蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) おもひで
おもひで
(妻をさきだてし人のもとに)
「おもひで」よ、淨(きよ)き油(あぶら)を汝(な)が手(て)なる
火盞(ほざら)に注(そゝ)ぎ捧(さゝ)げもち、淨(きよ)き熖(ほのほ)の
あがる時(とき)、噫(あゝ)、亡(な)き人(ひと)の面影(おもかげ)を
夫(せ)の君(きみ)のため、母(はゝ)を呼(よ)ぶ愛(めぐ)し兒(ご)のため、
ありし世(よ)のにほひをひきて照(て)らし出(い)で、
かへらぬ魂(たま)をいとどしく悼(いた)める窓(まど)の
小暗(をぐら)さに慰(なぐさ)め人(びと)と添(そ)へかしな、
慈眼(じげん)の主(ぬし)はこれをこそ稱(たた)へもすらめ。
「おもひで」よ、なほ隈(くま)もなく、汝(な)が胸(むね)の
こころの奧所(おくが)ひらくべき黃金(こがね)の鍵(かぎ)を、
悲(かなし)みにとこしへ朽(く)ちぬしるしありと、
音(おと)も爽(さや)かにかがやかに捧(さゝ)げまつりね。
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