蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 橡の雨
橡 の 雨
遠方(をちかた)の樹立(こだち)に、あはれ、
皐月雨(さつきあめ)煙(けぶ)れる奧(おく)に、薄(うす)き日(ひ)は
射(さ)すともなしに漲(みなぎ)りて
綠(みどり)に浮(うか)び霑(うるほ)へる黃金(こがね)のいぶき。
わが道(みち)は雨(あめ)の中(なか)なり、
汗(あせ)ばめる額(ひたひ)を吹(ふ)きて軟風(なよかぜ)は
蒸(む)しぬ、――心(こゝろ)の惱(なや)ましさ、
雨(あめ)に濡(ぬ)れたる礫(こいし)みち、色(いろ)蒼白(あをじろ)く。
熟々(つくづく)と彼方(かなた)を見(み)れば
金蓮(こんれん)の光(ひかり)を刻(きざ)む精舍(しやうじや)かと、
夢(ゆめ)も明(あか)るき森(もり)つづき、――
さあれ、ここには長坂(ながさか)の下(くだ)りぞ暗(くら)き。
わが道(さか)は溝(みぞ)に沿(そ)ひたり、
その溝(みぞ)を水(みづ)は濁(にご)りぬ、をりをりは
泥(どろ)に塗(まみ)れし素足(すあし)して
賤(いや)しきものの過(す)がひゆく醉(ゑ)ひしれざまや。
ここにこそ幽欝(いぶせき)はあれ、
かたへなる蔭(かげ)に一樹(ひとき)の橡若葉(とちわかば)、
廣葉(ひろは)はひとり曇(くも)りなく、
雨(あめ)も綠(みどり)に、さと濺(そゝ)ぎ、たたと滴(したゝ)る。
[やぶちゃん注:第三連最終行の「さあれ、ここには長坂(ながさか)の」の「ここには」は底本では「ここは」。底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。
「橡」「橡若葉(とちわかば)」ムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus
turbinata。ウィキの「トチノキ」によれば、『近縁種でヨーロッパ産のセイヨウトチノキ』Aesculus
hippocastanum『が、フランス語名』マロニエ(marronnier)『としてよく知られている』。『落葉性の高木で、温帯の落葉広葉樹林の重要な構成種の一つ。水気を好み、適度に湿気のある肥沃な土壌で育つ。谷間では、より低い標高から出現することもある』『大木に成長し』、樹高二十五メートル、直径一メートルを『超えるものが少なくない。葉も非常に大きく、全体の長さは』五十センチメートル『にもなる。長い葉柄の先に倒卵形の小葉』五~七『枚を掌状につけ(掌状複葉)、葉は枝先に集まって着く』。五月から六月にかけて、『葉の間から穂状の花が現れる。穂は高く立ち上がり、個々の花と花びらはさほど大きくないが、雄しべが伸び、全体としてはにぎやかで目立つ姿である。花は白』から『薄い紅色』を呈する。『初秋に至り、実がみのる。ツバキの実に似た果実は、熟すにつれて厚い果皮が割れ、少数の種子を落とす。種子は大きさ、艶、形ともにクリに似ているが、色は濃く、球状をしている』。『日本では東日本を中心に分布し、特に東北地方に顕著に見られる』。『木材として利用される。木質は芯が黄金がかった黄色で、周辺は白色調。綺麗な杢目がでることが多い。また真っ直ぐ伸びる木ではないので変化に富んだ木材となりやすい。比較的乾燥しにくい木材ではあるが、乾燥が進むと割れやすいのが欠点である。巨木になり、大材が得られるのでかつては臼や木鉢の材料にされたが、昭和中期以降は一枚板のテーブルに使用されることが多い。乱伐が原因で産出量が減り』、二十一『世紀頃にはウォールナットなどと同じ銘木級の高価な木材となっている』。『種子はデンプンやタンパク質を多く含み、「栃の実」として渋抜きして食用になる。食用の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも出土している。渋抜き』に『手間がかかり、長期間流水に浸す、大量の灰汁で煮るなど』、『高度な技術が必要だが、かつては耕地に恵まれない山村ではヒエやドングリと共に主食の一角を成し、常食しない地域でも飢饉の際の食料(救荒作物)として重宝され、天井裏に備蓄しておく民家もあった。積雪量が多く、稲作が難しい中部地方の山岳地帯では、盛んにトチの実の採取、保存が行われていた。そのために森林の伐採の時にもトチノキは保護され、私有の山林であってもトチノキの勝手な伐採を禁じていた藩もある。また、各地に残る「栃谷」や「栃ノ谷」などの地名も、食用植物として重視されていたことの証拠と言えよう。山村の食糧事情が好転した現在では、食料としての役目を終えたトチノキは伐採され』、『木材とされる一方で、渋抜きしたトチの実をもち米と共に搗いた栃餅(とちもち)が現在でも郷土食として受け継がれ、土産物にもなっている』。『粉にひいたトチの実を麺棒で伸ばしてつくる栃麺は、固まりやすく迅速に作業しなければならず、これを栃麺棒を振るうという。これと、慌てることを意味する「とちめく」を擬人化した「とちめく坊」から「狼狽坊」(栃麺棒、とちめんぼう)と呼ぶようになり』、『「狼狽坊を食らう」が略されて「面食らう」という動詞が出来たとされている』。『花はミツバチが好んで吸蜜に訪れ、養蜂の蜜源植物としても重要であったが、拡大造林政策などによって低山帯が一面針葉樹の人工林と化していき、トチノキなどが多い森林は減少し』、『日本の養蜂に大きな打撃を与えた』。『そのほか、街路樹に用いられる。パリの街路樹のマロニエは、セイヨウトチノキといわれ実のさやに刺がある。また、マロニエと米国産のアカバナトチノキ』Aesculus
pavia『を交配したベニバナトチノキ』Aesculus × carnea『も街路樹として使用される。日本では大正時代から街路樹として採用されるようになった。しかし』、『湿気のある土地を好むため、東京などの大都市とは相性が悪い』とある。水気との親和性の高い樹木であるから、本篇でのそれも非常に高いことが判る。]
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