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2019/03/16

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(31) 「守札ヲ配ル職業」(1)

 

《原文》

守札ヲ配ル職業  維新以前ニハ右ノ甲州ノ猿牽ト同樣ニ、半僧半俗トモ謂フべキ生活ヲ營ム一種ノ階級ノ人民頗ル多カリキ。【鉦打ノ類】關東ニテハ鉦打(カネウチ)又ハ磬叩(キンタヽキ)ト云ヒ、西國ニテハ茶筅又ハ鉢屋ナドヽ云フ者モ皆此類ニ數フべシ。其他「エビス」ト云ヒ、「ソキ」ト云ヒ、「シユク」ト云ヒ、「シキ」ト云ヒ、婦人ニテハ「イタコ」「モリコ」ナド呼ブ者アリ。【初穗】名稱ニモ業務ニモ無數ノ種類ハアリシガ、-般ニ在家ニ住ミ配偶者ヲ持チナガラ本尊ヲ人ニ拜マセ、祈禱ト占ノ術ニ通ジタル者多ク、常ハ農作ヲ營メドモ主タル生活ハ宗教的ノモノニシテ、殊ニ色々ノ護符ノ類ヲ遠近ノ民家ニ配リテ僅カヅツノ初穗ヲ集ムルヲ專ラトス。明治ノ代トナリテ法令ヲ出シ、此徒ノ全部ニ對シテ職業ノ繼續ヲ禁止セシガ、其以前德川幕府ノ時代ニ於テモ、既ニ大社大寺ノ勢力ニ壓迫セラレテ著シク其數ヲ減ジ、或ハ又家傳ノ由緖ヲ忘却シテ次第ニ尋常物貰ヒノ仲間ニ零落セシ者無キニ非ズ。併シ壓迫ノ比較的輕微ナリシ種類又ハ地方ニ在リテハ、此者ノ一類モ頗ル蔓延シテ、單ニコソコソト札ヲ配リテ廻ルニ非ズ、村人ニ勸メテ色々ノ神ノ爲ニ小サキ祠ヲ建テサセ、自分ノ家ニモ夫々權現ヲ祀リテ信心ヲ誘ヒタリシ例多シ。近世ニ及ビテ彼等ガ中ニモ佛教ト結合シ、寺院ノ庇護ノ下ニ立チテ社會上ノ地位ヲ維持セントセシ者アリキ。【行者】之ヲバ特ニ修驗者、行人又ハ行者ナドト呼べリ。【山伏】山ニ臥ス故ニ山伏ト云フ者卽チ是ナリ。【野山伏】所謂山伏ニモ寺ト似タル住所アリ、其生活ハヨホド僧侶ト似タル處多クナリシヨリ、今ノ人ハ之ヲ僧侶視スルガ常ナレドモ、所謂本當二[やぶちゃん注:底本も「ちくま文庫」版も「二」であるが、これを例えば、修験道の霊場とされる二荒山(ふたらさん)の「二」と採るには、表現上、前の「本當」に続かない。されば私は「ニ」の誤植と採り、訓読ではそうした。大方の御叱正を俟つ。]山ノ山伏ナルモノハ後世ノ從屬ニシテ、此以外ニモ何レノ佛教ニモ附隨セズ、低キ身分ニ居タル野山伏ナル者近キ世マデ田舍ニ有リテ、ソレ等ハ亦全然札配リヲ以テ生計ヲ立テタリシナリ。【竈】又盲法師ノ琵琶ヲ彈ク者モ此類ナリ。彼等ガ一部ハ殆ド信ジ難キ由緖ヲ主張シテ直接ニ江幕府ノ保護ヲ受クルコトヽナリ、何ノ札ヲモ配ルコト無クシテ唯從來ノ配當ノミヲ徵集シ居タリシモ、此同類ニモヤハリ別ニ一派ノ在野座頭アリテ、昔ノ儘ニ土地ノ神竃ノ神ニ琵琶ノ曲ヲ手向ケテ祈禱ヲ爲シ、札ヲ配リテ其生活ヲ續ケ居タリシナリ。

 

《訓読》

 

守札(まもりふだ)を配る職業  維新以前には右の甲州の猿牽と同樣に、半僧半俗とも謂ふべき生活を營む、一種の階級の人民、頗る多かりき。【鉦打(かねうち)の類】關東にては「鉦打(かねうち)」又は「磬叩(きんたゝき)」と云ひ、西國にては「茶筅(ちやせん)」又は「鉢屋」などゝ云ふ者も、皆、此の類に數ふべし。其の他、「エビス」と云ひ、「ソキ」と云ひ、「シユク」と云ひ、「シキ」と云ひ、婦人にては「イタコ」・「モリコ」など呼ぶ者あり。【初穗】名稱にも業務にも無數の種類はありしが、-般に在家に住み、配偶者を持ちながら、本尊を人に拜ませ、祈禱と占ひの術に通じたる者多く、常は農作を營めども主たる生活は宗教的のものにして、殊に色々の護符の類を遠近(をちこち)の民家に配りて、僅かづつの初穗を集むるを專らとす。明治の代となりて、法令を出し、此の徒の全部に對して、職業の繼續を禁止せしが、其れ以前、德川幕府の時代に於いても、既に大社(だいしや)・大寺の勢力に壓迫せられて、著しく其の數を減じ、或いは又、家傳の由緖を忘却して、次第に尋常物貰ひの仲間に零落せし者、無きに非ず。併し、壓迫の比較的輕微なりし種類又は地方に在りては、此の者の一類も頗る蔓延して、單にこそこそと札を配りて廻るに非ず、村人に勸めて、色々の神の爲に小さき祠を建てさせ、自分の家にも、夫々(それぞれ)權現を祀りて、信心を誘ひたりし例、多し。近世に及びて、彼等が中にも佛教と結合し、寺院の庇護の下(もと)に立ちて、社會上の地位を維持せんとせし者ありき。【行者】之れをば、特に「修驗者(しゆげんじや)」、「行人(ぎやうにん)」又は「行者(ぎやうじや)」などと呼べり。【山伏】山に臥す故に「山伏」と云ふ者、卽ち、是れなり。【野山伏】所謂、山伏にも、寺と似たる住所あり、其の生活は、よほど僧侶と似たる處、多くなりしより、今の人は、之れを僧侶視するが常なれども、所謂、本當に山の山伏なるものは、後世の從屬にして、此れ以外にも、何れの佛教にも附隨せず、低き身分に居たる「野山伏」なる者、近き世まで田舍に有りて、それ等は亦、全然、札配りを以つて生計を立てたりしなり。【琵琶法師】又、盲法師(めくらはうし)の琵琶を彈く者も此の類なり。彼等が一部は殆んど信じ難き由緖を主張して、直接に江幕府の保護を受くることゝなり、何の札をも配ること無くして、唯だ、從來の配當のみを徵集し居たりしも、【竈(かまど)】此の同類にも、やはり、別に一派の在野座頭ありて、昔の儘に土地の神・竃の神に琵琶の曲を手向(たむ)けて祈禱を爲し、札を配りて其の生活を續け居たりしなり。

[やぶちゃん注:「鉦打(かねうち)」「磬叩(きんたゝき)」狭義には時宗に属した半僧半俗の徒。金磬(きんけい:「磬」は吊り下げて叩いて音を出す打楽器。その真鍮製や銅製のもの)・銅鉦を首に掛けて、和讚を唱え、念仏踊りなどを演じたもの。「沙彌」とも呼んだ。

「茶筅(ちやせん)」「鉢屋」私は本文からもこれを前者の西日本での呼称とのみ捉えていたが、サイト「東日本部落解放研究所」の「鉦打・時宗研究会の紹介」には、

   《引用開始》

鉦打は、近世社会において東日本を中心に広く存在した時宗系の民間宗教者である。被慈利(非事吏)とも呼ばれたように、半僧半俗の勧進聖(俗聖)として西日本の鉢叩・茶筅と対をなす存在としても知られている。柳田国男や堀一郎らの民俗学・宗教史学の立場からの研究も積み重ねられてきているが、もうひとつ実態が鮮明になっていないこと、地域社会との関係性が明らかにされていないこと等が不満である。

そして、何よりも、この鉦打と呼ばれた人々が、近世中・後期、「穢多・非人同然の者」という賤視を受け、様々な差別に直面していた事実を認識すると共に、その要因や背景を解明しなければならないと考える。以前から、雑種賤民(近年では多様な被差別民)と呼ばれてきた民間宗教者・芸能民の研究が部落史の課題となってきているが、鉦打の研究は特に東日本において大きな比重を占める課題であると思われる。この点が、鉦打・時宗研究会の活動を当研究所のプロジェクトに位置づける所以である。

もう一つ、私達が強い関心を抱いている点は、近世部落と時宗寺院との深い関係性である。かつて、西日本の部落は圧倒的に浄土真宗との寺檀関係にあったのに対し、東日本の部落は在地の諸宗派と寺檀関係にあって特定の宗派との関係は認められないと理解されてきた。しかし、近年、地域部落史の研究が進展するにつれて、東日本の部落と時宗との寺檀関係には予想外の広がりが見えてきた。

勧進聖の鉦打を宗門の末端に位置づけてきたことと、広く近世部落と寺檀関係を結んできたこととが、時宗の教義なり教団活動なりから必然的に生じてきたものなのか。このような関心と課題設定から、本会は鉦打・時宗研究会と名づけられ、二〇〇八年一月発足した。この問題に関心を持つ、研究所内外の方々の参加を呼びかけている(大熊哲雄)。

   《引用終了》

とあるからには、同類の職業ではあるが、どうも明確に区別される、対称的な存在であると読める。

「エビス」「恵比須売り」のことか(しばしば歴史的仮名遣を「ゑびす」とするように思われているが、これはそうでなくてはならない理由はない)。小学館「日本国語大辞典」によれば、近世、京阪地方で元日にえびす神、又は、大黒天の像を木版刷にりにした髪を縁起物として売り歩いた商人とある。一方、民俗学研究所編「民俗学辞典」(昭和五〇(一九七五)年四十七版)の「人形まわし」には、『夷(えびす)まわし。夷かき。戎おろし等は、祝言を唱えながら夷の人形をまわす』『物貰い』の一種を挙げ、平凡社「世界大百科事典」の「夷舁き」には、『摂津西宮の西宮神社を本拠地とし』、『首掛けの箱に入れた夷人形を舞わしながら』、『春の時期に家々を訪れ』て『祝福するとともに』、『夷神の御姿を描いた札を配った宗教芸能者。夷まわしともいう。鯛を釣る夷の姿は漁家の信仰を得たが』、『多くは』二人一組『で簡単な劇なども演じ』、『天文年間』(一五三二年~一五五五年)『以降』、『京都に姿を』見せ、『禁裏などにも推参』したとあって、雰囲気的にはその舞いの親和性から、この「ゑびすまはし」「ゑびすかき」であるように思われる

「ソキ」不詳。漢字も思い浮かばない。

「シユク」「夙」(しゅく)か。小学館「日本国語大辞典」の「夙」によれば、『江戸時代の賤民の一種。天皇の御陵番である守戸(しゅこ)の訛といわれ、御陵が多い大和地方に多かった。農業・酒造のほか、歌舞音曲、小芝居などをして生活するものもいた。穢多の支配に服した者もいたが、大和の者は平民と余り差別がみられなかった。宿、守公、守宮とも書く。しゅくのもの』とある。

「シキ」不詳。なお、「敷」「鋪」で盗賊間での隠語では乞食を指す語ではある。

「イタコ」「モリコ」ウィキの「イタコを引く。『日本の北東北(東北地方の北部)で口寄せ』『を行う巫女のことであり、巫の一種。シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である』。『南東北(東北地方の南部)においては、旧仙台藩領域(岩手県の南側約』三分の一『と宮城県)でオガミサマ、山形県でオナカマ、福島県でミコサマ、オガミヤと呼ばれる。福島県・山形県・茨城県ではワカサマとも呼ばれる』。『イタコには霊的な力を持つとされる人もいるが、実際の口寄せは心理カウンセラー的な面も大きい。その際』、『クライアントの心情を読み取る力(一種のコールド・リーディング)は必須であるが、本来は』、『死者あるいは祖霊と生きている者の交感の際の仲介者として、氏子の寄り合い、祭りなどに呼ばれて死者や祖霊の言葉を伝える者だったらしい』。『イタコは占いの際』、『数珠やイラタカ』(「いらたか数珠」。「伊良太加」「苛高」「最多角」「刺高」等と漢字表記される長い呪具としての特殊な数珠。国立民族学博物館公式サイトによれば、『イタコの場合』は、三『百余りの黒いムクロジ』(ムクロジ(無患子)目ムクロジ科ムクロジ属ムクロジ Sapindus mukoross:一般の数珠や羽子突きの羽根の玉の材料でもある)『の木の実をつなぎ合わせた長い数珠で、両側には雌雄の鹿の角、猪の牙、熊の爪、鷹の爪、狐の顎骨、狼等の野獣の骨がついている。また、天保銭・小銭・剣等が装飾されている。これらの物には憑き物のお祓い、悪魔祓い、虫封じ、魔除け、身体のおまじないの意味がある。必要に応じて単品で使用する場合がある。数珠全体を全身にも使用する。イタコの場合は修験道と同じように、読経や祈祷・口よせの際は両手で激しく上下にすり合わせる。高い音を出す。そしてその響きに神仏を乗り移す』とある。リンク先には後に出る梓弓(あずさゆみ)とともに画像がある)『を用いるが、一部のイタコは、交霊の際に楽器を用いることがあり、その際の楽器は梓弓』『と呼ばれる弓状の楽器が多い。他に倭琴(「やまとごと」、または「わごん」)や太鼓なども用いられる。これらは農村信仰などで用いられた日本の古代音楽の名残とされ、日本の伝統音楽史において現存するうちの最も古いものの一つとされる』。『岩手県南部から宮城県北部の巫女で組織された大和宗』(やまとしゅう)『の大乗寺縁起』(岩手県一関市川崎町(ちょう)薄衣(うすぎぬ)にある「イタコ」衆の信仰する大和宗の寺院である大乗寺。リンク先はサイト「八百万の神」の同寺のデータ)『によれば、クチブクと呼ばれる招霊の秘法は目連の救母伝説にその由来があるという』。『大和宗では口寄せの用具には引磬』(いんきん/いんけい:「キン」は唐音。仏教系楽器の一つ。御椀状の小さな鐘に柄を附けたもの。読経の際などに小さい鉄棒で打ち鳴らす)『を用いるが、巫女の周りに麻糸を付けた梓弓と桃や柳を置いて儀礼空間を創っている』。『口寄せは、霊的感作によりあらゆる人種、動物でも呼び出せるとされる』。『口寄せ以外にもイタコには「オシラアソバセ」を執り行う役目がある。「オシラアソバセ」とは、東北の民間信仰である』、「おしら様」の『御神体である二体の人形を遊ばせることである。オシラサマは各家庭に祀られており、一部地域ではその家庭の家族の代わりにイタコが』「おしら祭文」を『読み上げる。オシラサマのベースである杓子、瓢や柄杓に関する信仰を膨大に集め、これが「魂を集める採り物」であるとした柳田國男の説を承けた折口信夫によれば、これはマナ』(太平洋の島嶼部の原始的宗教において、神秘的な力の源とされる概念。人や物などに付着して特別な力を与えるとされるが、それ自体は実体性を持たない。元々は、メラネシア語で「力」という意味)『を寄せるための依り代である』という。『東海道中膝栗毛等に登場する、イチコ』『とよばれる巫女は、常陸』『の国や京阪地方では、「神社に座し湯立てをする」巫女の称であるが、東京近辺ではイタコの様な巫女を指す』。『沖縄県や鹿児島県奄美群島にはユタという在野の霊能力者が、イタコに似た霊的カウンセリングを生業とすることで広く知られており、こちらは葬祭そのものを扱うことも多い』。『イタコの語源についてはいくつかあり、沖縄のユタの韻との共通性』、「斎(いつ)く」が『転化したイチコからの変化、神の委託をする委託巫女であるとするもの、アイヌ語の語るの意味イタック等からの変化、神降ろしの巫具としての板が用いられたこと等の』複数の語源説がある』。『柳田國男は、アイヌ語で「神がこう仰った」の意味のitak説や、御倉板挙神はミクライタケノカミと読み、神の御言を伝える物の神格化ではないかとする説等を紹介しながら、イタコの語源は斎(イツキ)であり、それが元の儀礼を襲いながら零落し』、『神にせせられて放浪するようになった者の一部』が、「イタコ」「エチコ」「イタカ」「イチコ」「モリコ」と『呼ばれたとした』。『イタコは、先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業であった』。『堀一郎によれば、目が悪い子供はイタコの師匠に米、炭を持って入門し』、一年~三年或いは四~五年『ほど、板の間の板を打って祓いの文句、オシラ祭文を習う。そしてスキルが上がった後、ダイジュユリ、デンジュ、ユルシ、ウズメソと呼ばれるいわゆるイニシエーションを行って、一週間程』、『氏神社にこもってから』、『仕事をする』とある。

「竃の神」ウィキの「かまど神を引いておく。『竈・囲炉裏・台所などの火を使う場所に祀られる神』で、『火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神ともされ』、『久那土神とも呼ばれることがある』。『一般には』、『かまどや炉のそばの神棚に幣束や神札を祀るが』、『祀り方の形態は地方によって様々である。東北地方では仙台藩領の北部(宮城県北部から岩手県南部)では、竈近くの柱にカマ神やカマ男と呼ばれる粘土または木製の面を出入口や屋外に向けて祀る』。『新築する際に家を建てた大工が余った材料で掘るもので、憤怒の形相をしており』、『陶片で歯を付けたり』、『アワビの貝殻を目に埋め込んでいるのが特徴』。『信越地方では釜神といって、約』一『尺の木人形』二『体が神体であり、鹿児島県では人形風の紙の御幣を祀っている。竈近くの柱や棚に幣束や神札を納めて祀ったり、炉の自在鉤や五徳を神体とする地方もある』。『島根県安来市につたわる安来節も火男を象徴しているということが言われている。沖縄、奄美群島ではヒヌカン(火の神)といって、家の守護神として人々には身近な神である』。『日本の仏教における尊像・三宝荒神は、かまど神として祀られることで知られる。これは、清浄を尊んで不浄を排する神ということから、火の神に繋がったと考えられている』。『また』、『近畿地方や中国地方では、陰陽道の神・土公神がかまど神として祀られ、季節ごとに春はかまど、夏は門、秋は井戸、冬は庭へ移動すると考えられている』。『神道では三宝荒神ではなく、竈三柱神(稀に三本荒神)を祀る。竈三柱神はオキツヒコ(奥津日子神)・オキツヒメ(奥津比売命)・カグツチ(軻遇突智、火産霊)とされる。オキツヒコ・オキツヒメが竈の神で、カグツチ(ホムスビ)が火の神である』。『住居空間では』、『竈は座敷などと比べて暗いイメージがあることから、影や裏側の領域、霊界(他界)と現世との境界を構成する場所とし、かまど神を両界の媒介、秩序の更新といった役割を持つ両義的な神とする考え方もある』。『また、性格の激しい神ともいわれ、この神は粗末に扱うと罰が当たる、かまどに乗ると怒るなど、人に祟りをおよぼすとの伝承もある』とある。]

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