老年 伊良子清白
老 年
景色がよいので
生業(なりはひ)が出來ぬ
來る波は一つ一つ誘惑し
鷗は女の顏の白さで會釋する
景色がよいので
生業が出來ぬ
海を見れば恍惚(うつとり)する
ぼんやりしてゐる間に
他人(ひと)はどんどん追ひ越してしまふ
景色がよいので
生業が出來ぬ
日のほこり月のあくた
景色がつもつて
雅致(がち)ある老人に成つた
[やぶちゃん注:「船は進む」の私の冒頭注を必ず参照されたい。本篇を以って昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」の大パート「南風の海」は終わっている。「生業(なりはひ)が出來ぬ」というのはその「雅致(がち)ある老人に成つた」人物であるが、漁師か? 因みに、新潮社のそれが刊行された当時でも伊良子清白は五十二歳であり、「老人」と自己表現する年とは私には思われないし、ここで清白自身を主人公に設定してしまうと、医業の「生業が出來ぬ」の意味の採り方が何とも難しくなってしまう。但し、その老人の生きざまに自身の理想像を投影してはいると私は読む。]
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