若き旅人の歌 國木田獨步
若き旅人の歌
人里遠き深山も
笑ひて咲けるすみれあり
浮世はなれし此村の
木蔭にねむる墓もあり
高峰たゞよふ雲あはく
溪を流るゝ水きよし
[やぶちゃん注:これより以下、十篇は明三〇(一八九七)年十一月文盛堂刊の石橋哲次郎編になる詞華集「靑葉集」に載った「國木田哲夫」名義の詩篇である。同アンソロジーは國木田のそれを掉尾として他に、戸川残花・河井酔茗・武島羽衣・田山花袋・大町桂月・石橋暁夢(編者の筆名)・佐々木信綱・太田玉茗・正岡子規・宮崎羊児・大塚楠緒子・河内魚ぬの・塩井雨江・与謝野鉄幹・宮崎湖処子の作品を収めるもので、底本解題によれば、『この年は新體詩普及隆盛の年であり』、先の國木田獨步の詩篇が収録された同年四月刊の「抒情詩」を始めとして、『この主の編輯詞華集が引きつづき出版され、その中に彼の作品も含まれるやうになつた』とある。編者の石橋哲次郎は生没年等未詳であるが、黒羽夏彦氏のブログ「ふぉるもさん・ぷろむなあど 台湾をめぐるあれこれ」の「【研究メモ】マッケイと石橋哲次郎」によれば、宣教師で雑誌編集や記者で『文学気質を持った』人物で、『久留米藩士石橋六郎の次男として生まれ』、明治二三(一八九〇)年九月に『久留米尋常中学明善校(藩校明善校に由来し、現在は福岡県立明善高校)に入学』、曲折を経た後、明治二七(一八九四)年六月、『カナダ・メソヂスト教会部会の試験を経て福音士となり、明治三一(一八九八)年三月、『日本基督教會規定の試験を経て』、『伝道師となり』、五『月に台湾へ渡った』が、翌年七月に『伝道師を辞した後は台南県主記として勤務』したといった詳しい事蹟が載る。
本篇の初出は不明。]
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