水際のすみれ 國木田獨步
水際のすみれ
曉やみの霧はれて
谷の淸水の底淸し
水際にさけるつぼすみれ
影をさやかにうつしけり
しばし汲む手もたゆたひつ
ゑみし少女や人なりし
[やぶちゃん注:初出は『國民之友』明治三〇(一八九七)年五月。初出標題は「すみれ」で、一行目は「曉やみに霧はれて」。
「つぼすみれ」被子植物門双子葉植物綱スミレ目スミレ科スミレ属ツボスミレ Viola verecunda。恐らくは、「菫(すみれ)」から多くの人が想起するのは、強い紫色を発色して群生するスミレ属スミレ Viola mandshurica か、或いは、丸葉と立ち上がる茎を特徴とするスミレ属タチツボスミレ Viola grypoceras であろうが、私は断然、この白く花の奥が菫色を呈する目立たぬ、このツボスミレこそ「菫」である。ウィキの「ツボスミレ」によれば、『ニョイスミレとも呼ばれる。全体に小柄で、茎はよく伸びて往々にして地表を這い、花はあまり高く出ないので、あまり目立たない植物である』。『地下茎はごく短く、地上に根出葉と複数の茎を伸ばす。茎は斜めに伸びるか横に這い、間を空けて葉をつける。草丈は』五~二十五センチメートル『ほど。葉は丸っこく、基部は深く心形になるので、全体としてはきれいなハート形の葉である。葉柄は根出葉では長く、茎葉では短い。葉は柔らかく、緑色でつやがなく、無毛。葉の縁には粗くて背の低い鋸歯がある』。『花は匍匐する茎の葉腋から出て、花柄は立ち上がり、葉より少し上に出て花をつける。花色は白で、上弁は反り返る。花弁には基部に向けて紫の筋が入る。紫の筋の濃さには差があり、場合によっては花全体が紫を帯びる。花弁はやや細め』。『やや湿った樹木に被陰されない草地に生える。山間部では人里にも珍しくなく、畑や水田の水路脇などには見かけることが多いが、市街地にはあまり出ない。匍匐枝をのばすので、小さな群落を作る。時には畦に一面に出現することもある』。本邦では『北海道から九州、屋久島まで分布し、各地で普通種である。国外では東アジアに広く分布することが知られる。日本国内では個体数でタチツボスミレに次いで多い、との声もある』。『地理的にも生態的にも分布の広いものだけに、変異は大きい。特に葉身が短く、基部が深く心形になるものをアギスミレ Viola verecunda var. semilunaris という。葉の形は極端な場合には「へ」の字型になるが、中間的なものも多い。本州中部以北に多く、特に湿地に出現する型である』。『他に』、『葉が円形に近く、表面に微毛があり、高山に出現するミヤマツボスミレ Viola verecunda var. fibrilosa や、アギスミレに似てより小さく、茎から根を下ろすヒメアギスミレ Viola verecunda var. subaequiloba、それよりさらに小さく、屋久島のみに見られるコケスミレ Viola verecunda var. yakusimanaも知られている』。本邦産の『スミレでは他にこういった姿のものはなく、混同することは』まずない。前に掲げた通り、和名には「ツボスミレ」「ニョイスミレ」があるが、『前者は坪菫であり、坪は庭の意である。つまり、庭に生えるスミレとの意で、この種に対する古くからの名である。後者は如意菫で、こちらは葉の形が仏具の如意』(僧が読経や説法の際などに手に持つ道具。孫の手のような形状をしており、笏と同様に権威や威儀を正すために用いられるようになった)『に似ることによる。これは牧野富太郎の命名によるもので、前者がこの種を特定するものではないので、命名し直したとのこと。ツボスミレの名は牧野曰く「不純でまぎらわしい」そうである。なお、変種のアギスミレは顎菫で、葉の基部の出っ張ったのを顎』(あぎと:頷(あご))『に見立てたものである』。『しかしながら、『日本植物誌』や保育社の『原色日本植物図鑑』、平凡社の『日本の野生植物』シリーズなど』、『日本産植物全体を見通した標準的な図鑑として使われてきた文献ではツボスミレが使われている』。『それに対し』、いがりまさし著「山渓ハンディ図鑑」第六巻「増補改訂 日本のスミレ」(二〇〇八年山と渓谷社刊)『などはニョイスミレを使い、著者はツボスミレは使いたくない意思を匂わせている。本種における問題に限られるものではないが、学名と異なり』、『植物学の中に正式の地位を持たない和名には強制的なルールが存在しないため、どちらの使用も許容されることが、紛らわしさを生じさせている』とある。國木田獨步は「すみれ」が好きだった、私も好きだ。
最終行はすみれが化した妖精としての幻の少女であろう。妖精はスミレの花がよく似合う。水際なればこそ、ウンディーネ(Undine)……]