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2019/03/09

カテゴリ「国木田独歩」創始/詩歌群正規表現版始動 「獨步吟」の「序」及び「驚異」

カテゴリ「国木田独歩」を創始し、まず、國木田獨步の詩歌群の正規表現版の電子化を行う。私は既に偏愛する彼の、

武藏野(やぶちゃん校訂版) 縦書版

忘れえぬ人々(単行本「武藏野」版)縦書版

忘れえぬ人々(筑摩書房「現代日本文學大系」版)(読み排除版+読み附き版)

號外

の三篇七種の電子化をサイトの「心朽窩旧館」で遠い昔に行っている。

 底本は、所持する(私が教師になった当時に買ったもので、一括揃五万二千円であった)、個人全集では稀有の名品と感じている学研の「國木田獨步全集」增訂版(全十卷+別卷)を用いる(本全集は解説を含めて全篇が徹底した正字正仮名表記である)。詩篇パートは同全集第一卷昭和五三(一九七八)年刊である。國木田獨步は独立した狭義の単独の自作詩集を持たない(例えば、以下に示す「獨步吟」は「抒情詩」(明治三〇(一八九七)年四月民友社刊の宮崎湖處子編になる、國木田哲夫(獨步)・松岡國男(柳田國男)・田山花袋・太田玉茗・矢崎嵯峨の舎(嵯峨の屋おむろ)・宮崎湖處子六人による詞華集(アンソロジー))に載る國木田獨步のパートである。現物は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で総て視認出来る)。従って、底本の詩篇パート(底本では『詩』)を完全に一括して電子化すれば、それは底本の編者の編集権を侵すことになる。しかし、底本は國木田獨步の詩篇(但し、「欺かざるの記」や書簡等に含まれるそれは省かれてある)をそれが収録された詞華集の発行順に編年体(但し、実際にはその中では編年順でなく、錯雑している(それぞれに私が附した初出のクレジットを参照されたい)。個別詩篇自体の編年体構成ではない)で並べ、それに漏れているものを「拾遺」と「遺稿」で纏めたものであるので、〈その順に、一篇ずつ、ブログで分割して電子化を行って紹介すること〉は、編集権に抵触しないし(現在、日本で認められ得る編集権があるとしたら、そういうものである。編集権は編集されたソリッドな全体にしか及ばないというのが現行の著作権の編集権に対する一般的理解通念である。文化庁に問い合わせして戴いてもそう答えるはずである)、さらに言えば、私は必ずしも底本の表記に満足していないので、原典を見ることが可能なものの場合は、それで訂した箇所もある(例えば、以下の「序」の「記臆」)それにオリジナルに書誌情報や初出異同(但し、有意に異なる場合のみしか示さない)その他の注を個別に附すので、最早、編集権侵害など問題にならない。そうした仕儀と認識で以下を開始するものである。

 踊り字「〱」「〲」は正字化した。私は詩はゴシックが似合わないと思う人種であるので、ここでは基本、明朝を用いた。【2019年3月9日始動 藪野直史】]

 

   獨 步 吟

 

 余も亦歐詩を羨みし者の一人なり。明治の世に人となり、例へばバイロンを讀み、テニソンを讀み、シルレルを讀める者にして、其情想、衷に激すれども、これを詠出するに自在の詩體吾國に無きを憾む者世間必ず其人多かるべしと信ず、余も亦た其一人なりき。

[やぶちゃん注:「衷」は「うち」。]

 新日本の建立さるゝに當りて全く缺乏せる者は詩歌なりとす。開國以來海外の新思想は潮の如く侵入し來り、吾國文明の性質著しく變化を被りしと雖も、遂に一詩歌現はれて此際の情想を詠じ以て、吾人の記臆に存せしめたる者なし。自由の議起り、憲法制定となり、議會開設となり、其間志士苦難の狀況は却て詩歌其者の如くなりしと雖も而も一編の詩現はれて當時火の如かりし自由の理想を詠出し、永く民心の琴線に觸れしめたる者あらず。「自由」は歐洲に在りて詩人の熱血なりき。日本に移植されては唯だ劇場に於ける壯士演となりし得しのみ。斯くて自由黨は其血を枯らし、其心を失ひ、今や議會に在りてすら淸歌高明なる自由の理想は見る能はずなりたり。

[やぶちゃん注:「缺乏せる者」は「抒情詩」原本では「缺乏しる者」。

「記臆」は底本では「記憶」とするが、誤りではないので原典に従った。]

 基督教を始め、歐洲の人心を鼓舞激勵しつゝある雄大の理想、早く已に吾國に入り來りて而も日本には、これが熱情を享け得る程の詩歌を缺きしため我國の新文明は物質的偏長の弊に陷り、世を擧げて唯物主義の淺薄固陋に走り、宗教は卑下せられ、徒に電氣燈のみ輝きて國民靈性の神殿は暗夜の如し。日本に詩歌の發達せる形式なかりしは新日本の文明を跛足ならしめし大源因の一なりと余は信ず。

[やぶちゃん注:「跛足」「はそく」と読んでおく。「ちんば」「びつこ(びっこ)」が一般の読みであるが、本文の格調からは音読みとしたい。但し、現在では差別用語である。]

 斯る時、井上外山兩博士等の主唱編輯にかゝはる「新體詩抄」出づ。嘲笑は四方より起りき。而も此覺束なき小册子は草間をくゞりて流るる水の如く、何時の間にか山村の校舍にまで普及し、『われは官軍わが敵は』てふ沒趣味の軍歌すら到る處の小學校生徒をして足並み揃へて高唱せしめき。又た其のグレーの「チヤルチヤード」の飜譯の如きは日本に珍らしき淸爽高潔なる情想を以てして幾多の少年に吹き込みたり。斯くて文界の長老等が思ひもかけぬ感化を此小册子が全國の少年に及ぼしたる事は、當時一少年なりし世の如き者ならでは知り難き現象なりとす。夫れ斯の如くなりしと雖も爾來文學界は新體詩なる者を決して歡迎せざりき。こは皆な世人の知る處。文界今尚ほ新體詩を眼中に入れざる輩少からざるを以て知るべし。

[やぶちゃん注:「グレー」トマス・グレイ(Thomas Gray 一七一六年~一七七一年)はイギリスの詩人で古典学者。ケンブリッジ大学教授。ロマン主義の先駆者。

「チヤルチヤード」グレイの詩“Elegy Written in a Country Churchyard”(田舎の教会墓地にて書かれたエレジー(哀歌):一七五一年発表)は近代詩の嚆矢とされる詩集「新體詩抄」(明治一五(一八八二)年刊)に尚今居士名義(東京大学理学部教授で植物学者矢田部良吉のペン・ネーム)の「グレー氏墳上感懷の詩」として訳出された。J-TEXTのこちらに「新体詩抄」は全電子化されてある(但し、漢字は新字)。同詩は『山々かすみいりあひの 鐘ハなりつゝ野の牛ハ』『徐に步み歸り行く 耕へす人もうちつかれ』『やうやく去りて余ひとり たそがれ時に殘りけり』『四方を望めバ夕暮の 景色ハいとゞ物寂し』『唯この時に聞ゆるハ 飛ぴ來る蟲の羽の音』『遠き牧場のねやにつく 羊の鈴の鳴る響』(以上第一連(六行)。電子化には国立国会図書館デジタルコレクションの「初編」のこちらJ-TEXTのそれを校合した。なお、「耕へす人」は「たがへす(たがえす)人」で、「耕へす」は「耕やす」の古語である)で始まる長詩で、多分に退屈で詩的レベルの低い「新體詩抄」の中では、訳詩でもあるため、非常な好評を得、明治文学に大きな影響を及ぼした。原詩と現代語訳はgtgsh氏の「英語の詩を日本語で English Poetry in Japaneseの「Gray, "Elegy Written in a Country Churchyard"(閲覧日・本日)がよい。]

 されど時は來れり。西南の亂を寢物語に聞きし小兒も今は堂々たる丈夫となり、其衣兜の右にミルトンあり、左に杜甫あり、懷に西行を入れて、秋高き日、父が上下着て登城したる封建の城、今は蔦葛繁れる廢墟の間を徘徊する又た珍しからぬ事となりぬ。而して冷評されつゝも今日まで雜誌類に現はれし新體詩は何時しか世人の眼に慣れて其新詩形も最早奇異ならぬ者となりぬ。

[やぶちゃん注:「衣兜」「かくし」。衣嚢(いのう)。ポケット。]

 斯くて時は來れり。新體詩は兔にも角にも新日本の靑年輩が其燃ゆる如き情態を洩らすに唯一の詩體として用ゐらる可き時は徐ろに熟したり。乃ち「靑年文」てふ雜誌に新體詩の特に盛んなるは敢えて不思議の事にもあらず。

[やぶちゃん注:「敢えて」はママ。原典も同じ(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の当該ページ)。]

 是に於てか余は新體詩が今後我國の文學に及ぼす結果の豫想外に強大なるべきを信ず。日本の精神的文明の上に著しき影響を與ふるものは今後必ず此詩體なるべきを信ず。此詩體今だ甚だ幼稚なりと雖も新日本はこれに由りて始めて其詩歌を得べくなりぬ。其結果は如何。遺傳に於て吾等は天保老人の血を體中に流し、東洋的情想を胸底に燃やす。學文に於て吾等は歐洲の洗禮を受けたり。吾等が小さき胸には東西の情想、遺傳と教育とに由りて激しく戰ひつゝあり。朝虹を望んではヲーズヲースを高吟すれども、暮鐘を聞ては西行を哀唱す。神を仰ぎて幽愁に沈む。今や吾等は新體詩を得ていさゝか此鬱憤をのぶるに足りつゝあり。吾等をして縱橫に歌はしめよ、斯くて其結果は如何。

 あはれ此混沌たる時代と、此煩悶せる靑年輩と、此新生の詩體とは相關係して何等の果をも結ばず止むべきか。

 されど此等、凡て年若き者の果敢なき夢想なりとせんか、或は然らん。而も余の如きものゝ胸には此新體詩の上にかゝる夢想を描き又た描きつゝある事實を如何せん。誰れか此夢想の他日、日本の文明史上に大なる現實となる可きを否定し得るものぞ。

[やぶちゃん注:「果敢なき」「はかなき」。]

 顧て余は新體詩の主唱者及び今日まで冷評されつゝも耐え忍びて此詩體を愛育したる諸君に向て感謝の意を表する者なり。

 余は詩作の上に於て極めて後進なるが故に今日までに成就したる作とても甚だ少く、甚だ少き中より撰びて茲に揭げ得しは僅かに廿編餘に過ぎざるを遺憾とす、而も唱するに足るものなきを愧づ、たゞ是を以て新體詩その者を罪するなくんば幸なり。

 詩體につきては余は甚だ自由なるを有す。七五、五七の調も可。漢詩直譯體も可。俗歌體も可。漢語を用ゆるの範圍は廣きを主張す。枕詞を用ゆる、場合に由りて大に可。たゞ人をして歌はざるを得ざる情熱に驅られて歌はしめよ。此の如くなれば、其外形は散文らしく見ゆるも、瞑々の中必ず節あり、調あり、詠嘆ありて自から詩的發言を成し、而も七五の平板調の及び難き遒勁を得。余は此確信によりて『山林に自由存す』を歌ひぬ。

[やぶちゃん注:「遒勁」「しうけい(しゅうけい)」。書画・文章などの筆勢が力強いこと。]

 吾國には漢詩を直譯的に朗吟する習慣あり。七五、五七の流麗なる調の外、自から吾人の口頭に一種の調を成し居れり。余は此習慣を新體詩の上に利用し發達せしめんことを希望するもの也。此意を以て余は『獨坐』を作りぬ。

 新體詩を以て敍事詩を作ることは必ず失敗すべきを信ず。此に付きては坪内君已に言へり。故に初より覺悟して敍情詩の上にのみ十分の發達を遂げしむるに若かずと信ず。されど彼の敍事的敍情詩の如きは尤も新體詩に適するものゝ如し。太田君の「宇之が舟」は嚴然として泣かしむ。たゞ余は七五調のみを以て此等の長編を行る事の或は平板に流れ易きを恐る。此故に井上博士の「比沼山」を成功覺束なきものと余は思ふ。

[やぶちゃん注:「坪内君」坪内逍遙。

「太田君」「抒情詩」の共著者である詩人で小説家の太田玉茗(ぎょくめい 明治四(一八七一)年~昭和二(一九二七)年)。

「宇之が舟」「抒情詩」に太田が載せている(国立国会図書館デジタルコレクションの当該詩篇の冒頭)。『見わたす限り秋の野は、』『千ぐさの花となりにけり、』『其の野のすゑに一すじの』(「すじ」はママ)『淸きながれぞながれたる。』(第一連。字配は再現していない)『淸きながるる其川に、』『蓮の葉ぶねをうかべつゝ、』『まつりし靈を里人の』『おくる夕べとなりにけり。』(第二連)で始まる、幼くして急死した「宇之」という子の魂を老媼と子供らが蓮の葉の精霊舟を流して見送るという全十八連から成る物語詩。太田の代表作とされる。「宇之」の読みは如何なる記載を見てもルビが振られていない。詩の中間部に出、その韻律から二音であることは間違いない。ルビが振られないということは「うし」と読むばかりだが、名前としては「うの」の方がいいような気がする。識者の御教授を乞うものである。

「行る」「やる」。

「井上博士」「新體詩抄」の著者の一人である東京大学助教授(同詩集刊行当時)で哲学者の井上哲次郎。

「比沼山」井上が明治二九(一八九六)年九月発行の『太陽』に発表した「比沼山の歌。原詩を確認出来ないので内容も不明が、『太陽』総目録で見ると、八ページに亙っているので長詩であることは判る。]

 戀するものをして自由に歌はしめよ。歌ふて始めて爾の戀は高品のものとならん。悲戀の士よ。歌へよ。爾の歌こそ尤も悲しかるべし。神を仰ぐものよ、歌へよ。爾の信仰火の如くんば、何んぞ默して坐し、坐して散文をならぶることを得ん。疑ふものよ。爾の懷疑の煩悶を歌へよ。冷やかに眠る勿れ。貧者よ、爾の詩を以て爾の不平をもらせ。自由に焦るゝ者よ、高歌して憚る勿れ。代議士よ爾の演に於ける引證を統計年鑑より採る事をのみ苦心するなく、時には詩歌を用ゐて爾の語らんとする眞理を飾れ。

 嗚呼詩歌なき國民は必ず窒塞す。其血は腐り其淚は濁らん。歌へよ、吾國民。新體詩は爾のものとなれり。今や余は必ずしも歐詩を羨まず。

[やぶちゃん注:「窒塞」「ちつそく」。窒息に同じい。]

 

 明治三十年二月   著 者

 

[やぶちゃん注:以上は底本をもとにしつつ、詩」原本をも字配等で参考にした(例えば、最後の「著者」は底本にはない)。]

 

 

 

  驚  異

 

ゆめと見る見るはかなくも

  なほ驚かぬこのこころ

吹けや北風此ゆめを

  うてやいかづち此こころ

 

おのゝき立ちてあめつちの

  くすしき樣をそのまゝに

驚きさめて見む時よ

  其時あれともがくなり

 

[やぶちゃん注:「見る見る」の後半は底本では踊り字「〱」である。初出は『國民之友』明治三〇(一八九七)年二月。冒頭の二行は、明らかに、「序」でも言及している西行の「山家集」の「中 雜」に載る、

 世中(よのなか)を夢と見る見るはかなくも猶(なほ)おどろかぬわがこゝろ哉(かな)

の借用である。

「くすしき」「奇(くす)しき」で「不思議な・霊妙な」の意。]

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