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2019/03/05

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 虎(とら) (トラ)

 

Tora

 

とら  䖚䖘【於兔】 李耳

 

【音】

    【和名止良】

フウ

[やぶちゃん注:「★」部分に上記図の下方にある篆文が入る。]

 

本綱虎山獸君也狀如猫而大如牛黃質黑章鋸牙釣爪

鬚健而尖舌大如掌生倒刺項短鼻齆夜視一目放光一

目看物獵人候而射之箭既及目光卽墮入地如白石爲

之虎魄人記其頭頂之處月黒掘下尺餘得之猶人縊死

則魄入於地隨卽掘之狀如麩炭之義虎吼聲如雷風從

而生百獸震恐立秋虎始嘯仲冬虎始交或云月暈時乃

交又云虎不再交孕七月而生又云虎知衝破能畫地觀

奇偶以卜食物隨月旬上下而囓其首尾其搏物三躍不

中則捨之食虎狗則醉狗乃虎之酒也聞羊角烟則走惡

其臭也虎五百歳則變白凡虎有威骨如乙字長一寸在

脇兩傍破肉取之令人有威帶之臨宦佳無官則爲人所

憎虎害人獸而蝟鼠能制之智無大小也獅子騶虞駮黃

腰渠搜能食虎勢無弱也

爾雅云淺毛虎曰【音棧白虎曰※【音寒】貓黒虎曰【音育】似虎

[やぶちゃん注:「※」=「虎」の最終画を右に伸ばし、その上に「甘」を配した字。]

而有角曰虒【音嘶】

五雜組云山民防虎者有崖口缺虎常躍入廼以巨組縱

橫而空懸之虎躍而下浮罥組上四足挿空不能作勢終

不能矣又有以黐布地及横施道側者虎頭觸之覺其

黏也爪之不得下則坐地上俄而遍體皆汚怒號跳撲至

死凡虎據地一吼屋瓦皆震也中華馬見虎則便溺下不

能行惟胡馬不懼獵犬亦然胡人射虎惟以二壯士彀弓

兩頭射之射虎逆毛則入順毛則不入前者引馬走避而

後者射之虎回則後者復然虎雖多可立盡也

 六帖 から國の虎ふすといふ山にたに旅にはやとる物とこそきけ

虎骨【辛微熱】 用頭及頸骨色黃者佳【藥箭射殺者不可入藥能傷人也】初生

 小兒煎湯浴之辟惡鬼去瘡疥驚癇治溫瘧及犬咬毒

 作枕辟惡夢魘【又云虎之一身筋節氣力皆出前足故以脛骨爲勝】

虎膽 治小兒驚癇疳痢等【虎睛虎魄虎爪虎牙皆効同能辟鬼魅虎皮繋衣服亦佳】

△按日本紀欽明帝六年膳臣巴提便遣使于百濟妻子

 相逐行至百濟濵日晩停宿小兒忽不知所之其夜

 大雪天暁始求有虎連跡帶刀擐甲尋至巖岫自稱而

 罵詈虎進前開口欲噬巴提便忽申左手執其虎舌右

 手刺殺剥取皮還【文祿年中秀吉公軍在朝鮮有擊大虎者以獻之使舁擡而渡都鄙其長

 丈餘班毛鮮明也】

 

 

とら  䖚䖘〔(おと)〕【〔音、〕「於兔」。】 李耳

 

【音、[やぶちゃん注:欠字]。】

    【和名、「止良」。】

フウ

[やぶちゃん注:「★」部分に上記図の下方にある篆文が入る。]

 

「本綱」、虎は山獸の君[やぶちゃん注:君主。]なり。狀、猫のごときにして、大いさ、牛のごとし。黃なる質〔ぢ〕に黑き章〔(しるし)〕、鋸〔(のこ)〕の牙、釣〔(かぎ)〕の爪、鬚、健(すくや)かにして尖り、舌、大にして掌のごとく、倒(さかさま)に刺(はり)を生ず。項〔(うなじ)〕、短く、鼻、齆(ふさが)り、夜、視るに、一目は光りを放ち、一目は物を看る。獵人、候〔(うかが)ひ〕て、之れを射るに、箭〔(や)〕、既に及べば、目の光り、卽ち、墮〔(お)ち〕て地に入りて、白石〔(びやくせき)〕のごとし。之れを「虎魄〔(こはく)〕」と爲す。人、其の頭〔の〕頂〔(いただき)〕の處を記〔(しるし)〕して、月-黒〔(やみよ)〕に掘り下ぐること尺餘[やぶちゃん注:明代の一尺は三十一・一センチメートル。]にして、之れを得。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、人の縊死せるに、則ち、魄、地に入りて、隨ひて、卽ち、之れを掘るに、狀、麩-炭〔(けしづみ)〕の義〔(かたち)〕のごとくなる〔ものを得るが〕ごとし。虎、吼ゆる聲、雷〔(かみなり)〕のごとく、風、從ひて生じ、百獸、震い恐る[やぶちゃん注:「い」はママ。]。立秋、虎、始めて嘯(うそぶ)き、仲冬、虎、始めて交(つるみす)る。或いは云ふ、「月に暈〔(かさ)〕ある時、乃〔(すなは)〕ち、交〔(まぢは)〕る」〔と〕。又、云ふ、「虎、再たび〔は〕交(つる)まず。孕(はら)みて、七月にして、生む」〔と〕。又、云ふ、「虎、衝破〔(しようは)〕を知り[やぶちゃん注:敵を倒すに有利な方角と時を知って。]、能く〔それを〕地に畫〔(ゑをか)き〕て、奇・偶を觀て[やぶちゃん注:対象の奇数と偶数を判じて。陰陽説では奇数は陽で、偶数は陰。]、以つて食〔(くひもの)〕を卜(うらな)ひ、〔その〕物〔を食ふに〕、月旬の上・下に隨ひて、其の〔獲物の〕首・尾を囓〔(かじ)〕る〔ことを變ふる〕。其れ、物を搏(う)つこと[やぶちゃん注:獲物を襲うこと。]、三たび、躍る〔→るれども〕中〔(あた)〕ざれば、則ち、之れを捨つ。虎、狗を食へば、則ち、醉ふ。狗は乃ち虎の酒なり。羊〔の〕角の烟を聞〔(か)〕ぐときは、則ち、走る[やぶちゃん注:逃げる。]。其の臭(かざ)を惡〔(にく)〕む。虎、五百歳なれば、則ち、白に變ず。凡そ、虎に威骨有り、「乙」の字のごとく、長さ、一寸。脇の兩傍に在る。肉を破りて之れを取れば、人をして、威、有らしむ。之れを帶びて、宦[やぶちゃん注:「官」に同じ。]に臨みて、佳なり。官無きときは、則ち、人の爲に憎(にく)まる[やぶちゃん注:人から憎まれる事態に陥る。]。虎は人獸を害す。而れども、蝟-鼠〔(はりねづみ)〕、能く之れを制す。智に、大小、無きなり。獅子・騶虞〔(すうぐ)〕・駮〔(はく)〕・黃腰・渠搜〔(きよそう)〕、能く虎を食ふ。勢〔(せい)〕に、弱、無し。

「爾雅」に云はく、『淺毛〔(うすげ)〕の虎を「【音、「棧」。】貓〔(さんびやう)〕と曰ひ、白虎〔(びやくこ)〕を「※〔(かん)〕」【音、「寒」。】と曰ひ、黒き虎を「〔(いく)〕【音、「育」。】と曰ひ、虎に似て角有るを「虒〔(し)〕」【音、「嘶」。】と曰ふ』〔と〕。

[やぶちゃん注:「※」=「虎」の最終画を右に伸ばし、その上に「甘」を配した字。]

「五雜組」に云はく、『山民、虎を防ぐは、崖の口、缺くること〔→ところ〕有れば、虎、常に躍り入る。廼〔(すなは)〕ち、巨〔(おほき)〕なる組(つな)[やぶちゃん注:綱。]を以つて縱橫(たて〔よこ〕)にして空に之れを懸く。虎、躍りて下れば、組(つな)の上に浮-罥(かゝり)て、四足、空に挿〔(さ)し〕、勢を作ること能はず。終〔(つひ)〕に〔(ぬ)く〕ること能はず。又、黐(とりもち)を以つて地に布(し)き、及び、〔その〕横に〔→なる〕道の側〔(がは)〕に〔も〕〔黐を〕施す者、有り。虎の頭、之れに觸れ、其の黏(ねばり)を覺えるや、之に爪して、下ることを得ず。則ち、地の上に坐〔せば〕、俄かにして、遍體、皆、汚(けが)る。怒り號(さけ)びて、跳〔(をど)〕り撲〔(う)〕ちて、死に至る』〔と〕。『凡そ、虎、地に據〔(よ)〕りて、一たび、吼(ほ)ゆれば、屋の瓦、皆、震(ふる)ふなり』〔と〕。『中華の馬、虎を見るときは、則ち、便-溺〔(ゆばり)〕[やぶちゃん注:尿。]下して、行くこと、能はず。惟だ、胡(えびす)の馬は懼(をそ[やぶちゃん注:ママ。])れず。獵犬も亦、然り』〔と〕。『胡人、虎を射るには、惟だ二〔(ふた)〕りの壯士を以つて弓〔を〕彀〔(ひきしぼ)りて〕兩頭より之れを射る。虎を射ば、毛に逆(さか〔ら〕)へば、則ち、入り、毛に順へば、則ち、入らず。前なる者、馬を引き走り避けて、後(〔しり〕へ)なる者、之れを射る。虎、回〔(めぐ)〕るときは、則ち、後なる者、復た、然り。虎、多しと雖も、立ちどころに盡くすべし。

 「六帖」

   から國〔(くに)〕の虎ふすといふ山にだに

      旅にはやどる物とこそきけ

虎骨〔(ここつ)〕【辛、微熱。】 頭及び頸骨を用ふ。色、黃なる者、佳なり【〔毒〕藥の箭〔(や)にて〕射殺すは、藥に入るるべからず。能く人を傷つくる。】初生の小兒、煎〔じて〕湯にして之れに浴すれば、惡鬼を辟(さ)く。瘡疥・驚癇を去り、溫瘧〔(うんぎやく)〕及び犬の咬(か)みたる毒を治す。枕に作すれば、惡夢に魘(をそ[やぶちゃん注:ママ。])はるゝを辟く【又、云ふ、「虎の一身〔の〕筋節〔の〕氣力〔は〕、皆、前足に出づ。故に脛骨を以つて勝れりと爲す」〔と〕。】。

虎膽〔(こたん)〕 小兒の驚癇・疳痢等を治す【虎の睛〔(ひとみ)〕・虎の魄・虎の爪・虎の牙、皆、効、同じ。能く鬼魅〔(きみ)〕を辟く。虎の皮、衣服に繫ぐも亦、佳なり。】。

△按ずるに、「日本紀」、欽明帝六年[やぶちゃん注:五四四年。]、膳臣巴提便(かしはでのはです[やぶちゃん注:ママ。正しくは「かしはでのおみはすび」。])百濟に遣使す。妻子、相ひ逐(したが)ひ行く。百濟の濵に至り、日、晩(くれ)て停-宿(やど)る。小兒、忽ち、(う)せて、之(ゆ)所く所を知らず。其の夜、大〔(おほ)き〕に雪(ゆきふ)る。天-暁(よあ)けて、始めて求むるに、虎の連なる〔足〕跡、有り。刀を帶(たい)し、甲(よろひ)を擐(き)て、尋ね、巖岫〔(いはくき)〕[やぶちゃん注:岩山の洞窟。]に至り、自-稱(なの)りて罵-詈(のゝし)る。虎、前に進んで[やぶちゃん注:ママ。]、口を開き、噬(くら)はんと欲す。巴提便、忽ち、左の手を申(の)べて、其の虎の舌を執り、右の手にて刺(さ)し殺して、皮を剥ぎ取り、還る【文祿年中、秀吉公の軍、朝鮮に在りて、大〔なる〕虎を擊つ者、有り。以つて之れを〔秀吉公に〕獻ず。舁〔(か)き〕擡〔(もた)げ〕して都鄙〔(とひ)〕[やぶちゃん注:繁華な町と田舎。]を渡る。其の長〔(みのた)〕け、丈餘り。班(まだら)の毛(け)鮮明なり。】。

[やぶちゃん注:哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属トラ Panthera tigris であるが、以下の亜種に分かれる(近現代の絶滅種を含む。ウィキの「トラ」に拠った)。

ベンガルトラPanthera tigris tigris(分布はインド・ネパール・バングラデシュ・ブータン(以下同じ):全長は二百七十~三百十センチメートル、で二百四十~二百六十五センチメートル。体重はで百八十~二百五十八キログラム、で百十~百六十キログラム。体毛は短く、背面の毛衣はオレンジや赤褐色。頬・耳介の内側は白い体毛で被われる。縞は少なく、肩部や胸部に縞のない個体もいる)

アムールトラPanthera tigris altaica(ロシアのウスリー東部。以前はバイカル湖からサハリンにかけて分布しているとされたが、サハリンの個体は一時的に移動してきただけであったと現在は考えられている。全長はで二百七十~三百七十センチメートル、で二百四十 ~二百七十五センチメートル。体重はで百八十~三百六十キログラム、で百~百六十七キログラムと、現生では最大亜種とされる。体毛は長く、密生し、腹面は脇腹も含めて白い。尾は白と黒の体毛で被われる)

アモイトラPanthera tigris amoyensis(中華人民共和国南部(広東省・江西省・湖南省・福建省)に分布していたが、野生下では絶滅したと考えられている。腹面の明色部は脇腹に達せず、縞は太くて短く、数も少なく、間隔が大きい)。

バリトラPanthera tigris balicaインドネシアのバリ島に棲息していた絶滅亜種で全長は二百二十~二百三十センチメートル、で全長百九十~二百十センチメートル。体重はで九十~百キログラム、で六十五~八十キログラムで、最小亜種であった。但し、頭骨の比較や分子系統解析では、現生亜種のスマトラトラと同一若しくは重複するとされる

インドシナトラPanthera tigris corbetti(カンボジア・タイ・中華人民共和国南西部・ベトナム・マレーシア(マレー半島)・ミャンマー・ラオスであるが、カンボジアとベトナムでは。近年。繁殖が確認されておらず、ベトナムでは一九九七年に行われたカメラ・トラップによる撮影でも確認されず、カンボジアでは大規模な調査活動が行われたものの、二〇〇五年以降はごくわずかな報告例しかない。背面の毛衣は赤褐色がかかり、縞は細くて短く、数が多い)

ジャワトラPanthera tigris sondaicaインドネシアのジャワ島に棲息していた絶滅亜種。但し、頭骨の比較や分子系統解析では、現生亜種のスマトラトラと同一若しくは重複するとされる

スマトラトラPanthera tigris sumatrae(インドネシアのスマトラ島。背面の毛衣は赤褐色。側頭部の体毛が長いが、頸部の鬣は短い。縞は太い)

カスピトラPanthera tigris virgataトルコ・中華人民共和国(新疆ウイグル自治区)・イランに棲息していた絶滅亜種。毛皮の分子系統解析では現生亜種アムールトラに極めて近縁とする結果もある一方、頭骨での比較と分子系統解析の結果からは、本種をユーラシア大陸産とスンダ列島産の二亜種とする説も提唱されている)

以下、ウィキの「トラ」のトラ全体の記事を引く(太字下線は私)。「形態」の項。『メスよりもオスの方が大型になる』。『腹部の皮膚は弛んで襞状になる』。『背面は黄色や黄褐色で、黒い横縞が入る』。『縞模様は藪などでは周囲に溶けこみ』、『輪郭を不明瞭にし、獲物に気付かれずに忍び寄ったり待ち伏せることに適している』。『腹面や四肢内側は白い』。『黒化個体の発見例はない』(記録はあるらしい。後掲)『が、インドでは白化個体の発見例がある』。『鼻面は太くて短く、顎の力が強い』。『前肢の筋肉は発達し』、『後肢は前肢よりも長い』。『これにより』、『前肢は長い爪も含め』、『獲物を押さえつけることに、後肢は跳躍に適している』ことが判る。『出産直後の幼獣は体長』三十一・五~四十センチメートル、尾長は十三~十六センチメートル、体重七百八十~千六百グラム。『縞模様はあるが、体色は成獣よりも明色』である。「白化型(ホワイトタイガー)」の項。『ホワイトタイガー』『とはインドに生息するベンガルトラの白変種で、アルビノとは異なる白化型であり、正式名は「ベンガルトラ白変種」という』。『ホワイトタイガーは、普通のトラでは黄色になる部分の毛が』、『白色もしくはクリーム色で、黒い縞模様の部分も色が薄い。縞模様は個体によっては茶色だったり、または縞がないか』、『あっても極めて薄いスノーホワイトと呼ばれるパターンもある。虹彩の色は青である。白化型の遺伝にはメンデルの法則が当てはまるとされる。かつてはインド北部や中東部に数頭いたといわれるが、トラ全体の数が減ってしまった現在では全世界でも』二百五十『頭あまり、国内には』三十『頭ほどしかいない希少種で、飼育下でしか目にすることができない』。『アムールトラの白化個体に関しても』、『目撃情報はあるが、確かな記録はない』。なお、『ブラックタイガー』は『過去に数例捕らえられた記録』はある。他に『通常のトラの色を薄くしたパターンで』、『世界で約』三十『頭飼育されている』『ゴールデンタビー』がおり、また、『青に見える灰色で、アモイトラの変種』は『マルタタイガー』と呼ばれるらしい。「生態」の項(抜粋)。『熱帯雨林や落葉樹林・針葉樹林・乾燥林・マングローブの湿原など』、『様々な環境に生息する』。『木に登った例もあるが』、『通常は木に登らない』。『夜行性だが』、『主に薄明薄暮時に活動し』、『昼間に活動することもある』。『群れは形成せず、繁殖期以外は単独で生活する』。『行動圏は獲物の量などで変動がある』。『平均的にオスは数十平方キロメートル、メスは』二十『平方キロメートルの行動圏内で生活し、雌雄の行動圏は重複する』。『縄張りの中を頻繁に徘徊し、糞や爪跡を残す、肛門の臭腺からの分泌物を含む尿を木や岩・茂みに撒くなどして縄張りを主張する』。『温暖な地域に生息する個体は』、『避暑のため』、『水に浸かる』。『泳ぎも上手く』、『泳いで獲物を追跡することもある』、『河川を』六~八『キロメートル渡ることもあり、まれに』二十九『キロメートルを泳ぐこともある』。八~十『メートルを跳躍することもあるが、通常は』五~六『メートル以下』である。『食性は動物食で、主に』多数種の『哺乳類を食べる』。『大型の獲物がない時はヤマアラシ類などの齧歯類、キジ科などの鳥類』・『カメ類・ワニ』・『カエル』。『魚類などの小型の獲物も食べる』。『まれにアジアゾウやインドサイの幼獣、マレーバクを襲うこともある』。『家畜や人間を襲うこともある』。『日あたり平均』六~七『キログラムの肉を食べるが、一晩で』二十五『キログラムの肉を食べることもある』。『獲物を待ち伏せることもあるが、主に一晩あたり』十~二十『キロメートルを徘徊し』、『獲物を探す』。『獲物を発見すると』、『茂みなどに身を隠し』、『近距離まで忍び寄り、獲物に向かって跳躍して接近する』。『主に獲物の側面や後面から前肢で獲物を倒し、噛みついて仕留める』。しかし、『狩りの成功率は低く』、十~二十回に一回『成功する程度』である。『獲物は茂みの中などに運び、大型の獲物であれば』、『数日に何回にも分けて食べる』。『繁殖期は地域によっても異なり』、『インドの個体群は雨期が明けると交尾し、主に二~五月に繁殖する』。『発情期間は数日だが、約』二『日間に』百『回以上の交尾を行う』。『妊娠期間は』九十六~百十一日で、一回に一~六『頭の幼獣を産む』『メスのみで幼獣を育て』、『授乳期間は』三~六ヶ月。『出産直後の幼獣は眼も耳も閉じているが』、生後六~十四『日で開眼し』、生後九~十一日で耳が開く。『生後』四~八『週間で巣から出るようになる』。『幼獣は生後』十八~二十四ヶ月は『母親の縄張り内で生活し』、『徐々に独立する』。『生後』二『年で幼獣の半数は命を落とし、オスが幼獣を殺すことも多い』。『オスは生後』四~五『年、メスは生後』三~四『年で性成熟する』。『寿命は約』十五『年と考えられ』、『飼育下では』二十六『年の記録がある』。「人間との関係」の項。『骨が漢方薬になると信じられている』。『中国には虎骨酒がある』。『開発による生息地の破壊、薬用や毛皮用の乱獲、人間や家畜を襲う害獣としての駆除などにより』、『生息数は激減して』おり、二十『世紀に入』ってからは三亜種もが絶滅している。人的被害の記載。十九世紀にネパール.インド国境付近に『出没したチャンパーワットの人食いトラの被害者数は』四百三十六『人であり、ギネス世界記録に認定されている』。二十一『世紀においてもトラが人を襲う被害は続いており』、二〇一八年にはインドの『マハラシュトラ州で』二『年間に』十三『人を殺害した雌のトラが射殺されている』。「文化的側面」の項。『中国では百獣の王といえば虎であり』、『獰猛な野獣としての虎は』、『古くから』、『武勇や王者のイメージとして受容され、軍事的シンボルや建国・出生譚、故事成語などに結びついている』。『また、虎と人間の生活が密接だった古代の中国や朝鮮など東アジアでは、虎をトーテムとして崇拝した氏族があり、その名残りから魔除けや山の神として一般的な崇敬の対象になった』。『虎は龍と同格の霊獣とされ、干支では年の始めに当たる寅に当てられている』。『一方で、虎は凶悪・危険・残酷といったマイナスのイメージとして比喩される』。『虎による被害の多い地域では虎にまつわる多くの民話が伝承されているが、ネガティブなイメージをもって語られるものが多い』。『古代より日本人にとって虎の皮は海外との交易で輸入される唐物の代表』で、「続日本紀」などに『記録されている渤海使の献進物の中にも虎の皮が含まれている。虎皮は朝議では五位以上の貴族しか身に付けることができず、ときには病気や祟りから身を守る呪物として用いられた』。『他に虎の強さのイメージを利用した例として、虎皮を材料に利用した鎧がある。平貞盛から平維盛まで』九『代に渡って継承された「唐皮」などが有名である』。『虎をモチーフにした伝説の生物としては』、『四神の白虎、鯱、さるとらへび、人虎、開明獣などがある。 また、鬼の虎褌など、見知らぬ異国の住人である鬼と凶悪な虎の複合した観念が、平安末期以降に』「地獄草紙」や「桃太郎」『などの作品に見られるようになる』。『ヨーロッパにその存在が知られるようになったのは、アレクサンドロス』『世(大王)のインド遠征によるもので、ペルシア語のthigra(鋭い・尖った)から、ギリシア語でtigrisと呼ばれるようになり、英語・ドイツ語のtigerへと変化した。ヨーロッパで最初にトラが持ち込まれたのは、紀元前』一九『年にローマ皇帝アウグストゥスにインドの使者がトラを献上した時と言われている。「虎退治」を『題材とする伝説などのフィクションは古今東西にあり、その多くは登場人物の武勇を表現するために使用された。』「水滸伝」の『行者こと武松や黒旋風の李逵が有名である。同作品には実際』、『作中で虎退治を確認できないが、虎殺し(打虎将)の異名を持つ人物も登場する』。良安が引く、「日本書紀」の『百済に派遣された膳臣巴提便が子供を食べた虎を倒しその皮を剥いだとあり、その武勇談は中世の』「宇治拾遺物語」にも、『「遣唐使の子、虎に食るゝ事」という説話として採録されている』。『また』、『豊臣秀吉の家臣加藤清正が朝鮮出兵中に虎狩りをした逸話は良く知られており、これにあやかって明治時代以降、多くの日本人が虎狩りを行っている。なかでも旧尾張藩主の徳川義親はシンガポールで虎狩りを行い、「虎狩りの殿様」として知られている』とある。

 

「李耳」南方熊楠は「十二支考 虎に関する史話と伝説、民俗」(大正三(一九一四)年『太陽』初出)の冒頭の「(一)名義の事」の一節に(引用は平凡社「南方熊楠選集 第一巻」に拠る)、

   *

 また支那で虎を李耳(りじ)と称う、晋の郭璞(かくはく)は「虎物を食らうに耳に値(あ)えばすなわち止(や)む、故に李耳と呼ぶ、その諱(いみな)に触るればなり」、漢の応劭(おうしょう)は南郡の李翁が虎に化け た故李耳と名づくと言ったが、明の李時珍これを妄とし、李耳は狸児(りじ)を訛(なま)ったので、今も南支那人なお虎を呼んで猫となす、と言った。狸は日本でもっぱら「たぬき」と訓(よ)ますが支那では「たぬき」のほかに学名フェリス・ヴィヴェリナ、フェリス・マヌル等の野猫をも狸と呼ぶ。したがって野狸に別(わか)たんとて猫を家狸と異名す。

   *

文中の「フェリス」(Felis)はネコ属であるが、種小名の方を見たところ、それらは現在、ネコ属から移されていることが判った。前者はネコ亜科ベンガルヤマネコ属スナドリネコ Prionailurus viverrinus であり(インドネシアの島々からインドシナ半島及び中国南部・インド地域にかけての沼沢地に棲息し、ネコ科動物にあって特筆すべき魚介類(節足動物を含む)やカエル等の両生類を魚漁(すなど)りする魚食性の猫である。詳しくはウィキの「スナドリネコ」を見られたい)、後者はネコ亜科Otocolobus属マヌルネコ Otocolobus manul である(アゼルバイジャン・アフガニスタン・イラン・インド(ジャンムー・カシミール州)・カザフスタン・キルギス・中華人民共和国(四川省・青海省・陝西省・内モンゴル自治区・新疆ウイグル自治区・チベット自治区)・ネパール・パキスタン・ブータン・モンゴル・ロシア南部に棲息。マヌルはモンゴル語由来で、まさに「小さい野生ネコ」の意である。ウィキの「マヌルネコ」を見られたい)。郭璞の謂いはちょっと略があって分かりにくいが、「虎は獲物の動物を食らう際に、耳の部分まで食うと、食べるのを止める。故に「李耳」と呼ぶのだが、まさにそれは(道家の祖たる老子の本名「李耳」)という諱(いみな)に触れるからである」というのである。応劭のそれは「風俗通」佚文にあって、「呼虎爲李耳。俗、虎本南郡中廬李氏公所化爲、呼李耳因喜、呼班便怒」とある。というより、時珍の「本草綱目」の「虎」の「釈名」に以上は以下の通り、纏めて挙げられてあるのを南方熊楠は用いたのである。

   *

揚雄「方言」云、陳魏之間、或謂之李父。江淮南楚之間、謂之李耳、或謂之𪂬。自關東西或謂之伯都。珍按、李耳當作狸兒。蓋方音轉狸爲李、兒爲耳也。今南人卽此意也。郭璞謂虎食物、耳則止、故呼李耳、觸其諱。應邵謂南郡李翁化耳、皆穿鑿不經之言也。

   *

」「虎」は象形であるが、大修館書店「廣漢和辭典」によれば、音形上(拼音(フゥー))は虎の吼える声のオノマトペイアであろうと推定している。

「虎魄〔(こはく)〕」琥珀をそうして生成されたものと採った古伝。面白いが、そこで比較として出すのが、縊死自殺して地に帰った「魄」(中国では「魂魄」は別なもので「魂」は空へ昇るとされる)が固まったものと同類だというのは、如何にも不気味。

「月-黒〔(やみよ)〕」月の出ていない闇夜。何故かは知らぬが、この手の話にはありがちな、呪的に、月の光は「虎魄」と相性が悪く、掘り出した途端に、光りを失ってしまうのであろう。

「麩-炭〔(けしづみ)〕」消し炭。ここは東洋文庫訳のルビに従った。

「嘯(うそぶ)き」吼え。

「〔その〕物〔を食ふに〕、月旬の上・下に隨ひて、其の〔獲物の〕首・尾を囓〔(かじ)〕る〔ことを變ふる〕」ここは良安の訓読が良くないのだが、要は月の上旬と下旬では、その獲物の動物を首から食うのか、尾から食うのかが、決まっていて、その定式に従ってそれぞれの時期には食事法を変更するというのである。

「其れ、物を搏(う)つこと[やぶちゃん注:獲物を襲うこと。]、三たび、躍る〔るれども〕中〔(あた)〕ざれば、則ち、之れを捨つ」どんな獲物のでも、三度試みて、捕獲出来なかった場合は、諦めるというのである。

「虎に威骨有り」先の南方の「十二支考 虎に関する史話と伝説、民俗」の「(七)虎に関する民俗」の一節に以下のようにある。太字で示したのが「威骨」であるが、その後の虎の鬚が有毒とする伝承や、本文が触れている虎が占いをするという部分と親和性のある箇所があって面白いので、それも含めてソリッドに引用しておく(カタカナ・ルビは推定で表記を変えた)。

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インドのマラワルの俗信に虎の左の肩尖の上に毛生えぬ小点あり、そこの皮また骨を取り置きて嘗(な)め含むと胃熱を治す、また虎肉はインド人が不可療の難病とする痘瘡(とうそう)唯一の妙剤だと(ヴィンツェンツォ・マリア『東方遊記』)。安南の俗信に虎骨ありて時候に従い場処を変える、この骨をワイと名づく、虎ごとにあるでなく、最(いと)強い虎ばかりにある、これを帯びると弱った人も強く、心確かになる、因って争うてこれを求むとあるが(ランド『安南民俗迷信記』)、ワイは支那字威(ウェイ)で、威骨(ウェイクツ)とて虎の肩に浮き居る小さき骨で佩ぶれば威を増すとてインドでも貴ぶ(『日本及日本人』[やぶちゃん注:大正三(一九一四)年。]新年号二三三頁を見よ)。安南人また信ず、虎鬚有毒ゆえ虎殺せば鬚を焼き失う習いだ。これを灰に焼いて服(のま)すとその人咳を病む、しかし死ぬほどの事なし。もし大毒を調えんとなら、虎鬚一本を筍(たけのこ)に刺し置くと鬚が蚝(けむし)に化(な)る。その毛また糞を灰に焼いて敵に服ませるとたちまち死ぬと。安南人また信ず、虎王白くて人を啖わず、神山に隠れ棲む処へ子分ども諸獣肉を献上す。また王でなく白くもない尋常の虎で、人を啖わず、いわば虎中の仙人比丘で神力あり、人を食うほど餓うればむしろ土を食うのがある。これをオンコプと名づく。その他人を何の斟酌なく搏ち襲う虎をコンベオと名づけ、人また何の遠慮なくこれを撃ち殺す。しかし虎が網に罹(かか)ったり機(わな)に落ちたりして、即座にオンコプだかコンベオだか判りにくい事が多いから、そんな時は何の差別なく殺しおわる。虎は安南語を解し、林中にあって人がおのれの噂するを聞くという。因って虎を慰め悼む詞を懸けながら近寄り、虎が耳を傾け居る隙すきを見澄まし殺すのだ。また伝うるは、虎に食わるるは前世からの因果で遁れえない。すなわち前生に虎肉を食ったかまた前身犬や豚だった者を閻魔王がその悪む家へ生まれさせたんだ。だからして虎は人を襲うに今度は誰を食うとちゃんと目算が立ちおり、その者現に家にありやと考えもし疑わしくば木枝を空中に擲(な)げて、その向う処を見て占うという。カンボジア人言うは虎栖[やぶちゃん注:「す」「すみか」。]より出る時、何気なく尾が廻る、その尖を見て向う所を占う(アイモニエー『柬埔寨人風俗迷信記(ノート・シュル・レ・クーツーム・エ・クロヤンス・スペルスチシュース・デ・カンボジヤン)』)。

 虎はなかなか占いが好きで自ら占うのみならず、人にも聞いた例、『捜神後記』に曰く、丹陽の沈宗、卜を業とす、たちまち一人皮袴を著、乗馬し、従者一人添い来って卜を請う、西に去って食を覓(もと)めんか東に求めんかと問うたんで、宗卦を作し、東に向えと告げた。その人水を乞うて飲むとて、口を甌(かめ)中に着け、牛が飲むごとし。宗の家を出て東に百余歩行くと、従者と馬と皆虎となり、「これより虎の暴非常」、と。『梁典』に曰く、「斉の沈僧照かつて校猟し、中道にして還る、曰く、国家に辺事あり、処分すべしと。問う、何を以てこれを知る、と。曰く、さきに南山の虎嘯くを聞きて知るのみ、と。にわかにして使い至る」。これは人が虎嘯くを聞いて国事を卜うたのだ。防州でクマオに向って旅立ちすると知って出たら殺され、知らずに出たら、怪我けがするとて、その日を避ける。船乗りことに忌む。クマオは子、辰、申の日が北で、それから順次右へ廻る。その日中に帰るならクマオに向かい往くも構わぬという(大正二年十二月『郷土研究』六二七頁)。このクマオも熊尾で、上述の虎同様熊が短き尾を以て行くべき処を卜うという伝説でもあるのか、また西洋で北斗を大熊星というから、その廻るのを熊尾と見立てての事か、大方の教えを乞いおく。

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この最後に南方の言っている「クマオ」というのは、よく判らないが、どうもその日に凶である方角を指すようではある。「捜神後記」のそれは、第九巻の以下。

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丹陽人沈宗、在縣治下、以卜爲業。義熙中、左將軍檀侯鎮姑孰、好獵、以格虎爲事。忽有一人、著皮褲、乘馬、從一人、亦著皮褲、以紙裹十餘錢、來詣宗卜、云、「西去覓食好。東去覓食好。」。宗爲作卦。卦成、告之、「東向吉、西向不利。」。因就宗乞飮,内口著甌中、狀如牛飮。既出、東行百餘步、從者及馬皆化爲虎。自此以後、虎暴非常。

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さて。この威骨って何だろう? と考えた。漠然と、「乙」の字に似ているとしたら、鎖骨かしらん? と思ったのだが、調べてびっくり、ネコ類には鎖骨は痕跡しかないという。サイト「ペット生活」の「人にはある骨。でも猫にはなぜ鎖骨がないのはなぜ?」によれば、『鎖骨は、「肩甲骨」と胸の前にある「胸骨」を結ぶ骨です。鎖骨は肩甲骨を外側に維持するために使われる骨であり、人が鎖骨を骨折してしまうと肩を動かすときに痛みが生じたり、肩幅が狭くなったります』。『一方』、四『本足で歩く猫は、前足を体の下に位置させて重心を安定させることが大切で、前足を開く動きはそれほど重要でありません。基本的に前足を前後に動かすだけでいい猫には、鎖骨の必要性が少なくなって鎖骨が退化してきたと考えれます。実際には、レントゲンを撮ると鎖骨の痕跡がうつることもありますが、筋肉の間に痕跡が存在するだけで実際の働きはないと言われています。ちなみに犬では痕跡も残っておらず、鎖骨は全くありません』。『鎖骨がないことで猫にはいくつかのメリットがあります』。『猫が狭い場所をうまく通り抜けることができるのは鎖骨がないおかげだと考えられています。鎖骨がないと』、『前足が体の横ではなく』、『前(腹側)側につくため、肩幅を狭くすることができます。狭い隙間をするすると進むためには鎖骨が邪魔なんですね』。『また、鎖骨は非常に骨折しやすい骨であり、人の全骨折の』十%『が鎖骨骨折だと言われています。鎖骨がないことで骨折のリスクが減るというのも、鎖骨がないメリットの一つだと考えれます』。『人間以外に鎖骨がある動物には、サルなどの霊長類の他にハムスターなどのげっ歯類やウサギなどがいます。では、猫や犬と、ハムスターやウサギは何が違うのでしょうか?』 『それは、前足の使い方をよく考えてみるとわかってきます。犬や猫はフードを食べるときに基本的には前足を使いません。一方、ハムスターやウサギはエサを器用に前足で持って食べることができるのです。つまり、鎖骨のある動物は手(前足)をうまく使うことができるんですね。前足の走る機能を高めた動物では鎖骨が退化し、前足を起用に使う機能を優先させた動物では鎖骨が残っていると考えられています』とあったのだ。うん? しかし、「長さ、一寸」だ。或いは、その痕跡として残っている鎖骨かも知れぬ。トラの全骨格を見る機会があったら確認してみよう。

「蝟-鼠〔(はりねづみ)〕」哺乳綱 Eulipotyphla 目ハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinae のハリネズミ類。ヨーロッパ・アフリカ・中近東・日本を除く東アジア・ロシア・インドに自然分布し、五属十六種が知られている。時珍が言うのは、ハリネズミ属アムールハリネズミ Erinaceus amurensis か。

「獅子」既出既注

「騶虞〔(すうぐ)〕」既出既注。次の独立項。

「駮〔(はく)〕」幻想地理書「山海経」によれば、中曲山に棲息し、体は白い馬に似るが、虎の四肢を持ち、頭に一本の角を持ち、鳴き声は太鼓を叩いたような太い声で、鋭い牙を持ち(「山海経」はそこで「虎の牙」とする)、猛獣を喰い殺す。また、剣難を防ぐ能力を持つとされる。次の次の独立項。

「黃腰」次の次の次の独立項の「(こく)」の異名。「本草綱目」では、豹(ネコ目ネコ科ヒョウ属ヒョウ Panthera pardus)に似ているが、小さく、腰から上は黄、下は黒で、形は犬に似ているとする一方、身体は鼬(いたち)で、首は狸とし、形は小さいが、虎・牛・鹿を食ひ、さらに、成長すると母を食べると記すから、聖獣ではない。

「渠搜」不詳。中文サイトでは獣の名とはするものの、詳細を記さない。西域の国名ではあるが、それではない。

「勢〔(せい)〕」威勢。

「五雜組」既出既注。なお、原文を確認したが、ここで二重鍵括弧を附した部分の内、最後の二人の壮士による部分は同じ七巻からではあるが、別の部分からの引用である。

「黐(とりもち)を以つて地に布(し)き、及び、〔その〕横に〔なる〕道の側に〔も〕〔黐を〕施す者有り」後に「下ることを得ず」とあるから、やはり、前のシークエンスと同じ、崖の斜面を指していることが判る。

「地に據〔(よ)〕りて」平地、ここは後文から、「人家のある場所」の意。

「胡(えびす)」中国人が北方・西方の異民族を呼んだ語。戦国時代には内モンゴルに居住した異民族を指したが、秦・漢代には、主として匈奴を示すようになったが、パミール以西のイラン系民族、特にソグド人も「胡」とよばれ、魏晋南北朝時代以後は、専ら、ソグド人の意味に用いられた。なお、胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)などの漢語は、これらがトルキスタンから中国へ齎されたことを示している(ここは小学館「日本大百科全書」に拠った)。ここは明の「五雑組」の記載であるから、西方のソグド人の住む領域を指す。

「六帖」「から國〔(くに)〕の虎ふすといふ山にだに旅にはやどる物とこそきけ」「古今和歌六帖」十世紀の終わり近くの円融・花山・一条天皇の頃の成立か(貞元元(九七六)年から永延元(九八七)年まで、又は永観元(九八三)年までの間が一応の目安とされる)とされる私撰和歌集。その「第二 山」に載る。作者不詳。或いは、女が男に泊まってゆくことを誘った艶歌であろうか。

「瘡疥」発疹。

「驚癇」癲癇。

「溫瘧〔(うんぎやく)〕」強い熱感が出るが、悪寒がないか、少ない症状を指す。

「虎膽〔(こたん)〕」小学館「日本国語大辞典」に虎の肺臓又は肝臓とする。

「疳痢」小児に特徴的に見られる神経性の下痢か。

『「日本紀」、欽明帝六年……』以下の「日本書紀」原文は欽明天皇六(五四五)年十一月の記事。

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冬十一月。膳臣巴提便還自百濟言。臣被遣使。妻子相逐去。行至百濟濱。【濱。海濱也。】日晚停宿。小兒忽亡、不知所之。其夜大雪。天曉始求、有虎連跡。臣乃帶刀擐甲。尋至巖岫。拔刀曰。敬受絲綸、劬勞陸海、櫛風沐雨、藉草班荊者。爲愛其子、令紹父業也。惟汝威神。愛子一也。今夜兒亡。追蹤覓至。不畏亡命。欲報故來。既而其虎進前、開口欲噬。巴提便忽申左手。執其虎舌。右手刺殺。剥取皮還。

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ウィキの引用に出た「宇治拾遺物語」のそれは、百五十六話の「遣唐使の子虎に食わるゝ事」(巻一二の二〇)の以下。

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 今は昔、遣唐使にて、唐(もろこし)にわたりける人の十ばかりなる子を、え見であるまじかりければ、具して渡りぬ。さて、過(すぐ)しける程に、雪の高くふりたりける日、ありきもせでゐたりけるに、この兒のあそびに出でて去ぬるが、遲く歸へりければ、怪しと思ひて、出でて見れば、足形(あしがた)、後(うしろ)の方(かた)から、蹈みて行きたるにそひて、大なる犬の足形ありて、それよりこの兒(ちご)の足形、見えず。山ざまに行きたるを見て、『こらは虎の食ひて行きけるなめり』と思ふに、せん方なく悲しくて、太刀を拔きて、足形を尋ねて、山の方に行きてみれば、岩屋の口に、この兒を食ひ殺して、腹をねぶりて臥せり。太刀を持ち)て走り寄れば、え逃げていかで、かい屈まりてゐたるを、太刀にて頭を打てば、鯉(こひ)の頭(かしら)をわるやうに割れぬ。つぎに、また、そばざまに食はんとて、走り寄る背中を打てば、せぼねを打ち切りて、くたくたとなしつ。

 さて、子をば死なせたれども、脇にかい挾みて、家に歸りたれば、その國の人々、見て怖(お)ぢあさむ[やぶちゃん注:恐れ呆れる。]こと、かぎりなし。

 唐の人は、虎にあひては逃ぐることだにかたきに、かく、虎をば打ち殺して、子を取り返して來たれば、唐の人は、いみじきことに言ひて、「なほ日本の國には、兵(つはもの)の方(かた)は、ならびなき國なり」と、めでけれど、子、死にければ、何にかはせん。

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明らかに「日本書紀」の記事を改変したものである。

「膳臣巴提便(かしはでのはです[やぶちゃん注:ママ。正しくは「かしはでのおみはすび」。])」「膳臣」は元は天皇の供御の料理や神への供饌に奉仕した職であるが、後に軍事や外交にも従事した。この「膳巴提便」(現代仮名遣「かしわでのはすび」)は「日本書紀」のここにみえる武人。無論、子は虎に食われたのであり、これはその勇猛果敢な報復譚の記載である。

「文祿年中、秀吉公の軍、朝鮮に在りて」秀吉の第一次朝鮮侵略である「文禄の役」は文禄元(一五九二)年に始まって翌年に休戦。現在、加藤清正が虎退治の主人公となっているが、本来は黒田長政とその家臣の逸話で、後世に清正のすり替えられたものである。]

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