安乘の稚兒 清白(伊良子清白) (初出形)
安乘(あのり)の稚兒(ちご)
志摩(しま)の果(はて)安乘(あのり)の小村(こむら)
早手風(はやてかぜ)岩(いは)をどよもし
柳道(やなぎみち)木々(きゞ)を根(ね)こじて
虛空(みそら)飛(と)ぶ斷(ちぎ)れの細葉(ほそば)
水底(みなぞこ)の泥(ひぢ)を逆上(さかあ)げ
かきにごす海(うみ)の病(いたづき)
そゝり立(た)つ波(なみ)の大鋸(おほのこ)
過(よ)げとこそ船(ふね)のまつらめ
とある家(や)に飯(いひ)蒸かへり
男(を)もあらず女(め)も出(い)で行(ゆ)きて
稚子(ちご)ひとり小籠(こかご)に座(すわ)り
ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり
荒壁(あらかべ)の小家一村(こいへひとむら)
反響(こだま)する心(こゝろ)と心(こゝろ)
稚子(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり
いみじくも貴(たふと)き景色(けしき)
今(いま)もなほ胸(むね)にぞ跳(をど)る
少(わか)くして人(ひと)と行(ゆ)きたる
志摩(しま)のはて安乘(あのり)の小村(こむら)
[やぶちゃん注:私が「漂泊」とともに最も偏愛する一篇。初出は明治三八(一九〇五)年九月発行『文庫』であるが、初出では総標題「夕蘭集」のもとに、先の「淡路にて」と「戲れに」及び「花柑子」(孰れも「孔雀船」再録)に続いて前の「かくれ沼」(「孔雀船」所収の際に「五月野」と改題)及び本「安乘の稚兒」(「孔雀船」再録)の五篇を掲げてある。署名は「清白」。校異により初出形を再現した。
安乗は作品内時制当時は、答志郡安乗村、現在の三重県志摩市阿児町安乗(グーグル・マップ・データ)。但し、ウィキの「阿児町安乗」では本詩篇について、『安乗の子どもを詠んでいるが、清白は安乗を訪れることなく』、『この詩を詠んでいる』と記している。伊良子清白が一度も安乗を訪問したことがなかったと言っている一次史料が存在するのであろうか? 清白は明治二三(一八九〇)年四月に三重県立尋常中学校に入学している。それ以前からその後も医師であった父政治(まさはる)は三重県内で単身で複数回、転居開業をしてもいる。従って、本人が「最後に行って見たように詠んでいるが、私は実は安乗には行っていない」と言っている事実が示されない以上、これは俄かには信じられない。その確かなソースがあることを御存じの方は是非、御教授あられたい。同ウィキの注では、根拠を「角川日本地名大辞典」編纂委員会編(一九八三年刊)の八十八ページとする。]

