秋の入日 國木田獨步 (生前発表の最後の詩篇)
秋 の 入 日
要するに悉(みな)、逝(ゆ)けるなり!
在らず、彼等は在らず。
秋の入日あかあかと田面(たのも)にのこり
野分はげしく颯々と梢(こずゑ)を拂ふ
うらがなし、あゝうらがなし。
水とすむ大空かぎりなく
夢のごと淡(あは)き山々遠く
かく日は、あゝ斯(か)くてこの日は
古(いにしへ)も暮れゆきしか、今も又!
哀(かな)し、哀し、我こゝろ哀し。
以て自序となす 獨 步 吟 客
[やぶちゃん注:末尾の後書きから判る通り、本篇は明治四〇(一九〇七)年五月十五日彩雲閣から発行された第四小説集「濤聲」(とうせい)の巻頭に、当該書籍の「序」として示した一篇である(これが初出)。本詩篇に限っては、国立国会図書館デジタルコレクションの「濤聲」初版本の画像を視認して電子化した。ここが本詩篇ページである。因みに、同作品集には、順に本序詩「秋の入日」以下、小説十三篇(「鎌倉夫人」・「神の子」・「二少女」・「帽子」(初出誌の標題は「田舍教師」)・「あの時分」・「死」・「波の音」・「號外」(リンク先は私の電子テクスト)・「歸去來」・「別天地」・「戀を戀する人」・「非凡人」(ツルゲーネフ原作の翻案)・「園遊會」)から成るもので、直前の一月五日には小説九篇から成っていたプレの第四小説集の原稿が印刷所の火災によって焼失するという難に襲われ、同年四月に獨步社(前に述べた通り、近時畫報社を引き継いだもので、明治三九(一九〇六)年六月創設)は破産した。そうして結局、本書は彼の生前最後の単行小説集となってしまった。現行、生前に発表された最後の詩篇と確認されているものは底本全集のデータを見る限り。これである。國木田獨步はこの翌明治四一(一九〇八)年六月二十三日、午後八時四〇分、入院していた茅ヶ崎市南湖院にて肺結核のため(最初の兆候は既に明治三十九年末にあった)、満三十六歳と十ヶ月逝去した。この詩篇には、既にしてその死の予感が彼にはっきりと働いてことが感じられて、凄然たるものが漂っているではないか。]
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