良人への慰 國木田獨步
良人への慰
名なしとて何をか憂ふ、
貧しとて嘆く事かは、わが良人(つま)よ、
君は何とてわがこゝろ
つきぬ寶と見玉はざる。
浮世の風は荒くとも
得(え)こそ入るまじ此わが家。
君ともろ共永久(とこしへ)の
契(ちぎり)の春に住まんには、
何を此世(よ)に求(もと)む可き。
淸く暮(くら)さんもろともに、
高く祈らんもろともに。
[やぶちゃん注:明治三〇(一八九七)年三月十五日発行の『婦人新報』初出。署名は「遠山雪子」の女性仮名で、しかも國木田獨步は同仮名で、その同じ『婦人新報』当該発行号に「『めをと』を讀みて」という評論を載せている(そこでは自身を「小妹」と称して女性仮託を徹底している)。『めをと』はレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Лев
Николаевич Толстой/ラテン文字転写:Lev
Nikolayevich Tolstoy 一八二八年~一九一〇年)の小説で、内田魯庵訳になる明二九(一八九六)年五月博文館刊のそれを指す。国立国会図書館デジタルコレクションの画像で全篇を視認出来る(英訳題は“My Husband And I”(原題不詳)で、魯庵はその「例言」では一八五九年(「?」を附す)の著作とする)。従って、この詩篇はそれに関わって詠まれたものであって、國木田獨步が訳作『めをと』の内容を意識しながら、女性になり代わって、夫を詠んだ仮想詩篇という、かなり複雑な創作背景を持つとするのが正しいものと私には思われる。
しかも、本篇は獨步の死後五ヶ月後の明治四一(一九〇八)年十一月十九日附『讀賣新聞』に故國木田獨步の署名で「妻のなぐさめ」と改題されたものが、底本の後の「遺稿」パートに出る「うれしき祈禱」・「暮鐘」・「五月雨」とともに掲載されており、そこでは標題のみでなく、本文にも手が加えられているので、初出後に獨步が推敲を重ねていたと考えられる。底本の解題にその「妻のなぐさめ」が載るので、以下にそれを示す。太字部分は底本では傍点「◦」である。
*
妻のなぐさめ
君(きみ)よわが夫(つま)
名なしとて何をか憂(うれ)ふる
貧(まづ)しとて何(なに)を悲(かな)しむ
君は何とてわがこゝろ
つきぬ寶と見玉はざる
浮世(うきよ)の外(そと)のこのわが家(や)
君(きみ)ともろ共(とも)とこしへの
契(ちぎ)りの春(はる)に住(す)まんには
何(なに)を此世(このよ)に求(もと)むべき
淸(きよ)く暮(く)らさんもろともに
高(たか)く祈(いの)らんもろともに
*]
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