かぐや姫 國木田獨步
か ぐ や 姫
そ の 一
今はむかし
ちとせのむかし幾百の
むかしなりけむ竹とりの
翁といふがすみにけり
みやこに近き村はづれ
さびしき野邊にさびしくも
翁と媼とくらしけり
野山に翁竹をとり
媼は家に絲ひきて
絲よりほそき煙たて
ながの月日を送りけり
むかしも今の夕日かげ
むかしの山に沈みはて
あかねにそまる西のそら
東の森の月白し
翁は獨り竹おひて
野みちたどりて歸りゆく
暮れゆく空をながめては
愚痴と知りつゝくりかへす
老のくりこと「貧しとて
何かなげかむ悲しきは
さびしきものはなしとかや
きゝしにまさる身の上の
淋びしさはげに冬の夜半」
更けてもかせぐ老の身の
媼は今宵も絲ひきつ
翁は籠あむ手をやめて
をりをり燈火かきたてつ
かすかに燃ゆるゐろり火の
あかき光はほのぐらく
媼の眼には淚あり
翁は頭うちふりて
「わが子にあらぬもらひ子は
可愛ゆくあれど他の子の
わが子にあらぬかなしみは
人の力のまゝならじ
人のこゝろのまゝならず」
あはれにひゞく絲ぐるま
さびしくてらす燈火は
老ひの心にしみにけむ
「げにまゝならじ世の中も
和子だにあらば二十八
嫁さへ今はあるべきに」
夜三更の月澄みつ
霜さえざえの野中なる
參媼のひとつやの
さびしくもまた哀れなり
そ の 二
朝ぼらけ
翁わが家をたちいでゝ
いつもの山をこゝろざし
霜ふみ分けてたどりゆく
むかしも今の朝日かげ
今もむかしの鳥の聲
翁がうたふ聲遠く
近き山路をたどりゆく
わらべもいつしか翁なり
翁もかつてわらべなり
谷の小川の水せきつ
小川の淵を瀨にかへつ
まゝならぬ世と知らずして
夏の日樂しく遊びせり
あはれ昔の水の音
昔を今とむせびつゝ
翁の胸のみさわぐめり
翁小藪にわけ入りて
彼これ竹をゑらみつゝ
小暗き奧をうかゞへば
ひともと光る竹ありて
あたりまばゆく照らす見ゆ
翁不思議とちかよりつ
しばし見とれてゐたりけり
みるみる翁わかゞへり
しわみし顏のつやまさり
あづさの弓の腰のびて
散りにし花のかへりざき
翁我身をうち忘れ
躍る心をおさへつゝ
光る竹をばきりとりぬ
竹の節よりふしぎにも
星ともまがふうるはしき
赤兒うまれぬかくやくの
光あたりを照らしけり
翁かひあげうれしさの
淚にくれし日もくれて
媼翁の老の身の
望の光あらはれぬ
そ の 三
笑ふこゑ
絲ひく音の其外に
さびしき家に響きそめ
絲ひく歌のそのほかに
やさしきうたぞ聞かれける
やさしきうたの其外に
可愛ゆき泣聲もれきこゆ
木かげ小暗き夕まぐれ
夕月仰ぐ翁あり
骨たくましき其かひな
やさしく組みつそが中に
可愛ゆき赤兒かひ入れつ
かなたこなたとゆきゝして
やさしき守うたうたひける
翁のもりのそのひまに
媼はかまどたきつけつ
たのしき夕べほのぐらく
靑き煙のいういうと
大空高くたちのぼり
速くなびきて村里の
田園今は暮れむとす
[やぶちゃん注:初出は明治三一(一八九八)年六月一日『反省雜誌』。國木田獨步の日記「欺かざるの記」には、例えば、明治二十七年五月九日の条に、
『今朝「竹取物語」の新體詩其一を作る』
とあり、また、同年同月十八日には、
『昨日「竹取物語」の第三の一節を作る』
さらに、同年六月四日、
『今夜「たけとり」の一節をものす』
とあって、これはまさに本篇の草稿であったものと思われる(底本解題もそう推定している)。
さて、しかし、同解題で筆者中島健藏は本篇を、『未完』とする。しかし、そうだろうか?
確かに、続きが読みたくなるほど心地よいし、御門とのやりとりから月の使者の来訪と永遠の別れ・富士に久遠に立つ烟まで詠んでほしいという思いはある。しかし、卑劣な五人のお馬鹿な貴公子のパートではきっと私は飽きるだろう。それでもその後を待ち焦がれるだろうが、そこには飽きた貴公子パートの瑕疵が纏わって、それはまた、最後まで拭えぬだろう(たとえ後半が素晴らしくても、である。そもそも私は「かくや姫の物語」(清音がよい)はどうも前半の貴公子失敗談連作部と、後半での雰囲気とが(特に姫のイメージが)異様に異なっているのが激しく気になっている。違った話をカップリングしたのではないとさえ思うのである)。
とすれば、私は、これで、國木田獨步の「かぐや姫」は終わっていてよいのだと思う。これはこれで、完結してこそ、美しい。
あなたが詩人で、この後に続けて詩韻やイメージを真似て幾らも書けるとのたもうなら、どうぞ、お好きにやればいい。私は社交辞令で褒めるかも知れぬ。しかし、きっとあなたは、作り終えて、必ず後悔することを請け合おう。
「三更」一夜を「初更(甲夜)」・「二更(乙夜(いつや))」・「三更(丙夜)」・「四更(丁夜)」・「五更(戊夜(ぼや))」に五等分した五更の第三で、凡そ現在の午後十一時又は午前零時からの二時間を指す。所謂、「子(ね)の刻」相当。
「いういう」「悠々」。]
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