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2019/03/30

原民喜 獨白

 

[やぶちゃん注:昭和一七(一九四二)年十月号『三田文學』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 因みに、本篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。【2019年3月30日公開 藪野直史】]

 

 獨 白

 

 あなたの夢は山道の出來事から始まります。あなたが息をひきとられてから、まだ三時間とたたない時、あなたの死體を乘せた自動車が夜道で故障を起してしまつたのです。それが氣も轉倒してゐる私にはただの出來事とは思へなかつたのです。兄と運轉手と私のほかには誰もゐない深夜の山道で、齒の根もカチカチ慄へる寒さでした。あなたをくるんだ毛布がかすかに私の方にずり下る氣配がして、ぢつと息を潛めてゐると、たしかにあなたは毛布を隔てて私にだけ分る合圖をなさつてゐるのでした。

 思はず私は、あなたの掌を捉へ、それを固く握り締めたまま、戰く胸のところに當ててをりました。そして、ガタガタ慄へだしました。急に底知れない怕さが漲つて來るやうでした。次いて、何か途轍もない力によつて私たちは天空高く舞上るやうな心持がしました。あなたの力が、あなたを滅ぼしたものの力が、ぎりぎりと私の額のところを捩ぢ伏せてゐました。悶絕の姿勢のまま、私はある限りの奇蹟を待ち望んでゐたのでせう。

 ……しかし、自動車は夜明前に修繕が整ふと、やがてあなたの生家の方へ向つて走り出しました。それから後はふらふらとした悲嘆の風景です。

 夢では、……あなたはいつもみごとに生きてをられます。眞暗な處で、自動車が停まつてしまつても、あなたはすつと座席を立つて車の外へ出て行かれるのです。それから、運轉手と何か二こと三こと話しあつてゐて、あなたは何時の間にかそんなことも硏究なさつたのか、せつせと修繕の指圖をなさるのです。それが、まだ退院したばかりの身で無理ではないかしらと心配すれば、わざわざあなたは窓の方へ顏を寄せて、「大丈夫だよ」と斷られるのです。……と思ふと、もう私たちは家へ歸つてをります。何もかも新規蒔直だ、と、あなたは押入の中の書物を取出し、あるじの留守の間そつとその儘つつましく待つてゐた机の上に一つ一つ積み重ねて行かれます。すると、もう父親の顏をよく憶えてゐる薰が、「お父さん、お父さん」と嬉しげに附纏ひ、次男の耿二はこれも兄に眞似て珍しげに何か片ことを喋るのです。あなたは二人の子供を膝にあやしながら、視線はぼんやりと穴だらけの障子にとどまつてゐます。天井も柱も煤けて歪んだこのボロボロの家屋が、しかし今では一寸も心細くなくなるのです。……あなたは疊の上に放り出されてゐる玩具のタンクを一寸弄つてゐられると、ふと思ひ出したやうに、うんと一人で頷かれます。「入院中素晴しい考が浮んだよ、あれをつきつめて行けば吃度ものになるんだ、糸口だけはもう見つかつてゐるのだから……」と、あなたは早速ノートを出して、私には解らない公式を書込んでをられます。あなたの指さきは忙しさうに鉛筆を運んでをられますが、眼は奧深く澄んで無限を視凝めてゐるもののやうです。……その姿を見てゐると、泉のやうに湧き出すあなたの計畫の實現を信じないではゐられません。それでゐて、少しつつ、不安になつて來るのは、どうしてなのでせう。やはり以前の悲しい記憶が忍びこんで來るのでせうか。

「もう大丈夫だよ」とあなたはその頃よく云はれました。實際誰の眼にもあなたは圓々と肥えて元氣さうでした。母の葬式の時も、あなたは大勢の人にうち混じって努めて人並に振舞はれました。そして葬ひが濟むと、萎れてゐる私を引立てるために、あなたはもう就職のことやら轉居やら、いろんな計畫で心を奪はれました。それまでの不安な生活はほとほと私達を疲れさせてゐましたが、遽かにあなたは奇蹟のやうに若々しく晴れやかになられました。

 そして、あれは大學の方への復職がほぼ決まりかけた時です。何となく苛々する朝、あなたは起きがけにかすれた聲で私の名を呼ばれました。そして、それを知つた時の私はただ「大丈夫よ」と繰返し、體はづしんと地の底に沈んで行くやうでした。それにもまして、あなたは石のやうに默したまま、絕對安靜の姿勢で天井を視つめてゐられました。まるで私達を呪ふものがそこの天井にゐるかのやうに、私はあなたの視線の跡を追つてみました。失望に塗りつぶされた私の眼に、その煤けた天井は夜のやうに眞暗でした。

 あの朝の不吉な印象はこの頃でも、そつと夢の中に紛れ込みます。……私はくたくたに疲れて、身も魂も呻きとほしてゐます。さうすると、譯のわからぬ怒りが押寄せて來て、見るまに私の體は浮び上り、自分ながらおそろしい感覺で魘されます[やぶちゃん注:「うなされます。]。高く高く宙に浮上つた私の體のはるか向うに、あなたの姿が小さく儚なく見えます。それは海の中の絕對安靜の島。狂つてうはづつた風景です。

 

 あの朝の打擊が段々鎭まると、あなたの健康はまた順調になつてゆかれたやうです。やがて、私達は郊外の川に近い借家へ引越しました。あなたの計畫は挫折しましたが、あなたはまた新しい方針を立て、心は碎けてゐなかつたのです。旅先に託けてあつた家財道具も取寄せ、久振りに家らしい場所を得ました。そこでは靜臥椅子を備へたり、療養書を讀み漁つたりして、あなたは自分の病氣をすつかり硏究されました。……靜かな環境の中に月日は水のやうに流れてゆきました。あなたはよく無念無想の顏で、緣側の椅子の上に橫臥したまま、夕ぐれの近づく空を見つめてをられます。あなたのまはりの空氣は甘くゆるやかに流れ、そこには何か恍惚としたものが、あなたにだけ感じられるものが漾つてゐます。……あの頃があなたの生涯のうちでは一番穩かないい時期だつたのではないでせうか。愚かな私はあなたの安らかさうな姿に、時折、どうにもならぬ怒りを感じました。久しく收入の途が絕たれ、その上賴みとなる母を失ひ、僅かばかりの貯金を下し下し暮してゐる身は、だんだん大きくなつてくる子供を見ても、ぢりぢりと苛立つのでした。ぢりぢりといら立つ火の上に坐つてゐるやうな氣がして、それを考へると堪らないのでした。しかし、今では、……今ではあの頃を追慕するばかりです。いら立つ火を背負つてゐたのはあなたも同じだつたに相違ありません。はじめてあなたと知つた頃から、あなたは愁はしげな口調で「われわれは不幸な日を生きぬいてゐるのだ」と、よくそんな風に云はれたものです。

 

 よくよく、あの家があなたには氣に入つたとみえて、どうかするとあなたは夢ではあそこの家に舞戾つて來られるのです。それは朝餉が濟んで、あなたが緣側の椅子に移り、もの音が杜絕えた一時、玄關の戶が開いて、郵便と何か放る音がするので何だらうと思つて出てみると、大學の雜誌なのです。こんなものを見せてはあなたは又夕方熱を出されるだらうと、躊躇してゐるうちに、あなたはもう側からその雜誌を奪ひ取られます。あなたの友達の消息が出てゐるところを覗き込むと、をかしなことに次の頁には私の女學校の友達の安否が載つてゐて△印を附けたのは未亡人のしるしだとあるのです。と思ふと、あなたはやにはに後の方の頁をめくつて見て、「出た、出たぞ」と面白さうに云ほれます。見ればあなたの下手な俳句が一句、薰といふ號で載つてゐるのです。そこへ薰はあわただしげに外から走つて來て、「お母さん、雙葉屋に食パンを賣出したよ、早く、早く」と急き立てるので、私も夢中で走り出し、つい目が覺めてしまふのです。

 

 あなたの健康は少しつつ良くなつて行くやうでした。やがて凉しい季節が來ればもう散步にも出られさうでした。その時あの支那事變が始まつたのでした。あなたは容易ならぬ面持で、何ごとかをきびしく豫想されました。「さうだ、かうしてはゐられない」と、あなたは事變の進展する度にさう呟かれました。ほんとに、あなたにとつて、もし健康さへ許されてをれば、今はどんなに澤山の仕事が待つてゐたことでせう。あなたがそれを一つ一つ說明されると、目には見えなくても、到る處の工場や發電所が猛烈な勢で唸つてゐるやうに想はれるのでした。しかし、あなたは興奮して話された後はいつも翼を奪はれた鳥のやうに、力なく椅子に橫臥されてしまひます。凉しい季節が訪れても、あなたの熱は退かうともしませんでした。秋風の中を汽車の響がして、風にひきちぎられて、萬歲! 萬歲! 萬歲! といふ聲が、軒近く緣側の椅子のところまで漾つて來ます。それは聞く人の心を遠くへ持去つて行くやうでした。そんな日がいく日もいく日も續いてゐました。……あなたの顏はひどく動搖してゐるやうでしたが、やがて、眼の色がだんだん深く澄んで來ました。あなたは以前の落着をとりかへされ、それに一層何か偉大なものがつけ加はつたやうでした。病氣はあなたの意志で再び克服されて行くやうでした。その頃のことです、あなたは專門の學問の外に俳句や土いぢりに興味を持たれ始めました。あなたは日常生活の一寸したことにも面白い工夫や新しい發見をなさいます。しかし、俳句はをかしいほど下手でしたが、あなたは生活の單調に屈托されることはありませんでした。何か素晴しい代用品を考案してみせるぞと、よく冗談半分に云はれます。あなたの話を聞いてゐると、私にはもうそれが出來上つたやうに思へるのでした。病氣さへ恢復すればと、私の祈ることはそればかりでした。……あなたが二番目の子供の父親になられたことが判つた時、あなたはまたひどく動搖されました。「是が非でも早く治つてみせる」と、あなたは低く引締つた聲で云はれました。そして、一層悲痛なことには、その翌日から輕微ながらよくない徴候があらはれました。

 あなたはまた前にも增して、激しい鬪病精神に燃え立たれました。そして、それは次第に貫徹されて行きました。二番目の子供の顏を見られた時、あなたは殆ど健康に辿り着かれたやうでした。もう子供はそろそろ匐ひ出すやうになりました。二人の子供の父親となられたあなたは、更に大きな計畫を夢みながら、おもむろに身をいたはつてをられました。越して來た頃は靜かだつた環境も、その頃になると遽かに家が建込んで、だんだん暮し難くなりました。子供を連れて、ぶらぶら散步してゐるあなたの姿が心ない人の口の端にのばり、後指をさされることもありました。そんな時も、あなたはじつと堪へ忍んでをられました。そして、遂に忍苦の報いられる日が來ました。醫者の保證も得て、就職の決定した日、そんな日が到頭やつて來たのでした。「少しづつ、少しつっだ」と、あなたはその日、自信を籠めて呟かれました。

 ――それから後のことは、今も私は苦痛なしには囘想出來ません。あれは長い療養中に蓄積されてゐた、仕事に對するあなたの情熱が逸散に塞を切つて[やぶちゃん注:「いつさんにせきをきつて」。]溢れ出したのでした。それはあなたの短かい生涯に輝きを放つた最後の虹だつたのでせうか。その虹はあえなく消え失せたのでせうか。いいえ、今も、どこかに、大きな虹は交錯してをります。その虹をひそかに誰かが仰ぎみるのです。

 

 あなたにとつても、私にとつても、あの土地はまだまざまざと生殘つてゐます。汽船がはじめて、あそこの港に入つた時、小さな街は一眸[やぶちゃん注:「いちぼう」。「一望」に同じい。]のうちに收まり、その丘の端に新設された高等工業の校舍が、あなたを招くやうに見えました。二人の子供を連れて、(-人はまだ私の胸に抱かれてゐましたが)にこやかに甲板に降り立たれた時のあなたは……、それが半年後、看護婦に助けられて、よろよろと甲板を步む姿に變らうとは誰が想像したでせう。……その土地は氣候も穩かだつたし、あなたは高等工業の敎授として、病後の保養を續けながら、少しづつ硏究を積まれて行くはずだつたのです。その土地の借家へ落着いた時、あなたは新郞のやうに若々しく、道はおもむろに開かれてゆくやうでした。しかし、あなたは殆ど凝と心を休息させてはをられませんでした。そこへ越す少し前から始まりさうだつたヨーロッパの戰爭も遂に火蓋が切られましたが、あなたは新聞に眼を走らせながら、これからさきの世の中はどうなると細かなことまで豫想されるのでした。……今になつてそれらを思ひ出してみると、あなたの豫見は大槪的中してゐるやうです。あなたのすぐれた眼の中には、そんなに未來のことがらがよく見えてゐながら、どうして、あなた自身のことがらは見えなかつたのでせう。それとも、やはり私のあなたに對する注意が足りなかつたのでせうか。

 とめても、とめても、あなたは忙しさうに勉强なさいました。遲くまで、あなたの部屋に灯が點いてゐて、その影法師を見てゐると、以前大學で助手をしてをられた頃の姿とそつくりでした。あの頃、あなたは先生の硏究を本に纏める仕事を引請けられ、身を損ねるまで夢中で働いてをられました。私はふと今度はその姿に怯氣[やぶちゃん注:「おぢけ」と読んでいよう。「怖気」に同じい。]を感じましたが、しかし、晝間出勤から戾られた時のあなたの姿はまるで疲勞を知らない人のやうに快活でした。……あなたは新設の學校に用件が多いのを寧ろ喜んでをられるやうな風でした。そしてあなたは餘計な仕事までわざわざ引請けて來られました。就任されてまだ一ケ月も經たないうちに、あなたは學校の用件で東京へ出張され、まだその疲れも休まらないのに今度は京都の方へ出掛けられました。長途の旅から戾られると、あなたは頻りに何かわからないものに對して張合ひを感じてゐられるやうでした。……そして、私達親子四人で秋晴の日曜日をピクニツクに出掛けた時、私は川のほとりで、やはりあなたと同じやうに何かわからないものに對して限りなく滿ちたりたものを感じてゐました。ところが、ふと、その時感謝の氣持を隱しながら、あなたの方を振向くと、あなたの姿はどこか肩のあたりが何かしーんとした寂しさに溢れてゐるのでした。その姿を思ひ出すと、今でも泣けてなりません。

 あなたが肺炎に罹られたのは、その年の暮です。打續く高熱のうちに、あなたは昏々として頑張れてゐました。病氣が峠を越した時、あなたはいつものやうに、「なあにすぐよくなる」と、もう學校のことなど氣にされてゐました。しかし、醫者は苦しい口調で絕對安靜を言渡しました。あなたの健康はすつかり駄目になつてゐたのです。レントゲンの寫眞を示されて、醫者からそれを云はれた時、私は何もかも當分諦めねばならぬと決心しました。それから私達は汽船に乘つて、鄕里の方へ引返したのでした。

 

 こんどの打擊はすぐにもう私たちを根こそぎにしてしまひさうでした。しかし、あなたは「またやり直しだね」と、氣輕に療養所へ入院されました。それは殆ど絕望を知らない人のやうでした。「すぐにまたおうちへ歸つて行くよ」とあなたは薰に對つて[やぶちゃん注:「むかつて」。]さう仰るのでした。……「少しづつ良くなつてゐるらしい」――あなたは見舞に行くたびに吟味するやうな顏で、暫くためらひながら、ふと明るい眼つきをなさいました。容易ならぬところまで行きついてゐる體も、どこかから奇蹟の救ひがさづかりさうでした。「少しづつ良くなつてゐるらしい」その言葉はいつも奇蹟のひびきが籠つてゐるやうでした。さうして、あなたはあそこで一年近くも鬪病を續けて行かれました。

 ……そのうちにあなたは見舞に來る人のうち、お母さんに對して、妙に腹を立てられるやうになりました。もともと性のあはない間柄のやうでしたが、その頃になると、何故かあなたはお母さんをひどく呪つてゐられるのでした。そして、あなたは短歌を作り始められました。以前の俳句とは違つて、悲しい心魂を打込んだやうな歌が、いくつも枕頭のノートに書込まれてゐました。さうかと思ふと、あなたは博い知識を病院中に振り撒いて、お醫者をとらへては滔々と議論をなさるのでした。そんなにあなたは淋しかつたのでせう。

 ……その朝、あなたは食事を終つて、恰度誰も室内に人がゐない時、突然無慘な徴候が襲つて來ました。人々に助けられて、やがて、いくらか人心地に戾られた時、あなたはすつかり晴々した顏で、「助かつた、助かつた、有難う、有難う」と頻りみんなに感謝なさいました。電報で知つて私が駈けつけた時、その時にはただ昏々とあなたは睡り續けてをられました。あれがあなたの最後の姿だつたのでせうか。

 

 あなたを喪つてからの私はいつも死の影に包まれてゐるやうです。眼に映るものの姿が死の相を帶びても、それが今ではごく普通のことのやうに親しめて參りました。それに、あなたはやはり死んではゐられないやうにも思へるのです。あなたといふ人の不思議な力や、あなたと結ばれた七年間の暮しが、時ととも意味を增し陰を深めて來るやうです。……はじめから、私といふ女は不幸な星の下に生れついてゐたのでせうか。豐かな家庭に育ちながら、幼い時から素直な氣持と云ふものに惠まれてゐませんでした。七つ違ひの姉が人からちやほや可愛がられるのにひきかへ、私は皆から疏んじ[やぶちゃん注:「うとんじ」と読んでいよう。「疎んじ」に同じ。]られてゐました。そして私は人に愛されることに激しい輕蔑と反撥を持ち續けました。誰をも寄せつけない、冷やかな蕊[やぶちゃん注:「しべ」ではなく「しん」と読んでおく。]が凝と固まつて行きました。それでも年頃になると、かうした態度も表面だけは緩和されてゐましたが、皮肉な心はひそかに硏ぎ澄まされてゐました。と、いふのも、私の姉の愚かな結婚が油を注いだのです。姉は殆どとる足りない俗惡な男を神樣のやうに崇拜しながら、その酷使に甘んじて三年目に病死してしまひました。その死際に至るまで、姉は自分の幸を疑はず、夫の名を呼びつづけてゐました。私は人間といふものの愚かさを、それから男といふものの恃むに足りないことを、その時はつきり見せつけられたと思ひました。自然と私は自分の未來の結婚にも暗影を描き出しました。どんな男と結婚したところで、私といふ人間は惠まれないと決めてしまつたのです。……ですから、あなたとの緣談が持上つた時も、私は何の期待も持つてはゐなかつたのです。母が勸めるままに、その人なら安心出來ると云ふので、承諾したまでのことです。

 ……こんな告白を今あなたに對つてしてゐると、私の心は自分ながら不可解になつて參ります。殆どあなたの生前には私は自分の心の底を割つて見せたことは無かつたやうです。あなたの誠實に溢れる愛情すら私はいつも疏ましく受け流してゐたやうです。そして、その氣持は、ひそかにあなたの死の瞬間に到る迄續いてゐたのではないでせうか。……貧苦の裡に育てられ、苦學に近い生活を續けて、大學を卒業されたといふあなたは、初めてお目にかかつた時、吃驚するほど素直で純粹さうに見えました。さうして、私達が所帶を持つてからの、あなたの親切な態度は、それがあなたの生れつきの性質だつたのに、私は境遇の相違から來るものではないかと疑つたりしてゐました。不貞腐れたり、橫着な性質と出逢ふ度に、あなたは逆にそれを珍しさうに勞はり憐んで下さいました。思へば、辛苦つづきの生活でしたが、私はあなたに甘えつづけてゐたのではないのでせうか。

 ……さう云へば、何だかこの獨白も、あなたに呼び掛けてゐるのでせうか、それともあなたがわたしに呼び掛けてゐられるのでせうか。この頃の有樣や、私の日々の氣持も、あなたはもうとつくに、みんな知つてゐられるのに違ひありません。それなのに、それをあなたは私から引出さうとなさるのですか。……あなたと死別れてからもう三年になりますが、今は己の背負はされた境遇にもどうやら馴れて參りました。娘の頃は何不自由なく育つた私でも、この頃は人並以上の不自由を凌いでをります。そして、今ではそれを不幸とも幸福とも何とも感じなくなりました。そんなことより、ただ生きて行くことで手一杯のやうです。それも夢中で、賑やかに子供たちに勵まされてゐるばかりなのです。薰はあなたに生寫[やぶちゃん注:「いきうつし」。]で、もう國民學校の一年生ですが、素直で、悧巧で、人懷つこく、虛弱なところまであなたに似てゐます。耿二はまだ頑ぜない年頃で、なかなか手が懸ります。それに兄と違つて、敏捷で、强情で、喧嘩好きです。先達て二ケ月ばかり幼稚園を手傳に通勤した際も、この子が足手纏になつてどれだけ困らされたかわかりません。今日も薰が獲つて來た蟬を耿二が奪ひとり、夕餉前の一時を大騷動でした。……晝間はあれこれと忙しく、子供の聲に紛れて、過ぎ去つたことがらもつい忘れ勝ちです。夜が靜まつて秋風が吹いて來ると、靜まつてゐたものが搖れ動くのです。

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