和漢三才圖會卷第三十八 獸類 野馬(やまむま) (モウコノウマ或いはウマ)
やまむま
野馬
本綱野馬似馬而小今甘州肅州及遼東山中亦有之取
其皮爲裘食其肉云如家馬肉但落地不沾沙耳
騊駼 北地有獸狀如馬色青名曰騊駼此皆野馬類也
△按山馬皮自中華多來其皮比鹿麂等畧厚而肌不密
最劣以作裘及韈爲下品
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やまむま
野馬
「本綱」、野馬、馬に似て、小さし。今、甘州・肅州及び遼東の山中にも亦、之れ、有り。其の皮を取り、裘(かはごろも)[やぶちゃん注:革衣。]と爲す。其の肉を食ひて云はく、「家(つね)の馬(むま)の肉のごとし。但し、地に落〔ちても〕沙を沾(うるを)さざるのみ。」〔と〕。
騊駼〔(とうと)〕 北地、獸、有り、狀、馬のごとく、色、青。名ぢけて「騊駼」と曰ふ。此れ、皆、野馬の類ひなり。
△按ずるに、山馬の皮、中華より多く來たる。其の皮、鹿・麂(こびと〔じか)〕等に比(くら)ぶれば、畧(ち)と[やぶちゃん注:少し。]厚くして、肌、密[やぶちゃん注:緻密。稠密(ちゅうみつ)。]ならず。最も劣れり。以つて、裘〔(かはごろも)〕及び韈(たび)[やぶちゃん注:足袋。]に作る。下品たり。
[やぶちゃん注:「馬に似て、小さし」という点、それが永く「野馬」として認識されていたという点、「州・肅州及び遼東」(現在の甘粛省と遼東半島周辺)という中国北及び北内陸部に産するとする点から見て、「第三十七 畜類 馬(むま)(ウマ)」で示した哺乳綱奇蹄(ウマ)目ウマ科ウマ属ノウマ亜種ウマ Equus ferus caballus の野生化した種ではなく、以前は野生種であると考えられていた、
ウマ属ノウマ亜種モウコノウマ Equus ferus przewalskii
に同定してよいのではないかと考える。但し、現在はこの考え方は否定されつつあり、やはり非常に古い時代に家畜種であったものが野生化した個体群の末裔に過ぎないとする見解が主流になりつつある。ウィキの「モウコノウマ」によれば、『かつてはシマウマ、ノロバ(野驢馬)を除いた唯一の現存する野生馬と考えられていたが、約』五千五百『年前に現在のカザフスタンで飼われていた家畜馬の子孫であることが』、『最近の研究で明らかにされた』。『その為に「本当の野生馬(家畜化されていないノウマ)はすでに絶滅している」との主張が現在の見解となりつつある』。頭胴長は二・二~二・六メートル、体高は一・二~一・四メートル、体重二百~三百キログラムほどで、『毛色はいわゆる薄墨毛で、全体的に淡い褐色、四肢と』鬣(たてがみ)、『尾は濃い褐色になる。冬になると』、『毛の色合いが薄くなり、かつ』、『毛が長くなる。たてがみは常に直立しており、家畜馬のように倒れない。口先に白いポイントがある。体型はがっしりとしており、サラブレッドなどの競走馬が持つ華奢なイメージはない。背中に「鰻線(まんせん)」という濃い褐色の帯がある』。『年長のメスに率いられた小規模の群れで暮らす。群れの構成はリーダー』の『メスを中心に数頭のメスと』、『その子供からなり、群れの周辺には』一『頭前後のオス個体がいる。草原の草を食べる典型的なグレイザー』(grazer:草食者)『である。ユーラシア大陸の草原に生息している。かつてアジア中央部、特にモンゴル周辺(アルタイ山脈周辺)に多数生息していたが、野生下では一度』、『絶滅し、飼育個体の子孫を野生に戻す試みが各地で続けられている。英語圏での別名は』「Asian Wild Horse」「Mongolian Wild Horse」で、『かつての原産地であるモンゴルでは、タヒまたはタキと呼ばれている』。『西洋諸国に知られるようになったのは』一八七九年(明治十二年)で、『ロシアの探検家ニコライ・プルツェワルスキー大佐によってモンゴルで発見され、広く知られるようになった(学名及び英名は発見者に対する献名)。しかし』、一九六六年に、『ハンガリーの昆虫学者によって目撃されたのを最後に野生下での目撃情報が確認されなくなり、恐らく』、一九六八『年頃に野生下では一度』、『絶滅したと見られている。だが』、『発見以後』、『多くの個体が欧米諸国の動物園に送られており、その子孫が生き残っていたことから、飼育下での計画的な繁殖が始められ、再野生化が試みられた。現在は、世界各地の動物園』千『頭以上が飼育されている。モンゴルのフスタイ=ヌルー保護区で再野生化が行われ』、百『頭以上に回復している。また、新疆ウイグル自治区の自然保護区等で、再野生化の目的で飼育個体の一部の導入が行われている』とある。こちらの「AFPBB News」の記事「中国の野生馬、世界の4分の1に相当 新疆、甘粛などに515頭」という記事では、甘粛省にある「甘粛絶滅危惧動物保護センター」で管理する野生馬の数は百頭を突破し、柵内で放牧されている四十三頭と、野に放たれた野生個体六十頭を合わせると百三頭に及ぶとあり、『同センターでは』一九九〇『年から、米国やドイツなどから』、十八『頭のモウコウマを引き入れ』、二〇一〇年と、二〇一二年には『それぞれ、シルクロードの一部分にあたる河西回廊』『の最西端に位置する敦煌』『西湖自然保護区に』二十八『頭が放たれた』とある。但し、同記事では『モウコウマは現在、地球上で生息する唯一の野生馬』であるとし、しかもモウコウマの原産地は『ウイグル・ジュンガル盆地の北塔山』と、甘粛省の粛北モンゴル自治県にある馬鬃山(ばそうざん:「鬃」は「鬣」と同義で原産地としては如何にもピッタりな名ではある)一帯であるとまで限定した上で、六千『万年の進化史と原始的ルーツを残しながら世界に約』二千『頭が生息している』と記す。
「家(つね)の」「常の」。普通の。良安の当て訓
「地に落〔ちても〕沙を沾(うるを)さざるのみ」肉から血や体液が砂に浸出してくることがないところだけが、通常の馬肉とは異なって異様である、の意。
「騊駼〔(とうと)〕」個人ブログ「プロメテウス」の「騊駼:大昔は神獣のことを指していた名馬の美称」によれば、拼音では「táo tú」(タァォ・トゥー)で、『騊駼は北方の青い毛の野生の馬のことですが、歴代の名馬を指すようになったため』、『騊駼という名称は人々に重要視されました。馬の他には騊駼と言う名を持った人もおり、東漢臨邑候の劉騊駼や隋朝官吏の李騊駼などがいます』。「逸周書」の「王会」には「禺氏、騊駼」『とあり、この一文に対して孔晁が』「騊駼とは馬の一種である」『と注釈を行っています。司馬遷の史記にも』「匈奴が乗る動物が騊駼である」と『言う一文がありますので、こちらも騊駼は馬の事を指しています。他の文献にも』、『騊駼に関して』、『北方にいる青色の馬の事を指しているという記述が多くみられます』。『しかし』、「山海経」の「海外北経」には「北海内に野獣がおり、その形状は一般的な虎のようで、名を騊駼と言った」と『あり、虎のような怪物として描かれています』「山海経」も、「山海経」のやや後に書かれた「史記」も、『同じ漢代に書かれた書物ですが、一方では虎に似た怪物、一方では馬と同時期でも解釈は判れてしまっています』。「山海経」の『注釈を行ったことで有名な郭璞は』、「山海経」の『この虎のような怪物の一文を引用して』、「北海内に獣がいた。形状は馬のようで名を騊駼と言い青色であった」『と注釈を残しています。両方の解釈を結び付けてしまったわけです。これは郭璞自身が強引に解釈したのか、郭璞が注釈を行う以前より』、「山海経」の『騊駼と言う怪物は』、『実は青い馬のことであると言う論調があり、それに従って郭璞が注釈を行っただけなのか』は『今となっては判りません』。『現在では騊駼は北方産の馬とされています。この北方はどのあたりを指すかと言うと』、「史記」の、『匈奴が乗る動物が騊駼である、との記載に従えば』、『甘州内であったと推測されます。匈奴自体はモンゴルから中央アジアにかけて存在した遊牧民族の総称です』。『また、古書にある海外とは陸続きでも中国(中原)以外の場所で友好関係にあった国を指しています。騊駼という名は』「山海経」の「海外北経」に『記載されており、当時の中原の北にあった匈奴産の馬を指していたのではないかと考えられます。これらの関連性により』、『多くの人が現在の蒙古馬は騊駼馬の子孫なのではないかと考えています』とあり、ここでも甘粛の地名が登場し、ブログ主も「騊駼」は多くの人々が蒙古馬(モウコウマ・モウコノウマ)の原種ではないかと言っているという事実が示されており、良安が「本草綱目」のこの部分を敢えて載せたことは、少なくとも、既にそうした認識(モウコノウマこそ野生の馬の原種の一つであるという考え方)があったことと親和性を示していると言えるのではないか? お判りとは思うが、良安の「本草綱目」の引用はかなり恣意的な抜粋なので、この良安のそれ(原文は「山海経」から)に私はよくぞ引いて呉れたと快哉を叫びたいぐらいの気がしているのである。
「麂(こびと〔じか)〕」中形の鹿で、ヨーロッパ・中国・中近東と分布域が広い(本邦には棲息しない)、鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科ノロジカ属ノロ Capreolus capreolus(「ノル」「ノロジカ」とも呼ぶ)であろう。地域によりいくつかの亜種があるが、大きく次の三亜種に分けられる。ヨーロッパノロ Capreolus capreolus capreolus は、ヨーロッパから中近東にかけて分布し、肩高六十~六十八センチメートル。マンシュウノロ Capreolus capreolus bedfordi は、肩高六十五~七十八センチメートル、夏毛と冬毛の色彩的差異があまりない。中国・朝鮮半島などに分布する。オオノロCapreolus capreolus pygargusは、三亜種中、最大で、肩高七十~九十センチメートルあり、アルタイ・アムール地方に産する。毛色は夏毛は赤黄色、冬毛は灰褐色。晩春から初夏にかけて。、成獣の♂はテリトリーを作り、七月下旬から八月上旬の発情期に入ると、♂は♀を追い、二頭は「ノロの輪」と呼ばれる円を描くように走る。妊娠期間は九ヶ月半にもなる場合があり、受精卵の着床遅延が認められている。出産期は五~六月、一産に通常は二子、時に三子、稀に四子を産む。寿命は十五年ほど。ここまでは小学館「日本大百科全書」によった。大修館書店「廣漢和辭典」では「オオノロ」とするのであるが、現行の分布域と、良安が「こびと」とルビするところからは、上記のマンシュウノロの方が相応しい。]


