わかれ 國木田獨步
わ か れ
今日を限りの別れとは
夢知らざりき、夢にのみ
行末の日を樂しみし
我世もゆめとなりにけり
目もはるかなる野末見よ
遠山かすむ彼方には
人住む里も多からむ
其里戀ひし、君が行く
十とせの後の冬の夜に
君が門の戶、たゝかむをり
せめては内に入れたまへ
こしかたの夢かたるべし
君は彼日を語りいで
われは彼夜を忍ぶべし
梢をわたる風の音は
かたみの淚さそひつゝ
もゝとせの後、秋の夜半
月冷やかにかげ澄みて
君が塚石てらすべし
蟲の音しげき山里に
わが墓いつか苔むして
文字さだかにも讀めぬ日は
誰か知るべき、君とわれ
住て此世に逢ひし事を
逢ては別れ、別れては
東に西に埋れゆく
(千世の昔の神世より)
はかなき人の多からめ
斯くて恨の盡きはせじ
かくて此世は昔より
戀のかばねを冬枯の
あらしにさらす墓ならめ
小川谷川、すえ終に
大海原に注げども
人の情のなみだ川
湛えてくまん時ぞなき
[やぶちゃん注:初出は明治三一(一八九八)年二月十日発行の『國民之友』。この詩篇、没後の「獨步遺文」の「別れ」という詩篇が載り、それは本篇の異稿と考えられる。但し、この異稿は複雑で、まず、異稿も本篇と同じく一連四行の全九連から成るものの、そちらでは本篇の最終第九連目の詩句は存在せず、それは、
*
淚 川
小川谷川末終に
大海原に注げども
人の情の淚川
湛へて汲まむ時ぞ無き
*
となっている(解題では以下の異稿の後に続くようにこの「淚川」は示されているが、果たして事実そうなのかどうかは、原本に当たれぬので不明である)。底本解題に異稿全体も示されてあるので、それを以下に示す。
*
別 れ
今日を限りの別れとは
夢知らざりき夢にのみ
君に遇瀨を樂しみし
我世も夢となりにけり
目もはるかなる野末見よ
遠山霞む彼方には
人住む里も多からん
其里戀ひし君が行く
人の世古き昔より
逢うては別れ別れては
また逢ふこともあらなくに
別れし人も多からめ
十歲の後の冬の夜に
君が門の戶叩かみ折
せめては内に入れ給へ
越し方の日を語るべし
君は彼日を語り出で
我は彼夜を忍ぶべし
梢をわたる風の音は
かたみの淚さそひつゝ
百歲後の秋の夜の
月は木の間を迷ふにも
君がおくつき照らすべし
蟲の音しげき山里に
吾が墓いつか苔むして
文字さだかにも讀めぬ日は
誰か知るべき君と吾
住みて此世に逢ひし事を
逢ては別れ別れては
東に西に埋れ行く
千代の昔の神世より
はかなき人の多からめ
逢ふは束の間別れこそ
はてなき恨み此世こそ
戀の屍と冬枯の
あらしに曝す墓ならむ
*
第三連の「逢うて」はママである。]