寺島良安「和漢三才図会」の「巻第三十九 鼠類」の電子化注を、新たにブログ・カテゴリ「和漢三才図会巻第三十九 鼠類」を作って始動する。
私は既に、こちらのサイトHTML版で、
卷第四十 寓類 恠類
及び、
卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類
卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類
卷第四十七 介貝部
卷第四十八 魚部 河湖有鱗魚
卷第四十九 魚部 江海有鱗魚
卷第五十 魚部 河湖無鱗魚
卷第五十一 魚部 江海無鱗魚
及び
卷第九十七 水草部 藻類 苔類
を、また、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 蟲類」で、
卷第五十二 蟲部 卵生類
卷第五十三 蟲部 化生類
卷第五十四 蟲部 濕生類
を、新しいものとして、ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 鳥類」で、
卷第四十一 禽部 水禽類
卷第四十二 禽部 原禽類
卷第四十三 禽部 林禽類
卷第四十四 禽部 山禽類
を、そして直近の最新のものとして、
卷第三十七 畜類
卷第三十八 獸類
を完全電子化注している。余すところ、同書の動物類は、この「卷三十九 鼠類」の一巻のみとなった。但し、「卷第四十 寓類 恠類」の後にある短い「獸の用」については未電子化なので、便宜上、このカテゴリの最後で電子化注することとする。
思えば、私が以上の中で最初に電子化注を開始したのは、「卷第四十七 介貝部」で、それは実に十二年半前、二〇〇七年四月二十八日のことであった。
当時は、偏愛する海産生物パートの完成だけでも、正直、自信がなく、まさか、ここまで辿り着くとは夢にも思わなかった。それも幾人かの方のエールゆえであった。その数少ない方の中には、チョウザメの本邦での本格商品化飼育と販売を立ち上げられながら、東日本大地震によって頓挫された方や、某国立大学名誉教授で日本有数の魚類学者(既に鬼籍に入られた)の方もおられた。ここに改めてその方々に謝意を表したい。
総て、底本及び凡例は以上に準ずる(「卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の冒頭注を参照されたい)が、HTML版での、原文の熟語記号の漢字間のダッシュや頁の柱、注のあることを示す下線は五月蠅いだけなので、これを省略することとし、また、漢字は異体字との判別に迷う場合は原則、正字で示すこととする(この間、文字コードの進歩で多くの漢字を表記出来るようになったのは夢のようだ)。また、私が恣意的に送った送り仮名の一部は特に記号で示さない(これも五月蠅くなるからである。但し、原典にない訓読補塡用の字句は従来通り、〔 〕で示し、難読字で読みを補った場合も〔( )〕で示した。今までも成した仕儀だが、良安の訓点が誤りである場合に読みづらくなるので、誤字の後に私が正しいと思う字を誤った(と判断したもの)「■」の後に〔→□〕のように補うこともしている(読みは注を極力減らすために、本文で意味が消化出来るように、恣意的に和訓による当て読みをした箇所がある。その中には東洋文庫版現代語訳等を参考にさせて戴いた箇所もある)。原典の清音を濁音化した場合(非常に多い)も特に断らない)。ポイントの違いは、一部を除いて同ポイントとした。本文は原則、原典原文を視認しながら、総て私がタイプしている。活字を読み込んだものではない(私は平凡社東洋文庫版の現代語訳しか所持していない。但し、本邦や中文サイトの「本草綱目」の電子化原文を加工素材とした箇所はある)。なお、良安は「鼠」の字の「臼」の下部を「鼡」の三つの(かんむり)を除去した略字で総て(今までも)書いているが、表記出来ないし、私は激しい生理的嫌悪感を持つ字(実は原典を見ているだけでも気持ちが悪くなる)なので総てを正字「鼠」で示した。なお、ニフティのブログ・メンテナンスによって表示出来ない漢字が増えた。ワードで製作中は普通に表示されているのは勿論、ここでの投稿画面やプレビューでは表記出来ていても、本投稿すると「?」になるものも存在することが判った。毎回、点検してはいるが、新しい投稿で、本文中に突然、何の注もなしに「?」があった場合は、お教え戴けると助かる。即座に字注を入れる。よろしくお願い申し上げる。【2019年4月30日始動 藪野直史】
和漢三才圖會卷第三十九目録
卷之三十九
鼠類
[やぶちゃん注:原本の大標題は実際には「和漢三才圖會卷第三十九之四十目録」で、後ろに「卷之四十」「寓類 恠類」「獸之用」の目録が続くのであるが、ここは既に示した通り、「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の冒頭で電子化済みなので、「寓類 恠類」の部分を省略して、かくした。以下は原典では三段組で字は大きい(目録では今までも大きくしていないので、ここもそれに従う)。ここではルビは原典通りのひらがな或いはカタカナを後に丸括弧で示した(「ねすみ」と総て清音であるのは総てママである。ここでは一部の不審を持たれるであろう箇所を除いて、注しない。]
鼠(ねすみ)
※1(しろねすみ)[やぶちゃん注:「※1」=「鼠」+「番」。]
鼷(あまくちねすみ)
鼩鼱(はつかねすみ)
※2※3(つらねこ)[やぶちゃん注:「※2」=「鼠」+「离」。「※3」=「鼠」+「曷」。]
鼨(とらふねすみ)
水鼠(みつねすみ)
火鼠(ひねすみ)
䶄(またらねすみ)
蟨鼠(けつそ)【附鼵(トツ)】
食蛇鼠(へびくらいねすみ)[やぶちゃん注:「い」はママ。]
麝香鼠(じやかうねすみ)
鼢(うころもち) 【鼧鼥(ダハツ)】
隱鼠(ぶたねすみ)
鼫鼠(りす)
貂(てん)
黃鼠(きいろねすみ)
䶉 【附リ 鼯鼠 出ス二于原禽下ニ一】[やぶちゃん注:ルビは排除して示した。ルビを含めて訓読すると、「附〔(つけた)〕り 鼯鼠(ノフスマ) 原禽の下に出〔(いだ)〕す。」。]
猬(けはりねすみ)
鼬(いたち)
獸之用
牝牡(めを)
角(つの)
牙(きば)
蹄(ひづめ)
蹯(けものゝたなこゝろ)〕 【※(ミヅカキ)】[やぶちゃん注:「※」=(「凪」-「止」)+(中)「ム」。]
皮(かは)
肉(にく)
和漢三才圖會卷第三十九
攝陽 城醫法橋寺島良安尚順編
鼠類
ねすみ 䶆鼠 家鹿
首鼠 老鼠
鼠【音暑】
★ 【鼠字象其頭
齒腹尾之形】
チユイ 【和名禰須美】
[やぶちゃん注:★部分に上図の篆文が入る。大修館書店「廣漢和辭典」の解字によれば、『尾の長いねずみの形にかたどり、ねずみ・ねずみのように穴にすむ動物の意を表す』(これはリス類に「栗鼠」とするのが腑に落ちる)。『音形上は貯などに通じ、ものを引きこんでたくわえる動物であろう』とある。]
本綱鼠其類頗繁形似兔而小青黒色有四齒而無牙長
鬚露眼前爪四後爪五尾文如織而無毛長與身等五臟
俱全肝有七葉膽在肝之短葉間大如黃豆正白色貼而
不埀鼠孕一月而生多者六七子魚食巴豆而死鼠食巴
豆而肥【魚字疑當作鳥乎鳶鴉犬等食巴豆至死】鼠食鹽而身輕食砒而卽死
玉樞星散爲鼠在卦爲☶艮其聲猶喞喞凡鼠壽三百歳
善憑人而卜名曰仲能知一年中吉㐫及千里外事鼠性
多疑出穴不果【惠州獠民取鼠初生閉目未有毛者以蜜養之用獻親貴挾而食之謂之蜜喞】
鼠肉【甘熱】 治小兒疳腹大貪食者【黃泥裹燒熟去骨取肉和豉汁作羹食之莫食
骨甚瘦人】出箭鏃入肉【取鼠一枚肉薄批焙研毎服二錢熱酒下瘡痒則出矣凡入藥皆用牡鼠】
鼠膽 㸃目治青盲雀目不見物滴耳治聾【卒聾者不過三度久年者側臥入耳盡膽一箇須臾汁從下耳出初時益聾十日乃聾瘥矣】
鼠印 卽外腎也【上有文似印】令人媚悅【正朔端午七夕十一二月以子時向北刮
取陰乾盛青囊男左女右繫臂上人見之無不懽悅所求如心也】
鼠糞 入藥用牡鼠屎【兩頭尖者是也】爲厥陰血分藥【有小毒食中誤食令
人目黃成黃疸】治馬咬狗咬猫咬成瘡者【燒末傅之】
俊賴
夫木我か賴む草の根をはむ鼠そと思へは月のうらめしきかな
△按鼠豫知人之科擧遷居毎夜舉床上席間微塵則有
應往昔帝遷都時鼠先移至【詳于日本紀】酉陽雜組云人夜
臥無故失髻者鼠妖也又鼠有着人及牛馬而晝夜不
避無奈之何也唯用咒術宜禳除
鼠咬用胡椒末傅之【凡鼠所咬人禁食小豆愈後亦食小豆則痛再發】性畏菎
蒻用生菎蒻水煉塞鼠穴則不出
鼠糞【有毒】 養小鳥之餌誤入食之鳥皆死又鏽腐鐵噐鼠
屎塗新小刀表安於醋桶上得醋氣一宿刮去之肌如
古刄凡鼠屎尿損絹紙以可知
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野鼠【一名田鼠】 形狀不異家鼠而別種也在田野竊食菽穀
人捕之切尾瑞【傅灰止其血】養之豫令飢毎教之爲汲水或
書使之形勢勝於家鼠之黠乞丐出市衢使之糊錢也
既載五雜組則和漢共然矣【月令云田鼠化爲鴽之田鼠非此鼴也】
*
ねずみ 䶆鼠〔(すいそ)〕
家鹿〔(かろく)〕
首鼠 老鼠
鼠【音「暑」。】
★ 【「鼠」の字、其の頭・齒・腹・
尾の形に象〔(かたど)〕る。】
チユイ 【和名「禰須美」。】
[やぶちゃん注:「鼠」は別の音で「ショ」(現代仮名遣)があり、現代中国音でも孰れも同音「shǔ」(シゥー)である。]
「本綱」、鼠、其の類、頗〔(すこぶ)〕る繁〔(おほ)〕し。形、兔に似て、小さく、青黒色。四齒、有りて、牙、無く、長き鬚、露(あらは)なる眼〔(まなこ)〕、前の爪、四つ、後の爪、五つ。尾の文(あや)織〔れ〕るがごとくにして、毛、無く、長さ、身と等(ひと)し。五臟、俱〔(とも)〕に全〔(まつた)〕し。肝に七葉有り。膽(たん)は肝の短葉の間に在りて、大いさ、黃豆〔(だいづ)〕[やぶちゃん注:大豆の別名。]のごとく、正白色、貼〔(てん)〕じて埀れず。鼠、孕(はら)みて一月にして生ず。多き者、六、七子なり。魚は巴豆〔(はづ)〕を食ひて死す。鼠は巴豆を食ひて肥ゆ【「魚」の字は疑ふらくは、當に「鳥」に作るべきか。鳶・鴉・犬等、巴豆を食へば、死に至る。】鼠、鹽を食ひて、身、輕く、砒〔(ひ)〕[やぶちゃん注:砒素。]を食へば、而して、卽ち、死す。
玉樞星(ぎよくすうせい)、散じて鼠と爲る。卦に在る、「☶」・艮〔(コン/うしとら)〕と爲す〔と〕。其の聲、猶ほ「喞喞(ツエツエツ)」と云ふがごとし。凡そ、鼠の壽、三百歳にして、善〔(よ)〕く、人に憑きて、卜〔(うらな)〕ふ。〔かく成れる老妖鼠を〕名づけて「仲」と曰ふ。能く一年〔(ひととせ)の〕中〔(うち)〕の吉㐫[やぶちゃん注:「凶」の異体字。]及び千里の外〔の〕事を知る。鼠、性、疑ひ多く、穴を出づるに、果〔(あらは)〕さず[やぶちゃん注:なかなかその全身の姿を見せようとしない。]【惠州[やぶちゃん注:広東。]の獠〔(りよう)〕民[やぶちゃん注:中国南方の異民族の名。後注参照。]鼠の初生の、目を閉ぢ、未だ毛の有らざる者を取りて、蜜を以つて之れを養ひ、用ひて、親貴[やぶちゃん注:目上の親族や地位の高い人々。]に獻ず。〔親貴なる人々は箸にて〕挾みて之を食ふ。之れを「蜜喞〔(みつひつ)〕」と謂ふ。】。
鼠の肉【甘、熱。】 小兒の疳〔や〕腹〔の〕大〔きくして〕食を貪る者[やぶちゃん注:病的な過食障害者。]を治す【黃泥〔(くわうでい)〕[やぶちゃん注:シルト(silt)状の黄土の泥。]に裹み、燒き熟し、骨を去り、肉を取り、豉汁〔(みそしる)〕を和〔(あ)〕へ、羹〔(あつもの)〕と作〔(な)〕して、之れを食ふ。骨を食ふ〔こと〕莫し。甚だ人を瘦せさす。】箭(や)の鏃(ね〔/やじり〕)の肉に入るを出だす【鼠一枚の肉を取り、薄く批〔(たた)〕き、焙〔(あぶ)〕り、研〔(けづ)〕る。毎服二錢[やぶちゃん注:明代の一銭は三・七五グラム。]を熱酒〔(かんざけ)〕にて下〔(のみくだ)〕す。瘡〔(きず)〕の痒〔(かゆ)〕きときは、則ち、〔それ、〕出づ。凡そ、藥に入るるに、皆、牡鼠を用ふ。】。
鼠の膽〔(たん/い)〕 目に㸃じて青-盲(あきしり)[やぶちゃん注:音「セイマウ(セイモウ)」。目が尋常に開(あ)いているのに物の見えない眼病。]・雀目(とりめ)にて、物、見えざるを治す。耳に滴〔(つ)く〕れば、聾を治す【卒〔に〕聾〔たりし〕者[やぶちゃん注:急に耳が全く聴こえなくなった患者。]〔には〕、三度を過ぎず、久しき年の〔聾〕者にては、側に臥せしめ耳に入れ〔るに〕、膽一箇を盡して、須-臾(しばら)くして、汁、下の耳より出づ。〔その處方をせし〕初〔めの〕時〔には〕、益々、聾〔するも〕、十日にして、乃〔(すなは)〕ち、聾、瘥〔(い)〕ゆ。】。
鼠の印〔(いん)〕 卽ち、外腎(へのこ)[やぶちゃん注:陰茎。但し、陰茎骨であろう。]なり【上に文〔(もん)〕有りて印に似たり。】人をして媚悅〔(びえつ)〕せしむ[やぶちゃん注:催淫効果を惹起させる。]【正朔[やぶちゃん注:元日。]・端午・七夕〔及び〕十一〔月〕・二月の子〔(ね)〕の時、北に向ひ、刮〔(こそ)〕ぎ取り[やぶちゃん注:これは直後の陰干しから見て、生きた鼠からちょん切ることを指していると読む。]、陰乾し、青き囊〔(ふくろ)〕に盛り、男は左〔(ひだ)り〕、女は右〔の〕臂〔(ひじ)〕の上に繫ぐ。人、之れを見ば、懽悅〔(くわんえつ)〕[やぶちゃん注:ここは性的に恍惚となり、相手を求めたくなるということ。]せざるといふこと無く、所むるところ、心のごとくなり。】。
鼠の糞 藥に入るるには牡鼠の屎〔(くそ)〕を用ふ【〔屎の〕兩頭、尖れる者、是れなり。】。厥陰血分の藥と爲す【小毒、有り。食中に誤食〔せば〕、人をして目を黃〔に〕し、黃疸を成す。】。馬〔の〕咬〔(かみきず)〕・狗〔の〕咬・猫〔の〕咬、瘡〔(かさ)〕を成せる者を治す【燒〔きて〕末〔にして〕之れを傅〔(つ)〕く。】。
俊賴
「夫木」
我が賴む草の根をはむ鼠ぞと
思へば月のうらめしきかな
△按ずるに、鼠、豫(あらかじ)め、人の科擧〔(かきよ)〕・遷居を知る。毎夜、床〔(ゆか)〕の上に、席(たゝみ)[やぶちゃん注:ここでは中国の官吏登用試験の科挙とはっきり出してしまっており、畳ではおかしい。これは「むしろ」と訓ずるべきであろう。]の間〔(あひだ)〕の微塵を舉ぐれば、則ち、應〔(わう)〕有り〔と〕[やぶちゃん注:「合格の見込みがあるとする」の意。]。往昔、帝〔(みかど)〕、遷都(せんと)の時、鼠、先づ、移り至る【「日本紀」に詳かなり。】〔と〕。「酉陽雜組」に云はく、『人、夜、臥し、故無くして髻(もとゞり)を失するは、鼠の妖なり』〔と〕。又、鼠、人及牛馬に着(つ)くこと有りて、〔これ、〕晝夜を避けず〔憑けば〕、之れ、奈何(いかん)ともすること無し。唯だ、咒術(まじなひ)を用ひて、宜しく禳(はら)い[やぶちゃん注:ママ。]除(の)くべし。
鼠の咬〔(か)み〕たるには、胡椒の末を用ひ、之れを傅く【凡そ、鼠に咬まれたる人、小豆を食ふを禁ず。愈えて後、亦、小豆を食へば、則ち、痛み、再發す。】。〔鼠は〕、性、菎蒻〔(こんにやく)〕を畏る。生(なま)菎蒻を用ひ、水煉〔(みづねり)し〕て、鼠の穴を塞げば、則ち、出でず。
鼠の糞【有毒。】 小鳥を養ふの餌に、誤りて入り、之れを食へば、鳥、皆、死す。又、鐵噐〔(てつき)〕をして鏽(さ)び腐(くさ)らかす。鼠の屎、新しき小刀〔(さすが)〕の表に塗り、醋〔(す)〕桶の上に安〔(お)〕き、醋の氣(かざ)を得ること、一宿、之れ[やぶちゃん注:塗った鼠の糞。]を刮〔(こそ)〕げ去れば、〔小刀の〕肌、古刄(ふるは)のごとし。凡そ、鼠の屎・尿〔(ゆばり)〕、絹紙〔(けんし)〕を損(そこ)なふ〔こと〕、以つて知るべし。
――――――――――――――――――――――
野鼠【一名「田鼠」。】 形狀、家鼠に異〔(こと)〕ならずして、而〔れども〕別種なり。田野に在りて、菽〔(まめ)〕・穀を竊〔(ぬす)み〕食ふ。人、之れを捕へ、尾の瑞を切り【灰を傅〔(つ)〕け、其の血を止む。】、之れを養ひ、豫(あらかじ)め、飢へ[やぶちゃん注:ママ。]しめ、毎〔(つね)〕に之に教へて、水汲〔(みづく)〕みを爲させ、或いは書使(ふみづかい[やぶちゃん注:ママ。])の形勢(ありさま)をせしむ。〔これ、〕家鼠の黠(こざかし)き[やぶちゃん注:本漢字は「悪賢い」の意がある。]より勝れり。乞丐〔(こつがい)〕[やぶちゃん注:乞食。]、市衢(〔いち〕つじ)[やぶちゃん注:市街地の辻。]に出でて、之れを使はして錢を糊(もろ)ふ[やぶちゃん注:貰う。]ことや、既に「五雜組」に載す。則ち、和漢共に然るか【「月令〔(がつりやう)〕」に云はく、『田鼠、化して鴽〔(じよ)〕と爲る』の「田鼠」は此れに非ず。「鼴(うごろもち)」[やぶちゃん注:モグラ。本巻の後の方に独立項で後掲される。]なり。】。
[やぶちゃん注:動物界 Animalia 脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 哺乳綱 Mammalia 齧歯(ネズミ)目 Rodentia ネズミ亜目 Myomorpha のネズミ上科 Muroidea・トビネズミ上科 Dipodoidea・ヤマネ上科 Gliroidea の属するネズミ類の総論。世界で凡そ千三百種(或いは千六十五種から千八百種とも)棲息する一大生物種群を成し、ヒトが滅んでもゴキブリと並んで生存し続ける種群とされる。ウィキの「ネズミ」によれば、その『ほとんどが夜行性で』、『門歯が一生伸び続けるという』齧歯(げっし)類の『特徴を持っているため、常に何か硬いものを(必ずしも食物としてではなく)かじって前歯をすり減らす習性がある。硬いものをかじらないまま放置しておくと、伸びた前歯が口をふさぐ形になり食べ物が口に入らなくなってしまい』、『餓死してしまう』。『世界中のほとんどあらゆる場所に生息して』おり、『ネズミ上科のほとんどの種が、丸い耳、とがった鼻先、長い尻尾といった、よく似た外観上の特徴をもち、外観から種を見分けることは難しい。このため、頭骨や歯によって識別がなされている』。『繁殖力が旺盛で』、『ハツカネズミなどのネズミは一度の出産で』六~八『匹生むことが出来、わずか』三~四『週間程度で性成熟し子供が産めるようになる』。『世界的にネズミは有史以前から人間が収穫した後の穀物を盗んで食べる害獣である。農作業において自然の鳥獣が』、時折り、『田畑に食物を食べに出てくるのは自然なことであり、人間が自然の恵みによって間接的に自然から食料を得ているという意識のもとでは、そうした鳥獣は殺して駆除すべき対象ではなく、殺さずに追い払う対象であった。しかし、収穫後の穀物は自然と切り離された人間の所有物であり、それを食べるネズミは古今東西』、『忌み嫌われてきた』。哲学者で博物学者でもあった『アリストテレス』(紀元前三八四年~紀元前三二二年)の「博物誌」では『農作物に害をなすことが述べられているとともに、塩を舐めているだけで交尾をしなくても受胎すると考えられていて、繁殖力が強い事は知られていた。中世のヨーロッパでは、ネズミは不吉な象徴でありペストなどの伝染病を運んでくると考えられていた(実際、ペストの媒介動物である)。欧米では「ゾウはネズミが天敵」と信じられていた(ネズミはゾウの長い鼻に潜り込んで窒息死させると言われていた)。これは単なる迷信などではなく、ネズミは自分より体の大きなものであっても襲うことがあるためである。人間の乳児や病人などはネズミにかじられてしまうことが多々あった。飢饉などで動けなくなり』、『周囲も看病をできなかった弱った人間がネズミにかじられて指を失った事例などは世界中にある』。『また、ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの』三『種はイエネズミと呼ばれ、人間社会にとってもっとも身近なネズミである。現代でも病原体を媒介したり』、『樹木や建物、電気機器などの内部や通信ケーブルなどをかじったりして』、『人間に直接・間接の害を与える衛生害獣であり、駆除の対象となっている』。『日本列島では縄文時代の貝塚において、微小な動物遺体の水洗選別を行った際』、『ネズミの骨が回収されている』。『これらはアカネズミ・ヒメネズミなど森林性の小型のネズミ類であり、狩猟対象獣であるイノシシ・シカ・タヌキなどに比べて微量であるため』、『食用ではなかったと考えられて』おり、『貝塚から出土する動物遺体にはネズミの齧り跡が認められることもある』。『東京都北区に所在する七社神社裏貝塚では、魚骨・貝殻などが廃棄されていた縄文後期前葉の土坑内部からハタネズミ・アカネズミで構成される大量のネズミが出土している』。『ゴミ坑から出土したことから食用であることも想定されるが、全身の部位が残っている個体が多く、焼けた形跡も見られない。このため食用ではなく、縄文人の採集生活において、堅果や加工品を食糧とする森林性のネズミは競合関係にあり、このため』、『駆除を目的としてゴミ坑に廃棄しており、また土坑は落とし穴として機能していた可能性も考えられている』。『弥生時代にもネズミが存在した痕跡が見られる』。『静岡県静岡市に所在する登呂遺跡における発掘調査により出土した楕円形・蓋状の木製品は、その後の類似した木製品の出土事例の増加により、食料貯蔵庫である高床倉庫の柱に設置するネズミ返しであるとする説が提唱された』。『高床倉庫のネズミ返しは』、『取り付け位置・ネズミの種類からクマネズミ属のクマネズミ・ドブネズミには通用せず』、『ハタネズミを対象としたものであり、クマネズミ属は弥生時代には渡来していなかったとする説もある』。『一方で、奈良県磯城郡田原本町唐古に所在する唐古・鍵遺跡では弥生時代のドブネズミが出土している』。『また、唐古・鍵遺跡から出土した壺形土器には』四『本の掻き傷が見られ、大きさ・本数からネズミの爪跡であると考えられている』。『ドブネズミは東南アジアを起源とするクマネズミ属であり、世界中に進出している』。『一般に集落の形成期にはハタネズミ・アカネズミなどの野ネズミが多く出土し、集落の成長に伴い』、『人家の周辺に生息するドブネズミが出現し、さらに集落が衰退すると再び野ネズミが増加するという』。『唐古・鍵遺跡における出土事例から、弥生時代には稲作農耕の開始に伴』って『渡来したとする説がある』。『従来、日本列島へのネズミの渡来は飛鳥時代に遣唐使の往来に』随伴して『渡来したとする説や』、『江戸時代に至って渡来したとする説もあったが、唐古・鍵遺跡の事例により、これを遡って弥生時代には渡来していたと考えられている』。『石川県金沢市に所在する畝田ナベタ遺跡から出土した平安時代(』九『世紀)の木簡にはネズミ歯形が認められてる』。『この木簡は籾の付札で、穀倉を棲家とするネズミが存在していたと考えられている』。『平安時代には宇多天皇』の日記「寛平御記」などの『文献資料において』、『ネコの飼育に関する記録が見られ、仏典などを守るため』、『ネズミの天敵であるネコが導入されたとする説もある』。『日本語の「ネズミ」という言葉について、過去に以下のような語源説が唱えられ』ている。①『「ネ」は「ヌ」に通じ「ヌスミ」の意味。盗みをする動物であることから』(「日本釈名」)。②『「寝盗」。寝ている間に盗みをする動物であることから』(「和訓栞」)。③『「ネ」は「根の国」の「根=暗いところ」、「スミ」は「棲む」。暗いところに棲む動物であることから』(「東雅」)といったものである。「日本神話のネズミ」の項。「古事記」の『根の国の段にネズミが登場する。大国主命』は、素戔嗚命から、三『番目の試練として、荒野に向けて放った鏑矢を取って来るように言われる。矢を探して野の中に入ると』、素戔嗚命は『野に火を付け、大国主命は野火に囲まれて窮地におちいる。その時、一匹のネズミが現れて、「内はほらほら、外はすぶすぶ。」(内はホラ穴だ、外はすぼんでる。)と告げる。大国主命が、その穴に隠れて火をやり過ごすと、ネズミは探していた矢をくわえて来た。こうしてネズミの助けにより、大国主命はこの試練を乗り切ることができた』とあり、また、後、『仏教の神である大黒天(だいこくてん)は、後に大国主命と習合して、七福神としても祀られるが、ネズミを使者としている。ネズミが使者とされる理由については一般に、大黒天の乗る米俵や、ネズミが大国主命を助けた事に由来するといわれる。しかし、中国や西域では毘沙門天』『がネズミを眷属としており、大黒天は毘沙門天とは非常に近しい関係にあったので、ネズミとの関係は日本以前に遡るとも言われる』。『ヒンドゥー教の神・クベーラが仏教に取り込まれ』、『毘沙門天となるが、クベーラは宝石を吐くマングースを眷属としており、中国や西域ではマングースがネズミに置き換わった』のであった、とある(学名は以下の項の種考証で示すこととし、ここでは挿入を一切やめたが、引用元に詳細な分類表がある)。
「巴豆」キントラノオ目トウダイグサ科ハズ亜科ハズ連ハズ属ハズ Croton tiglium。ウィキの「ハズ」によれば、『英名の Croton(クロトン)でも呼ばれるが、日本語でクロトンという場合は同科クロトンノキ属の Codiaeum variegatum を指すこともある』。『種子から取れる油はハズ油(クロトン油)と呼ばれ、属名のついたクロトン酸のほか、オレイン酸・パルミチン酸・チグリン酸・ホルボールなどのエステルを含む。ハズ油は皮膚につくと炎症を起こす』。『巴豆は』中国の古い本草薬学書のバイブルともいうべき、「神農本草経下品」や「金匱要略(きんきようりゃく)」にも『掲載されている漢方薬であり、強力な峻下』(しゅんげ:非常に強い下剤効果を言う)作用がある』。『日本では毒薬または劇薬に指定』『されているため、通常は使用されない』とある。台湾・中国南部・東南アジアの熱帯原産で、高さ約三メートル。葉は柄を持ち、長さ六~一〇センチメートルの長卵形で、縁に鋸歯があり、色は黄緑色だが、青銅色・橙色になるものがある。雌雄同株。雄花は緑色の五弁花で、枝先の総状花序の上部につき、雌花はその下部にあって花弁はない。果実は倒卵形で高さ約三センチメートルである(ここは小学館「日本国語大辞典」に拠った)。「株式会社ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱」の「ハズ(巴豆)」によれば、本邦では、「御預ケ御薬草木書付控」に享保六(一七二一年)に『巴豆が貝母・沙参などとともに長崎から小石川薬園に移されたという記録があり』『江戸時代中期にはすでに国内に導入されてい』たとし、また「古方薬品考」には『薩州産あり、薬舗には未だ出ず」という『内容の記載があり』、『巴豆として一般に流通するほどの供給がなかったことがうかがえ』るとする。『現在でも屋久島を北限として分布してい』るものの、『生薬としては利用されていない』模様であるとある。
「砒〔(ひ)〕」砒素(厳密には、その酸化物である三酸化二砒素(As2O3。「三酸化砒素」とも呼ぶ)を主成分とする)は本邦ではまさに殺鼠剤として江戸時代から「石見銀山」や「猫いらず」の名で知られ、毒殺・自殺用の薬物としても使用された。ウィキの「石見銀山ねずみ捕り」等によれば、『石見国笹ヶ谷鉱山で銅などと共に採掘された砒石すなわち硫砒鉄鉱(砒素などを含む)を焼成して作られた』。但し、『実際の「石見銀山」では産出され』ず、その生産地についても異説が多いが、『その知名度の高さにあやか』って、かく呼ばれた。『毒薬として落語・歌舞伎・怪談などにも登場する』。『元禄期には銀山の産出が減る一方で、その後も笹ヶ谷からの殺鼠剤販売が続き』、『名前が一人歩きするようになった』『と考えられている』とある。私などは黒澤明の「赤ひげ」(東宝・昭和四〇(一九六五)年公開)の長坊(長次)の挿話が強烈に結びついている。
「玉樞星(ぎよくすうせい)」東洋文庫訳注に、「本草綱目」の「鼠」の項の「集解」で、時珍が「春秋緯運斗樞」『という緯書を引いて述べている言葉である。緯書は経書に仮託して禍福吉凶や予言などを記したものである』が、『現在からみれば』、『奇異にうつる記事が多い』とあり、検索を掛けても腑に落ちる解説がない。ここまでとする。
「喞喞(ツエツエツ)」この「喞」(音は正しくは「ショク・ソク」)「鳴く・すだく・虫が集まって鳴く」の意があり、「喞喞」も、そのオノマトペイアとしてよく使われるが、別に実は「かこつ・不平を言って嘆く」の意がある。猜疑心の塊りと言う鼠にしてこれはまた、隠れた意味がありそうな感じがしてくる。
『鼠の壽、三百歳にして、善〔(よ)〕く、人に憑きて、卜〔(うらな)〕ふ。〔かく成れる老妖鼠を〕名づけて「仲」と曰ふ』東洋文庫注に晋の葛洪(二八三年~三四三年)の神仙術書「抱朴子」の「対俗」に「百歲鼠色白、善意ㇾ人而ト、名曰くㇾ仲」とある、とする。数字の合わないのは、誇張癖の中国人には百も三百も同じだと言っておけば事足りよう。
「獠〔(りよう)〕」鼠を食べるからって忌避してはいけない。平凡社「世界大百科事典」によれば、漢の武帝は当初、南越討伐の拠点として、のちには大月氏と連合して匈奴を討つために、中国南西部、現在の貴州省附近の「夜郎(やろう)」を重視し、紀元前一一一年に牀柯(そうか)郡を配置し、その長を王に封じたが、彼らは逆に前漢代を通じて、反乱を繰り返した。彼らは日本の「桃太郎説話」と酷似する「竹生始祖伝説」を持ち、また、彼らの後裔ともされる獠(僚)族は、干闌(かんらん)とよばれる高床式住居に住んだばかりか、銅鼓を製作し、しかもそれを本邦固有の銅鐸のように埋納するなど、日本の民族・文化との緊密な繋がりを思わせる民族であるとある。
「蜜喞〔(みつひつ)〕」南方熊楠の「十二支考 鼠に関する民俗と信念」の最後の部分で、人の鼠食(ねづみしょく)に触れた中に(一九八四年平凡社刊「南方熊楠選集」第二巻を底本とした)、
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支那では漢の蔵洪や晋の王載の妻李氏が城を守り、蘇武が胡地に節を守った時、鼠を食うたという。しかし『尹文子』に、周人、鼠のいまだ腊(乾肉)とされないものを璞というとあるそうだから考えると、『徒然草』に名高い鰹同前、最初食用され、中頃排斥され、その後また食わるるに及んだものか。唐の張鷟(ちょうさく)の『朝野僉載』に、嶺南の獠民、鼠の児、目明かず、全身赤く蠕(うごめ)くものに、蜜を飼い、箸で夾み取って咬むと、喞々(しつしつ)の声をなす、これを蜜喞(みつしつ)といって賞翫する、とあり。『類函』に引いた『雲南志』に、広南の儂人、飲食美味なし、常に鼷鼠の塩漬を食う、とあり。明の李時珍が、嶺南の人は、鼠を食えど、その名を忌んで家鹿と謂う、と言った。して見ると鼠は支那で立派な上饌ではない。
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と出るのを参照に本文を補った。因みに、この南方熊楠の作品には本「鼠類」の漢名が、これまた、ぞろぞろ出る。
「久しき年の〔聾〕者にては、側に臥せしめ耳に入れ〔るに〕、膽一箇を盡して、須-臾(しばら)くして、汁、下の耳より出づ」って! あり得ないでショウ!!!
「俊賴」「夫木」「我が賴む草の根をはむ鼠ぞと思へば月のうらめしきかな」源俊頼(天喜三(一〇五五)年~大治四(一一二九)年)は平安後期の貴族・歌人で、宇多源氏。家集「散木奇歌集」や歌学書「俊頼髄脳」でとみに知られる。ウィキの「源俊頼」によれば、『堀河院歌壇の中心人物として活躍し、多くの歌合に作者・判者として参加すると共に』、「堀河院百首」を『企画・推進した』。天治元(一一二四)年には『白河法皇の命により』、「金葉和歌集」を撰集している。『藤原基俊と共に当時の歌壇の中心的存在で』、『歌風としては、革新的な歌を詠むことで知られた』とある。本歌は「夫木和歌抄」の「巻二十七 雑九」に所収。「日文研」の「和歌データベース」で校合済み。よく判らぬが、これ、或いは「我が」(わか)は「和歌」に掛けてあり、自身が頼むその敷島の言の葉の「草」の道の、その「根」を食(は)む鼠とさらに掛けているのかも知れないな、とは思った。
『帝〔(みかど)〕、遷都(せんと)の時、鼠、先づ、移り至る【「日本紀」に詳かなり。】』「日本書紀」の大化元(六四五)年十二月癸卯(みずのとう)の条。
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冬十二月乙未朔癸卯。天皇遷都難波長柄豐碕。老人等相謂之曰。自春至夏鼠向難波。遷都之兆也。
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因みに、「大化」は皇極天皇四年六月十九日(ユリウス暦六四五年七月十七日)の孝徳天皇即位の時から実施されたもので、これが日本で元号が使われた最初である。但し、これ以外にも、白雉五(六五四)年正月一日の条に、『夜。鼠向倭都而遷』とあり、また同年十二月一日にも『老者。語之曰。鼠向倭都、遷都之兆也』とし、さらに天智天皇五(六六六)年の冬の条にも『京都之鼠向近江移』とあって、なかなかプレ遷都演出のレギュラー出演の感がある。
『「酉陽雜組」に云はく……』中唐の詩人段成式(八〇三年?~八六三年?)の膨大な随筆「酉陽雑組(ゆうようざっそ)」(「酉陽雑俎」とも書く)の「巻十六 広動植之一」の以下。
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人夜臥無故失髻者、鼠妖也。
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「鼠の咬〔(か)み〕たる」れっきとした「鼠咬症(rat-bite fever)」があることを認識されたい。これは異なる二種の原因菌により発症する別の感染症の総称で、ちゃんとした個別の人獣共通感染症の一つなのである。ウィキの「鼠咬症」によれば、「鼠咬熱」とも呼ばれる。『鼠咬症スピロヘータ感染症』及び『モニリホルム連鎖桿菌感染症』の二種の病気『が存在する』。『鼠咬症スピロヘータ感染症の原因菌はSpirillum minus、モニリホルム連鎖桿菌感染症の原因菌はStreptobacillus moniliformis(ストレプトバチルス・モニリホルム)』で、『ヒトはネズミの咬傷により感染する。日本では前者による疾病が多い』。『前者では感染』一~二『週間後に発熱、咬傷部の潰瘍、局所リンパ節の腫脹。後者では感染』十『日以内に発熱、頭痛、多発性関節炎、局所リンパ節の腫脹。両者とも心内膜炎、肺炎、肝炎などを発症することもある。両者とも一般にネズミに対しては無症状』である。
「菎蒻〔(こんにやく)〕」単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科コンニャク属コンニャク Amorphophallus konjac。忌避関係は不詳。ただ、生のコンニャクイモの根茎はえぐみが強く鼠でさえ食わないというのはよく言われることではある。しかし、試みに調べてみると、ちゃんと保存していた種芋のコンニャクが齧られたという食害被害を訴えている方がいた。
「鼠の屎・尿〔(ゆばり)〕」種によって差があるが、概ね、ネズミの尿は強烈な刺激臭を持ち、病原菌も多く含まれている。
「野鼠」山林・農耕地・雑林等に棲息するネズミ類の総称通称。本邦ではアカネズミ(ネズミ科アカネズミ属アカネズミ Apodemus speciosus)・ヒメネズミ(ネズミ科アカネズミ属
ヒメネズミ Apodemus argenteus)・カヤネズミ(ネズミ科カヤネズミ属カヤネズミ Micromys minutus)・エゾヤチネズミ(キヌゲネズミ科ミズハタネズミ亜科ヤチネズミ属タイリクヤチネズミ亜種エゾヤチネズミMyodes rufocanus bedfordiae)・ヤチネズミ(谷地鼠:キヌゲネズミ科ハタネズミ亜科ヤチネズミ族ビロードネズミ属ヤチネズミ Eothenomys andersoni:日本固有種)・ハタネズミ(ネズミ上科キヌゲネズミ科ハタネズミ亜科ハタネズミ属ハタネズミMicrotus montebelli:日本固有種)・スミスネズミ(ネズミ科ビロードネズミ属スミスネズミ Eothenomys smithii:日本固有種)など、多くの種が含まれる。
「家鼠」現代に於いて、人家やその周辺に棲息するネズミ類の一般通称総称であるが、本邦ではドブネズミ(ネズミ科クマネズミ属ドブネズミ Rattus norvegicus)・クマネズミ(ネズミ科クマネズミ属クマネズミ Rattus rattus)・ハツカネズミ(ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミ Mus musculus)の三種類にほぼ限られる。但し、クマネズミは江戸時代には「田鼠(たねずみ)」と呼んでいたから、ここに限っては括弧書きとすべきかもしれない。特に、後の芸をするネズミというのは、どうも私にはハツカネズミか或いはその近縁種のように思えてならないからである。なお、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 5 哺乳類」(一九八八年平凡社刊)の「ネズミ」によれば、本邦では江戸の宝暦期(一七五一年~一七六四年)頃から『ハツカネズミ系の変種コマネズミの飼育が京都・大阪を中心に流行した』が、この『コマネズミは中国産のナンキンネズミ』(ハツカネズミの飼養白変種)『をもとに日本で作られたもの』で、『ちなみにナンキンネズミの初渡来は承応』三(一六五四)年『のことという』。『これは内耳に遺伝的な奇形があ』るため、『体を独楽(こま)のように回転させる』習性があった『ためにその名がつ』けられ、天明七(一七八七)年頃には、『このネズミの交配の方法や』、『ハツカネズミの突然変異種がどのような系統的交配によって生ずるかを記した小冊子』「珍翫鼠育草(ちんがんそだてぐさ)」『(元本では鼠の字は読まれていない)が刊行されて』おり、『この本はハツカネズミの遺伝の形式にまでふれている点で』、『時代に大きく先駆けた書物であった』。『ちなみに同書によれば』、『毛色のようネズミをつくるためには』、『芸のへたなものを選んだほうがよいと』ある、とある。これはまさにその頃、ネズミに芸をさせることを庶民が好んだことを示していると言える。
「五雜組」「五雜俎」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で遼東の女真が、後日、明の災いになるであろうという見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。以下は同書の「人部二」の以下。
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長安丐者、有犬戲猴戲、近有鼠戲。鼠至頑、非可教者、不知何以習之至是。
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「月令〔(がつりやう)〕」「礼記」の「月令」(がつりょう)篇(月毎の自然現象・古式行事・儀式及び種々の農事指針などを記したもの。そうした記載の一般名詞としても用いる)。以下はこれ。
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桐始華、田鼠化爲鴽、虹始見、萍始生。
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この「鴽」には東洋文庫訳では割注で、『家鳩もしくはふなしうずら』とする。ところが、既に電子化注した「和漢三才圖會第四十二 原禽類 鶉(うづら)(ウズラ)」には「鴽」に良安は「かやくき」というルビを振っているのである(但し、そこでも東洋文庫版は『ふなしうずら』と訳ルビしてある)。現行ではフナシウズラは「鶕」で、鳥綱チドリ目ミフウズラ(三斑鶉)科ミフウズラ属ミフウズラ Turnix suscitator の旧名であり、「ウズラ」とはつくものの、真正のキジ目キジ科ウズラ属ウズラ Coturnix japonica とは全く縁遠い種である。中国南部から台湾・東南アジア・インドに分布し、本邦には南西諸島に留鳥として分布するのみである。されば、そこで良安が「かやくき」と和名表記したそれは、種としての「フナシウズラ」ではないと私は考えた。「かやくき」は、調べてみると、「鷃」の漢字を当ててあり、これはウズラとは無関係な(この漢字を「うずら」と読ませているケースはあるが)、スズメ目スズメ亜目イワヒバリ科カヤクグリ属カヤクグリ Prunella rubida の異名であることが、小学館「日本国語大辞典」で判明した。しかも上記の「鶉」の次の項が「和漢三才図会」の「鷃(かやくき)」なのであった(但し、そこには『鷃者鶉之屬』(「本草綱目」引用)とはある)。この日中の同定比定生物の齟齬のループから抜け出るのはなかなかに至難の技ではある。軽々に比定は出来ない。]