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2019/03/16

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 犀(さい) (サイ)

 

Sai

 

さい    朅伽【梵書】

      兕犀【牝也一名沙犀】

【音西】

 

本綱犀狀似水牛豬首大腹卑脚其脚似象有三蹄黒色

舌上有刺皮上毎一孔生三毛如豕有山犀水犀兕犀三

種又有毛犀似之【毛犀乃旄牛也】

山犀居山林人多得之水犀出入水中最難得並有二角

一有鼻一有額鼻角長而額角短水犀皮有珠甲【山犀皮無珠甲】

兕犀【一名沙犀】卽犀之牸者止有一角在頂文理細膩班白分

明不可入藥蓋牯角文大而牸角文細也【郭璞謂犀有三角者訛也】其

紋如魚子形謂之粟紋紋中有眼謂之粟眼黒中有黃花

者爲正透黃中有黒花者爲倒透花中復有花者爲重透

並名通犀乃上品也花如椒豆班者次之烏犀純黒無花

者爲下品

犀角【苦酸鹹寒】足陽明藥解一切諸毒中毒箭以犀角刺瘡

 中立愈犀角置穴狐不敢歸【辟一切邪鬼也可知】癰疽化膿作水

 治吐血衂血下血及痘惡症

 犀角有黒白二種以黒者爲勝角尖又勝【鹿取茸犀取尖】凡犀

 角鋸成當以薄紙裹于懷中蒸燥乗熱搗之應手如粉

 【故謂翡翠屑金人氣粉犀是也】

天卽腦上之角經千歳長且鋭白星徹端能出氣通

 天則通神破水入水水開三尺置屋上烏鳥不敢集夜

 視有光夜露不濡入藥至神騐

                  寂蓮

  夫木うき身にはさいの生角えてしかな袖の泪もとをさかるやと

[やぶちゃん注:「とをさかる」(遠ざかる)はママ。]

按犀角從暹羅柬埔寨多將來凡長一尺四五寸其蛻

 角者不佳俗謂之野晒【目利人能辨之】

 

 

さい    朅伽〔(けつが)〕【梵書。】

      兕犀〔(じ(し)さい)〕

      【牝なり。一名、「沙犀」。】

【音、「西」。】

 

「本綱」、犀は、狀、水牛に似て、豬〔(ぶた)〕の首、大きなる腹、卑〔(みぢか)〕き脚〔なり〕。其の脚、象に似て、三つの蹄、有り、黒色。舌の上に刺(はり)有り。皮の上、毎〔(まい)〕一孔〔に〕、三〔つの〕毛、生ず。〔それ、〕豕〔(ぶた)〕のごとし。山犀・水犀・兕犀〔(じさい)〕の三種、有り。又、毛犀、有り〔て〕之れに似たり【毛犀は乃〔(すなは)ち〕旄牛〔(ぼうぎう)〕なり。】。

山犀は山林に居〔(を)り〕、人、多く、之れを得。水犀は水中を出入して、最も得難し。並びに[やぶちゃん注:孰れも。]、二つの角、有り、一つは鼻に有り、一つは額に有り。鼻の角(つの)は長くして、額の角は短し。水犀の皮には珠甲〔(しゆこう)〕有り【山犀の皮には珠甲無し。】。

兕犀〔(じさい)〕【一名、「沙犀」。】卽ち、犀の牸(め)[やぶちゃん注:。]なる者〔にして〕止(た)ゞ一角有り。頂きに在りて、文理〔(もんり)〕細〔(こま)かに〕して膩〔(なめら)か〕、班〔(まだら)たる〕[やぶちゃん注:「班」はママ。良安の誤った書き癖である。]白、分明にして、〔これ、〕藥に入るべからず。蓋し、牯(を)[やぶちゃん注:。]の角は文〔(もん)〕大にして、牸(め)の角は、文、細かなり【郭璞〔(かくはく)〕、謂はく、『犀に三つの角有り』とは、訛〔(あやまり)〕なり。】其の紋、魚の子の形のごとく、之れを「粟紋〔(ぞくもん)〕」と謂ふ。紋の中、眼、有り。之れを「粟眼〔(ぞくがん)〕」と謂ふ。黒き中〔に〕黃〔なる〕花有る者を「正透〔(しやうとう)〕」と爲し、黃なる中に黒〔き〕花有る者うぃ「倒透〔(たうとう)〕」と爲す。花の中に復た花有る者を「重透〔(ぢゆうとう)〕」と爲す。並びに[やぶちゃん注:以上の総てを。]「通犀〔(つうさい)〕」と名づく。乃〔(すなは)〕ち、上品なり。花、椒豆〔(しやうたう)〕[やぶちゃん注:山椒の実の粒。]のごとき班〔(まだら)〕なる者は、之れ〔ら〕に次ぐ。「烏犀(うさい)」は純黒にして花無し。〔その〕者、下品と爲す。

犀角〔(さいかく)〕【苦、酸、鹹。寒】足の陽明の藥〔にして〕一切の諸毒を解す。毒の箭〔(や)〕に中〔(あた)〕れば、以つて犀角を瘡〔(きず)〕の中に刺せば、立ちどころに愈ゆ。犀の角を穴に置〔かば〕、狐、敢へて歸らず【一切の邪鬼を辟〔(さ)く〕ることや、知るべし。】癰疽〔(ようそ)〕[やぶちゃん注:悪性の腫れ物。「癰」は浅く大きいもの、「疽」は深く見た目は小さく狭いものを指す。]の膿みを化して水と作〔(な)〕す。吐血・衂血〔(はなぢ)〕・下血及び痘[やぶちゃん注:疱瘡。天然痘。]の惡症[やぶちゃん注:症状が重症化したもの。]を治す。

犀角に、黒・白の二種有り。黒き者を以つて勝〔(すぐ)〕れりと爲す。角の尖り、又、〔黑きは〕勝れり【鹿は茸〔(じよう)〕[やぶちゃん注:嚢角(ふくろづの)。若角のこと。]を取り、犀は尖れるを取る。】。凡そ、犀角、鋸〔(のこ)のごとく〕成〔れば〕、當に薄紙〔(うすがみ)〕を以つて懷中に裹(つゝ)み、〔人肌の溫(ぬく)みを以つて〕蒸し、燥〔(かは)〕かし、熱〔する〕に乗じて、之れを搗くべし。手に應じて、粉〔(こな)〕のごとし【故に『翡翠は金を屑にし、人の氣は犀を粉〔に〕す』と〔は〕是れなり。】。

通天〔(つてん)〕は、卽ち、腦の上の角〔なり〕。千歳を經(へ)て、長く、且つ、鋭(とが)る。白〔き〕星、端に徹(とを)り[やぶちゃん注:ママ。]、能く氣〔(き)〕を出だす。「通天」は、則ち、神に通ず。水を破る。水に入れば、水、開くこと、三尺といふなり[やぶちゃん注:水の入れようとすると、犀角から水は九十三センチ三ミリメートル(明代のそれで換算)も自然に退(しりぞ)き、また、水面が窪んでそこに空間が開くと言われている。]。屋の上に置〔かば〕、烏・鳥、敢へて集らず。夜、視〔れば〕、光、有り。夜の露に濡(ぬ)れず。藥に入るるに、至つて、神騐〔(しんげん)〕あり[やぶちゃん注:「騐」は「驗」の異体字。]。

                  寂蓮

  「夫木」

    うき身にはさいの生角〔(いきつの)〕えてしがな

       袖の泪〔(なみだ)〕もとをざかるやと

按ずるに、犀角は暹羅(シヤム)[やぶちゃん注:現在のタイ王国の前身。]・柬埔寨(カボヂヤ)[やぶちゃん注:現在のカンボジア王国の前身。]より、多く將(も)ち來たる。凡そ、長さ一尺四、五寸[やぶちゃん注:五十四~五十七センチメートル。]。其の蛻〔(ぬ)け落ちたる〕角は、佳ならず、俗に之れを「野晒(〔の〕ざらし)」と謂ふ【目〔の〕利の人、能く之れを辨ず。[やぶちゃん注:目のよく利く人はこれ(「野晒し」でないかどうか)を一目で弁別することが出来る。落語見たような謂いじゃげな。]】。

[やぶちゃん注:哺乳綱奇蹄目有角亜目 Rhinocerotoidea 上科サイ科サイ属(タイプ属)Rhinoceros で、現生種は、

インドサイ属インドサイ Rhinoceros unicornis(インド北部からネパール南部)

インドサイ属ジャワサイ Rhinoceros sondaicus(インドネシアのジャワ島西部)

シロサイ属シロサイ Ceratotherium simum(アフリカ大陸の東部と南部)

スマトラサイ属スマトラサイ Dicerorhinus sumatrensis(インドネシア(スマトラ島・ボルネオ島)・マレーシア・ミャンマー。カンボジア・ベトナムに分布する可能性もある)

クロサイ属クロサイ Diceros bicornis(アフリカ大陸の東部と南部)

の五種である。ウィキの「サイ」を引く。『かつてサイ科の属する奇蹄目は、始新世から漸新世にかけて繁栄し』、二百四十『属と多様性を誇った。サイの祖先たちは、ほぼ全ての地域(可住域)に分布し』ていた。『特に漸新世には陸上哺乳類史上最大の種(パラケラテリウム』(サイ上科ヒラコドン科インドリコテリウム亜科パラケラテリウム属 Paraceratherium)『)が現れるなど、繁栄を極めた。しかし』、『中新世以降は地球の寒冷化によって多くの種が絶滅し、またウシ亜目などの反芻類の進化に押されて衰退し』、『更には人間の狩猟と乱獲、開発によって、現在の分布になったと考えられ』ている。シロサイは体長三メートル七十~四メートル、体重二千三百キログラム(最大で三千六百キログラムという記録があるという)。『現生種ではインドサイ・シロサイはオスがメスよりも大型になるが、他種は雌雄であまり大きさは変わらない』。『皮膚は非常に分厚く硬質で』、一・五~五センチメートルの『厚みを持ち、格子構造になったコラーゲンが層をなしている。皮膚はあらゆる動物の中でも最硬といわれ、肉食獣の爪や牙を容易には通さない。インドサイ等は、だぶついた硬い皮膚が特徴的で、体全体が鎧で覆われているように見える。体色は灰色をしている種が多いが、サイは泥浴びを好み、水飲み場などでよくこれを行うので、土壌の色で茶色などを帯びたように見えることもある。スマトラサイを除き』、『体毛がない。しかし』、『耳介の外縁や睫毛、尾の先端に毛を残している。幼獣は成獣より毛深く、成熟するにつれて体毛が薄くなる。スマトラサイは耳介も含めて全身が粗く長い茶褐色の体毛で被われているものの、野生種では泥にまみれるか、抜け落ち、あまり目立たない』。『非常に大きな頭蓋骨は、前後に長く、後頭骨が立ち上がっている。鼻骨は大きく前か上にせり出し、前上顎骨よりも前に飛び出る。角が接合する部分は、鼻骨の表面がカリフラワー状に荒れている。頭部に』一『本(インドサイ属)または』二『本(クロサイ・シロサイ・スマトラサイ)の角がある』。『ラテン語の呼称および英名のrhinocerosはこの角に由来し』、『古代ギリシャ語で鼻を指すrhisと』、『角を指すcerasを組み合わせたものとされる』。『スマトラサイでは後方の角が瘤状にすぎない個体もいたり』、『ジャワサイのメスには角のない個体もいる』。『角はケラチンの繊維質の集合体で、骨質の芯はない(中実角)』(ちゆうじつづの:サイ類に見られる、中に空洞も骨質の芯もない角で、毛状の繊維(毛ではない)が固まって出来ており、絶えず成長するタイプの角を指す。次項は「一角(うんかふる/はあた)」で犀の角とするが、実はそれはどうも犀の角ではない。そちらでまた考証する)。『何らかの要因により角がなくなっても、再び新しい角が伸びる』。『シロサイやクロサイでは最大』一・五メートル『にもなる』。『サイの角は肉食動物に抵抗するときなどに使われる。オスのほうがメスより角が大きい。目は小さく、視力は非常に弱い。シロサイは』三十メートル『も離れると』、『動かないものは判別できない』。但し、『嗅覚は非常に発達』しており、また、『聴覚も発達し、耳介は様々な方向へ向け動かすことができる』。『脳は哺乳類の中では比較的小さい』(四百〜六百グラム)。『後腸をもつ後腸発酵草食動物で、必要とあらば』、『樹皮のような硬い植物繊維質も食料源とすることができる。単胃であるため』、摂餌が『頻繁で、反芻しない。体は硬い皮膚に覆われているが』、『口先はやわらかく、感覚に優れている。口先の形状は種によって異なり、種によって食性が微妙に違うことを示している』という。『吻端はシロサイを除いて尖る』。『インドサイやクロサイは上唇の先端がよく動き、木の枝などを引き寄せることができ』、『シロサイは頭部が長くて唇が幅広く、丈が短い草本を一度に広い範囲で食べることに適している』。二十四から三十四本の『歯を持ち、小臼歯と大臼歯ですり潰す』。『アジアのサイの下顎切歯を除けば、犬歯および切歯は痕跡的である。これは突進時の衝撃への適応と考えられている』。『アフリカのサイ』二『種は前歯を持たず』、『その代わりに口先(吻)で餌を挟み取る。四肢は短く頑丈で、指趾は』三本である。『乳頭は後肢の基部にあり、乳頭数は』二『個』。『精巣は陰嚢内に下降』せず、『陰茎は後方を向き、雌雄共に後方に向かって尿をする』。『出産直後の幼獣はやや小型で、体重で比較すると母親の約』四%『(インドサイ・シロサイ約』六十五『キログラム、クロサイ約』四十『キログラム)しかない』。『草原や森林、熱帯雨林、湿地に生息する。スマトラサイとジャワサイは、特に河川や沼の周辺に好んで生息する。サイは夜行性あるいは薄明薄暮性である。母親とその幼獣を除けば』、『主に基本的に単独で生活するが、シロサイは若獣が連れ添ったり』、『幼獣がいないメスで』、六、七『頭の群れを形成することもあり』、『大規模な群れを形成することもある』。『短期間であれば』、『日陰や水浴びなどの際に集合することもある』。『雄は通常、縄張りを持ち、尿や糞、足跡(スマトラサイ)などでマーキング』し、その『一生のほとんどを自分のなわばりの中で暮らす』。『縄張りの大きさは』、二〜百平方キロメートルとさまざまで、しかも『縄張りは厳密ではなく、繁殖期以外は他者の侵犯を見逃したり、縄張りが重なりあう。食料事情や繁殖の為に、縄張りの大きさも変動する。昼間は木陰で休む、水場で水を飲む、水浴びや泥浴びをして体温調節したりする。水浴びや泥浴びを好み、前者は体温の上昇・後者は虫を避ける(皮膚は分厚いが表皮は薄くすぐ下に血管が通っているため)効果があると考えられている。薄明時や夕方に食物を摂取する』。『食性は植物食』で、『近くに水場があれば毎日水を飲むが、アフリカ大陸に分布する種は』四、五日は『水場へ行かないこともある』。『また、塩やミネラルを摂取することが重要で、塩を舐める』行動をとり、『スマトラサイやジャワサイは塩分を摂るために海水を飲むことがある』という。『クロサイやインドサイは最高時速』五十五キロメートル『で走ると言われる』。『硬い皮膚と大きな体躯を持つことで、肉食獣に襲われて捕食されることはあまり多くない』が、『幼獣はその限りではない』。『オス同士ではクロサイとシロサイは前方の角を、他種は下顎の牙状の歯を使い激しく争う。妊娠期間』十五~十八ヶ月。『種によってまちまちだが、オスは約』八~十『歳で性的に成熟し、メスは』五~七『歳で成熟する。飼育下での寿命は』三十五~五十『年、野生では』二十五~四十『年程度と言われている』。『角は』現在でも『工芸品』や『ジャンビーヤと呼ばれる中東の短剣の柄、漢方薬の犀角、その他の伝統医学の材料として珍重されている』が、時珍が記すような犀角に薬としての特別な効用があるとは私には思われない。以下、「文化への影響」の項。『サイは古代から人類と関係を持っていたと考えられている。現存する人類最古の絵画であるフランスのショーヴェ洞窟壁画にもサイ』『は描かれており、これは』一~三『万年前のものである』。一五一五年、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer 一四七一年~一五二八年)は『サイがリスボンに輸入された時の様子を描いた無名の画家のスケッチを元にして、有名な犀の木版画を創作した。デューラーは実物を見ることができ』なかったようであるが、『描写はいくぶん不正確』なものの、『この木版画は「動物を描写した作品のうち、これほど芸術分野に多大な影響を与えたものはおそらく存在しない」とまでいわれている作品でもある』。この犀の図は『西洋において何度も参照され、絵画や彫刻に影響を与え』、本邦『にも伝わり、谷文晁がそれを模写をした』「犀図」を残してもいるリンク元の有名なその図。このサイは長旅のために重い皮膚病に罹っていたと考えられており、体表のそれは実は誇張ではなく、そうした病変を正確に写しとっているのだとも言われる。私は統合後のドイツの旧東ドイツで本原画を見た)。『ビルマ、インド、マレーシアでは、サイが火を潰すとする伝説がある。神話のサイは badak api (マレー語) の名称で呼ばれ、badakは犀、apiは火を意味する。森林の中で火が燃え広がるとサイが現れ、それを踏み消すとされる』。但し、『この事実が確認されたことはない』。『日本や中国』『では、水犀(みずさい)と呼ばれる動物が絵画などに見られる。頭には角、背中に甲羅、足には蹄を持つと』もされるらしいが、『平安末期の国宝鳥獣人物戯画の乙巻には、虎・象・獅子・麒麟・竜といった海外の動物や架空の動物とともに水犀が描かれている。江戸末期の北斎漫画にも水犀が描かれて』おり、『日光東照宮の拝殿東面、妻虹梁下にも水犀(通天犀とも)が彫刻されている』とある。

 

「朅伽〔(けつが)〕」サンスクリット語からの漢音写であろうが、「朅」には中国語の古語で「行く」或いは「勇敢で堂々としている」の意があるので、サイに相応しい気はする。

「兕犀〔(じ(し)さい)〕」「兕(じ)」は水牛に似た一角獣で、「山海経」に記載されている想像上の動物。中国では古くから国外から「犀角」を薬として輸入していたが、角の部分だけで本物の見たことがある人は少なく、また「犀角」は偽物が水牛の角による代用品であったりしたケースも多く、それを誤魔化した由来が幻獣の「兕」のイメージと合ってしまったものででもあろう。従って後に出る「山犀」・「水犀」・「兕犀」の種別も、博物学的に正しい実在種の記載とは思われない。但し、次注参照。

「毛犀」「旄牛〔(ぼうぎう)〕」これは哺乳綱ウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク Bos grunniens である。ウィキの「ヤク」によれば、二千年前から家畜化されたとされる。インド北西部・中国(甘粛省・チベット自治区)・パキスタン北東部に自然分布する。『「ヤク」の語はチベット語』『に由来するが、チベット語では雄のヤクだけを指す言葉で、メスはディという』。『チベットやブータンでは、ヤクの乳から取ったギー』『であるヤク』・『バターを灯明に用いたり、塩とともに黒茶を固めた磚茶(団茶)』『を削って煮出し入れ、チベット語ではジャ、ブータンではスージャと呼ばれるバター茶として飲まれている。また、チーズも作られている』。『食肉用としても重要な動物であり、脂肪が少な』く、『赤身が多く味も良いため、中国では比較的高値で取引されている。糞は乾かし、燃料として用いられる』。『体毛は衣類などの編み物や、テントやロープなどに利用される』。『ヤクの尾毛は日本では兜や槍につける装飾品として武士階級に愛好され、尾毛をあしらった兜は輸入先の国名を採って「唐の頭(からのかしら)」と呼ばれた。特に徳川家康が「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と詠われたほど好んだため、江戸時代に入って鎖国が行われてからも』、『清経由で定期的な輸入が行われていた』という。『幕末、新政府軍が江戸城を接収した際に、収蔵されていたヤクの尾毛が軍帽として使われ、黒毛のものを黒熊(こぐま)、白毛のものを白熊(はぐま)、赤毛のものを赤熊(しゃぐま)と呼んだ』。『これらの他に、歌舞伎で用いる鏡獅子のかつら』『や、仏教僧が用いる払子にもヤクの尾毛が使用されている』。体長はで二百八十~三百二十五センチメートル、で二百~二百二十センチメートルで、体重はで八百キログラムから一トン、で三百二十五~三百六十キログラム。『高地に適応しており、体表は蹄の辺りまで達する黒く長い毛に覆われて』おり、『換毛はしないため、暑さには弱い。肩は瘤状に隆起する』。『鳴き声はウシのような「モー」ではなく、低いうなり声である』という。『基部から外側上方、前方に向かい、先端が内側上方へ向かう角があ』って、最大角長九十二センチメートルに達し、『四肢は短く』、『頑丈』。標高四千~六千メートルに『ある草原、ツンドラ、岩場などに生息』し、八~九月は『万年雪がある場所に移動し』ており、『冬季になると』、『標高の低い場所にある水場へ移動する』。『高地に生息するため、同じサイズの牛と比較すると心臓は約』一・四』『倍、肺は約』二『倍の大きさを有している。食性は植物食で、草、地衣類などを食べる』。『妊娠期間は約』二百五十八日で、六月に、一回に一頭の『幼獣を産む』。『生後』六~八年で『性成熟し、寿命は』二十五年ほどと『考えられている』とある。三つ後の独立項に出る。

「珠甲〔(しゆこう)〕」粒立った粒状の非常に硬い突起があるということであろう。

「郭璞、謂はく、『犀に三つの角有り』とは、訛〔(あやまり)〕なり」東洋文庫訳割注に「爾雅注疏」を出典とし、「爾雅注疏」は同書の書名注に、『十一巻、晉の郭璞』『注、北宋の刑昺(けいへい)疏。『爾雅』の注釈書。大変すぐれたもので、後世の人々から注疏の手本とされている』とある。

「魚の子」東洋文庫訳は「魚子」とし、それに『ななこ』とルビを振る。小学館「日本大百科全書」の「魚々子(ななこ)」に、『金工技法の一つ。魚子とも書く。切っ先の刃が小円となった鏨(たがね)を打ち込み、金属の表面に細かい粟粒』を撒いた『ようにみせる技法。隣接して』、『密に打たれたさまが、あたかも魚の卵を』撒き『散らしたようにみえるところから』、『この名がある。普通は文様部以外の地の部分に打たれ』、『日本には中国から伝播』『したと考えられるが』、正倉院文書に『「魚々子打工」とみえるところから、奈良時代にはすでに専門工がいたことが知られ、正倉院には当時使用された魚々子鏨が伝存している。遺品の古い例としては』、天智天皇七(六六八)年『創建の滋賀』の『崇福寺塔心礎出土の鉄鏡や』、その後の』奈良の長谷寺の銅板の「法華説相図」に見られるとあり、『奈良時代から平安時代までは概して魚々子の打ち方は不』揃い『のものが多いが、時代が下るとともに整然と打たれるようになり、江戸時代には「互(ぐ)の目魚々子」とか「大名縞(しま)魚々子」といった変わり打ちも出現した』とあるが、原典字体に「魚の子」とあり、これを「ななこ」と読むことは、原典訓読のルールから外れるものであり、時珍の謂いは、文字通りの魚卵の謂いであることは間違いないと私は思う。

「寂蓮」「夫木」「うき身にはさいの生角〔(いきつの)〕えてしがな袖の泪〔(なみだ)〕もとをざかるやと」「国文研」の和歌データベースの「夫木和歌抄」の「巻二十七 雑九」に、

 うきみにはさいのいきつのえてしかなそてのなみたもとほさかるやと

とある。]

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