『心、みやこをのがれ出で』 國木田獨步
『心、みやこをのがれ出で』
心(こゝろ)、みやこをのがれ出で、
夕日(ゆふひ)ざわつく林(はやし)の中を
語(かた)る友なく獨(ひと)りでゆきぬ。
夏(なつ)たけ秋は來(きた)りぬと
梢(こずゑ)に蟬が歌(うた)ひける。
林(はやし)を出でゝ右に折(を)れ、
小高き丘(をか)に、登り來(く)れば、
見渡す限(かぎ)り、目もはるかなる、
武藏(むさし)の野邊(のべ)に秩父山(ちゝぶさん)、
雲(くも)のむす間に峯(みね)の影、
吾(われ)を來れと招(まね)きける、
吾を來(きた)れと招きける。
[やぶちゃん注:奇妙に徹底しない或いは大いに呆けた印象しかない殆んど不要な(私は「秩父山(ちゝぶさん)」だけでよいと思う)パラルビはママ。明治二八(一八九五)年八月三十一日附『國民新聞』に「てつぷ」の署名で掲載されたが、初出は『獨步吟三』とあって無題である。ここで言う「獨步吟」はその最初が詞華集「抒情詩」で「山中」と改題されたそれ、「獨步吟二」が同じく「抒情詩」で「夏の夜」と改題されたそれで、それに続く「三」という意味である。これらの初出は総て「てつぷ」署名であり、以前にも述べたが、標題の「獨步」とは一般名詞であって、ペン・ネーム認識は未だない状態にあるのである。なお、標題がかく変えられて公開されたのは、実に國木田獨步の死後五十四年も経った昭和三七(一九六二)年講談社刊の「日本現代文学全集」第十八巻の「國木田獨步集」が初めてであり、二重鍵括弧から見ても、当時の編集者が一行目を仮題として示したものと考えるべき(則ち、本来は無題とすべき)であろうが、当該書を所持しないので、底本に従った。]

