古人 國木田獨步
古 人
わが室荒野のうちに在り。
さよ更けて、
燈火かすかにたゞ獨り
瞑目して古今を思へば
恍としてわれ又古人の如し。
鳴呼古人何處にある。
窓打つ雨の淋しき音、
これ自然の聲に非ずや。
軒を亙る彼の風の音
これ宇宙の聲なるかも。
恍としてわれ不朽を思ふ。
鳴呼古人何處にかある。
計らず楣間を仰げば
われを見下ろすもの
テニソンあり、カライルあり。
吾をして思ず君等と叫ばしむ。
バイブルをとりて讀めば、
基督イエスの聲、生けるが如し。
之れ自然の聲に非ずや。
之れ不朽の聲に非ずや。
鳴呼古人、古人、吾も逝かん。
吾亦た遂にゆきて、
永久に君等と共に在らん。
吾今ま生く、君等また生く。
君等の窮若し無死なりせば、
よし吾をして亦た君等と共に、
死の無窮の國にゆかしめよ。
[やぶちゃん注:明治二八(一八九五)年八月八日附『國民新聞』に掲載。署名は「てつぷ」。傍線はママ。「今ま」(いま)はママ。「君等の窮若」(も)「し無死」(むし)「なりせば、」の「窮」はコーダの「無窮」を考えれば、「窮(きゆう(きゅう))か。無論、「きはみ」と訓じてもよいとは思うが、詩語としての緊迫感を欠くように私には思われる。
「
「楣間」は「びかん」と読み、長押(なげし)や欄間(らんま)の間の意。
「テニソン」ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson 一八〇九年~一八九二年)。國木田獨步が愛読したことは「獨步吟」の「序」に出た。
「カライル」イギリスの歴史家・評論家トーマス・カーライル(Thomas Carlyle 一七九五年~一八八一年)。やはり獨步が愛読した作家である。]

