまへり
羊(ひつじ)を飼(か)へる少女(をとめ)らは羊(ひつじ)さし措(お)き、
晴(は)れし日(ひ)の謝恩(しやおん)やここにひざまづく、
はたや日(ひ)の夕(ゆふべ)もここにひざまづく、
悲(かな)しき宿世(すぐせ)泣(な)きなむも、はたまたここに。
夜(よ)も更(ふ)けしをり、同(おな)じ路、同(おな)じ龕(ほくら)の
かたへ過(す)ぎ、見(み)ればみ燈(あかし)ほのめきて
如法(によほふ)の闇(やみ)の寂(さび)しさを耀(かがや)き映(うつ)す、
かくも命(いのち)の溫(ぬく)み冷(ひ)え、疑(うたが)ひ胸(むね)に
燻(くゆ)る時(とき)、「信(しん)」のひかりをひたぶるに
賴(たの)め、その影(かげ)、あるは滅(き)え、あるは照(て)らさで。
ロセチ白耳義旅中の吟
[やぶちゃん注:「弗拉曼(フラマン)の」は実は底本は「弗拉曼(ブラマン)の」となっているが、これは誤植で、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。同じく三行目の「畵(ゑ)」も、底本ではルビが「ね」となってしまっているが、これも誤植で、同じく正誤表によって特異的に呈した。
前と同じくダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti 一八二八年~一八八二年)の訳詩。後書きは底本ではもっと下方にある。その「白耳義」「ベルギー」(België)の旅も恐らく同じ一八四九年九月から十月にかけてのものである。原詩は「Returning
To Brussels」。
*
Returning To Brussels
Upon
a Flemish road, when noon was deep,
I
passed a little consecrated shrine,
Where,
among simple pictures ranged in line,
The
blessed Mary holds her child asleep.
To
kneel here, shepherd-maidens leave their sheep
When
they feel grave because of the sunshine,
And
again kneel here in the day's decline;
And
here, when their life ails them, come to weep.
Night
being full, I passed on the same road
By
the same shrine; within, a lamp was lit
Which
through the silence of clear darkness glowed.
Thus,
when life's heat is past and doubts arise
Darkling,
the lamp of Faith must strengthen it,
Which
sometimes will not light and sometimes dies.
*
「弗拉曼(フラマン)の」(冒頭注参照)は原詩の「Flemish」で、「フランドル地方の」の意。フランドル(オランダ語:Vlaanderen/フランス語:Flandr/ドイツ語:Flandern)は旧フランドル伯伯(フランス語:Comte de Flandre)はフランドルを八六四年から一七九五年まで支配し続けた領主及びその称号)領を中心とする、オランダ南部・ベルギー西部・フランス北部にかけての、現在は三国に跨った広域地域を指す。中世に毛織物業を中心に商業・経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。]
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