三人の少女 伊良子清白 (附・初出形)
三人の少女
末のをとめを譬ふれば
雪の中なるうめの花
操(みさを)に生くるをんなごの
氣高(けだか)き形具へたり
中のをとめをながむれば
夏の野に咲く白百合の
髮も面(おもて)も淸らにて
つゆのけがれもなかりけり
姉のをとめの風情こそ
霧のまぎれの女郞花(をみなへし)
風にもたへぬすがたにて
いとどか弱く見えにけり
三人のみなる湯の槽(ふね)に
春はおぼろの宵にして
油乏しきともし火は
けぶりの如くてらしけり
あけもみどりもぬぎすてて
生(なし)のままなる天(あめ)の子等
出湯(いでゆ)の波の泡沫(うたかた)に
今も生(あ)れしと疑はる
神代ながらに湧き出づる
靈(くし)ふる泉音澄みて
三つの花瓣(はなびら)花の子が
膚(はだへ)は消ゆと見ゆるかな
窻のひまより腕(ただむき)と
圍(まろ)き肩とをてらしけり
もとより弱き影なれば
月のさすとは知らざらむ
うつくしきものらこころせよ
獵矢(さつや)手挾(たばさ)み愛の子が
高きに翔(か)けり兵(ひやう)と射ば
こよひの程もやすからじ
三人のうちの誰が子をか
幸(さち)とさだめて射向はん
月の村雲見えがくれ
クピドは空にうかぶなり
長き黑髮すゑ濡(ひ)ぢて
神は解くともをとめ子よ
しづく白珠(しらたま)波越えて
をさなきものに箭(や)は立たじ
[やぶちゃん注:明治三五(一九〇二)年七月発行の『文庫』初出であるが、初出形からは後半が大きく改変されてある。後で初出形を示す。なお、初出は総標題「葉分けの月」で次の「葡萄の房」と「卜」(「うらなひ」か「ぼく」かは不明)で、後者の「卜」を改題改作したものである。
「生(なし)のままなる」「生(な)す」を名詞化し、「生まれたままの裸形となって」の意。
「クピド」Cupid。ローマ神話のキューピッド。
初出は以下。
*
三人の少女
末のをとめをたとふれば
雪の中なる梅の花
操(みさを)に生くるをんなごの
氣高(けだか)き形備へたり
中の少女をたとふれば
夏の野に咲く百合の花
髮も面(おもて)も淸らにて
珠を展べたるごとくなり
姉のをとめの風情こそ
霧のまぎれの女郞花(をみなへし)
つゆにも堪へぬ姿にて
いとゞかよわく見えにけり
三人のみなる湯の槽(ふね)に
春はおぼろの宵にして
油乏(ともし)きともし火は
をとめの面を照らしけり
あけも綠もぬぎすてゝ
生(なし)のままなる天(あめ)の子等
愛を波うつ湯のおもに
生(あ)れしもいでしとうたがはる
昔は鳩の箭の傷を
癒したりてふ野の泉
三つの蕾の花のこが
今は肌を洗ふかな
かたみに小さき手の掌を
ゆゑゆゑしくも集め見て
何に卜ふ行末の
幸は誰が子に宿るらむ
氣高きものとかよわきと
淸らのものとおのがじゝ
稟けし姿はかはれども
誰か幸無きものあらむ
美しき子ようらなひの
まだ見ぬ夢を追ふなかれ
湯のもにうかぶ浮像の
かりの戲れをなにかせむ
窓のひまより腕(たゞむき)と
圓き肩とをてらしたり
もとより弱きかげなれば
月のさすとも知らざらむ
長き黑髮すゑひぢて
母は解くともをとめ子よ
をさなすがたのなんたちに
湯の香のいかでそまり得む
*
初出形の「稟けし」は「うけし」と読む。「浮像」は「うたかた」(泡沫)と訓じていよう。「なんたち」は「汝達」の短縮訓。明治期の作品ではしばしば見られる。]
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