花袋君の「わが跡」を讀みて 國木田獨步
花袋君の「わが跡」を讀みて
ゆふ日さびしき砂の上に
のこせし君が足あとは
とこしへの波、音もなく
みちしほ夜半の
夜半のみちしほ搔きけさむ
うらみそ君よ、人の世に
きざみし人の足あとの
人の足あといつまでか
あゝ幾とせかのこるべき
なぐさめ兼ねて、一人して
狂ひあるきそ、此世をば
伊勢の濱荻をりしきて
眠れ荒磯、あらいそ千鳥
君がうれしき友ならむ
狂へばとて泣けばとて
誰れか可笑しとわらふべき
吹く潮風に身をまかし
仰げ月影、月かげ仰ぎ
夢に常世の春をみよ
[やぶちゃん注:初出は明治三一(一八九八)年二月十日発行の『國民之友』で、以下の「わかれ」「すみれの花」とともに三篇一緒に発表している。署名は江聲樓主人。ここで國木田獨步が素材とした田山花袋作「わが跡」というのは、先に示した國木田獨步も十五篇を載せている、明治三一(一八九七)年一月增子屋(ますこや)書店刊の、石橋哲次郎(愚仙)編になる詞華集「新體詩集 山高水長」の田山花袋のパートに載る「わが跡」のことである。後に本邦の自然主義小説のチャンピオンとなる田山花袋(明治四(一八七二)年~昭和五(一九三〇)年:本名は録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生まれ)とは、先行する前年の同じ石橋編の詞華集「抒情詩」刊行の一年前の明治二九(一八九六)年、國木田獨步は渋谷村(現在の東京都渋谷区渋谷駅近く)に居を構え、作家活動の本格再始動に入るや、同年年末の十一月十六日に田山花袋と松岡国男(後の柳田國男)の訪問を受けて以来、親しく交わっていた(これも既に述べたが、この花袋も國男もやはり詞華集『抒情詩』に詩を載せた「詩人」であったのである)。当該詩篇を、既に示した「国文学研究資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」の「高知市民図書館近森文庫所蔵」版で視認し、以下に電子化しておく。
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わ が 跡
一ツ見えつる帆のかげも
いつしか遠くなり行きて
立つはしら波寄るは潮
秋のゆふべのうらさびし
いそ山越えて見かへれば
過ぎて來にけるわが跡は
ひと筋ながくのこるなり
夕日さびしき砂の上に
あはれはかなきその跡を
誰かは知らんわび人の
なぐさめかねて一人して
狂ひありきしあとなりと
*
因みに、私はこの田山花袋のそれ、國木田獨步のそれを一読するや、直ちに私の偏愛する後の國木田獨步の小説「運命論者」(明治三六(一九〇三)年発表)を思い出した。
「伊勢の濱荻」諺「難波(なにわ)の葦(あし)は伊勢の浜荻」(難波で「葦」と呼ぶ草を、伊勢では「浜荻」と呼ぶように、物の名・風俗・習慣などは土地によって違うことの喩え)を利かしたもので、さればこそ、この「濱荻」は磯に生える荻(単子葉植物綱イネ目イネ科ススキ属オギ Miscanthus sacchariflorus)を指すのではなく、同イネ科Poaceae の「葦」(=「蘆」=「葭」)、ダンチク(暖竹)亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis を指す。
「あらいそ千鳥」「千鳥」(ちどり)は狭義には鳥綱チドリ目チドリ亜目チドリ科 Charadriidae の多数種群の総称であるが、それに似た種群も含め、さらには広汎に「沢山の鳥」という意味でも万葉以来、用いられてはきた。敢えてここで狭義の例を示すなら、本邦では「チドリ」と総称される種は十一種いるが、その中で本邦内で繁殖する五種の内、海岸附近で観察されることが多いのはチドリ科チドリ属シロチドリ Charadrius alexandrinus・チドリ属コチドリ Charadrius dubius などである(チドリ科タゲリ属ケリ Vanellus cinereus・タゲリ属タゲリ Vanellus vanellus もいるが、彼らは概ね干潟で、「あらいそ」、岩礁性海岸では見かけないこと、彼らの和名に「チドリ」が附かぬことから除外し、残る繁殖種であるチドリ属イカルチドリ Charadrius placidus は海岸で見られることは稀れとあるのでこれも除いた)。]
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