太平百物語卷一 八 調介姿繪の女と契りし事
○八 調介(てうすけ)姿繪(すがたゑ)の女と契りし事
出雲に調介といふ大百姓あり。
或日、朋友の許(もと)に罷(まか)りて、世上の物がたりをし居けるが、床のかけ物をみれば、いと美しき女の姿繪なり。調介、傍(そば)ちかく寄(より)て見るに、其うるはしさ、生(いけ)るが如くなりければ、やゝみとれ居たり。
亭[やぶちゃん注:ママ。](あるじ)のいふ、
「いかに、調介殿。世には名畫もある物かな。われ、近比(ちかごろ)、都に登りしに、或人、所持したりしを所望し、求め來りし。」
と語る。
調介がいふ、
「誠に。かゝる美女、若(もし)、人間にあらば、われ、財寶を擲(なげう)つとも、おしからじ。」
といひければ、亭主(あるじ)、此よしを聞、調介が傍ちかく寄(より)て、いふ樣、
「実(まこと)、さ樣に覺し召(めさ)ば、我、常に聞きおける祕術あり、試(こゝろみ)になして見給ふべきや。」
といふ。
調介、笑つて、
「いかなる事にや。」
とゝへば、
「されば。此繪を、人間になすの奇術なり。」
といふを、調介、きゝて、
「御身はわれをあざむき玉ふや。これ、おそらくは戲言(たはごと)ならん。」
と、曾(かつ)て信ぜず。
亭主(あるじ)のいはく、
「われも、未だ、其眞僞をしらずといへども、此術傳へし事は眞実なり。然ども、御身のごとく、疑(うたがひ)の心つよくして、其行(おこなひ)、努(ゆめ)々、行はれず。貴殿、ふかく此繪に執著(しうぢやく)するゆへ[やぶちゃん注:ママ。]申たる也。强(あなが)ちに勸め申には、あらず。」
といふに、調介、亭主を拜して、
「これ、わが過(あやまち)なり。願はくは、其術を授け玉へ。」
と、おもひ入て、こひければ、
「然る上は傳ふべし。わがいふ所を、よく、つとめたまへ。まづ、此繪を御身に與ふるなれば、私宅(したく)に歸りて、密室に閉籠(とぢこも)り、此繪にむかつて、『眞(しん)々』と呼(よび)玉ふ事、每昼夜、百日し玉へ。此事、一日も怠り給ふべからず。扨、百日滿(まん)ずる時に、此繪、かならず、應(おふ/こたへ)ぜん。其時、八年の古酒(こしゆ)をもつて、其顏に灌(そゝ)ぎ給へ。掛繪(かけゑ)をはなれて、人間とならん。穴(あな)かしこ、此行ひ、人に見せ給ふべからず。」
と敎へければ、調介、斜(なのめ)ならず、よろこび、
「是、わが一生の本望(ほんもう)、君が高思(かうおん)、重(かさね)て報ぜん。」
とて、頓(やが)て、わが家(や)に歸り、おしへのごとく、百日、丁寧に勤しかば、ふしぎや、此繪、調介に、言葉をかはす。
時に、八年の古酒をもつて、面(おもて)に灌ぎしかば、忽ち、掛繪をはなれて、飛(とび)出たり。
調介、試(こゝろみ)に、先(まづ)、飮食(いんしよく/のみくひ)をさせけるに、常の人に変る事なく、よく、物いひ、打ゑみければ、調介、かぎりなくよろこび、此女と、ふかく契り、年(とし)月をかさねければ、終(つひ)に一子(いつし)を儲(まふ)けたり。
調介、いよいよ、いとおしみ、彼(かの)傳へし朋友の許(もと)に數の寶をおくりて、恩を謝しけるが、其後、石見(いはみ)より、調介が從弟(いとこ)進兵衞といふもの、訪(とぶら)ひ來りて、山海隔(さんかいへだ)てし疎遠を語り、互ひの無事をよろこびけるが、調介が妻子をみて、其みめ能[やぶちゃん注:「よく」。]、淸らかなるを誉めて、
「何方(いづかた)より迎へ玉ひし。今迄、しらせ玉はぬこそ、遺恨なれ。」
といふに、調介、小聲になりて、「しかじか」のよしを委(くは)しく語りければ、進兵衞、始終をきゝ、大きにおどろき、
「是、天理に違(たが)へり。おそらくは妖術ならん。われ、幸(さいはひ)に希有(けう)の名劍を帶(たい)せり。しばらく、御身にかし與へん。必ず、此妖婦を殺し玉へ。害(がい)し玉はずは、後、大きなる災(わざはひ)あらん。くれぐれ、まどひて、執着(しうぢやく)したまふな。」
と、にがにが敷[やぶちゃん注:「しく」。]いひしに、調介も『此事、如何(いかゞ)』と、未(いまだ)決せざりしが、まづ、進兵衞が心ざし、背(そむき)がたくして、彼(かの)名劍を預り置ぬ。
其後、此妻、調介にむかひて申けるは、
「われは、是、南方(なんぼう)に住む地仙(ちせん)なり。たまたま、御身に招かれ、此年(とし)月、契りまいらせしに[やぶちゃん注:ママ。]、はからずも、進兵衞の言葉によりて、御身にうたがはれ參らせぬ。然る上は、われ、此所に留(とゞま)る事、あたはず。」
とて、彼(かの)一子を抱(いだき)て、はじめ、調介が灌ぎたる古酒を、悉く、吐(はき)いだし、空中に去(さり)ければ、調介、かぎりなくおしみかなしめども、甲斐なかりけり。
餘りの戀しさに、彼(かの)掛物の巢(す)を取出し、見けるに、ふしぎや、此女、彼(かの)一子を抱きて、歷然たり。
調介、おどろき、よくよくみれば、母子(ぼし)ともに繪なり。
餘りふしぎの事におもひて、或博識の僧に、さんげして、事の樣(やう)を尋(たづね)ければ、此僧のいはく、
「かゝる例(ためし)、唐土(もろこし)の書にも似たる事あれば、わが朝にも有るまじき事にあらず。」
と宣ひけるとかや。
不思議なりし事にこそ。
[やぶちゃん注:「掛物の巢(す)を取出し」の「巢」が判らぬ。何らかの漢字の誤記を考えたが、諸本、孰れも「巢」「巣」である。或いは、「その女性がもともと居たところ」の意でかく用いているのかも知れない。
既に同工異曲でハッピー・エンドの「御伽百物語卷之四 繪の婦人に契る」を電子化注しているが、その最後で示した、元末の一三六六年に書かれた陶宗儀の随筆「輟耕録」巻十一にある幻想譚「鬼室」の後半部が本話の種本である。そこでは、白文でしか示さなかったので、ここで訓読を試みておく(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」にある承応元(一六五二)年版「輟耕録」に附された訓点を参考にしたが、従っていない部分もある。注は総てオリジナル。私は専門家ではないから、くれぐれも御自身で原文に当たられんことを)。太字部分がそれである。
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溫州は監郡の某の一女、笄(かんざし)せる及ぶも、未だ室を岀でず。貌、美しくして、性も慧なり。父母の鍾愛する所の者なり。疾ひを以つて卒す。畫工に命じて其の像を寫す。歲序(さいじよ)[やぶちゃん注:毎年の命日の意であろう。]には張り設けて哭奠(こくでん)[やぶちゃん注:朝夕の弔いであろう。]。常の時には、則ち、之れを庋置(きど)す[やぶちゃん注:棚に仕舞い置くことか。]。任、滿ちて、偶(たまたま)取り去ることを忘る。新しき監郡、復た是の屋に居す。其の子、未だ婚せず。忽ち、此れを得て、心竊(ひそ)かに念じて曰はく、
「妻を娶ること、能く是(か)くのごとくんば、平生(へいぜい)の願ひ事、足らん。」
と。因つて以つて臥室に懸け、一夕、其れ軸中より下り榻(ねだい)に詣でて、前に敍すこと、殷勤なるを見て、遂に與(とも)に好合す。此れより、夜をして來らざる無し。半載(はんとし)を踰(へ)て、形狀、羸弱(るいじやく)す[やぶちゃん注:衰え弱ってしまった。]。父母、詰めて責む。實を以つて告ぐ。且つ云はく、
「必ず、深夜に至れば去ることは、五鼓[やぶちゃん注:午前三時又は四時から二時間を指す。]を以つてす。或いは、佳果を齎(もたら)して我に啖(く)はしむ。我、荅(こた)ふるに餠を與ふ。餌を、則ち、堅く郤(あふ)ぎて[やぶちゃん注:「仰ぎて」で読んだ。]、食はず」
と。父母、其れをして此(ここ)に番せしむ[やぶちゃん注:彼女が餅を食おうとしないことを「番」=大事な意味のある「節目」と捉えた、の意か。]。
「須らく、力(ちから)して、之れを勸むべし。」
と。既にして、女、辭すること得ずして、咽(の)むことを爲す。少-許(しばらく)して、天、漸(やうや)く明く。竟に去らず。宛然として人たるのみ。特に言語すること能はざるのみ。遂に眞(まこと)に夫婦と爲る。而して病ひも亦、恙無し。
此の事、余、童子の時、之れを聞き、甚だ熟す[やぶちゃん注:深く思いに耽ったものだ。]。『惜しいかな、兩(ふたり)の監郡の名を記す能はざることを』と。近ごろ、杜荀鶴が「松窓雜記」を讀むに、云はく、
『唐の進士趙顏、畫工の處に於いて一つの軟障(ぜんじやう)[やぶちゃん注:装飾を兼ねた障屏用の幕で、柱の間・御簾の内側に掛け、彩色や絵を施した。]の圖を得。一婦人、甚だ麗顏なり。畫工に謂ひて曰はく、
「世に、其れ、無き人なり。如(も)し、生ぜしむべくんば、余、願はくは、納めて妻と爲さん。」
と。工、曰はく、
「余が神畫なり。此れ亦、名、有り。『眞眞』と曰ふ。其の名を呼ぶこと、百日晝夜、歇(た)えざれば、卽ち必ず、之れに應ず。應ざば、則ち、百家の綵灰酒(さいくわいしゆ)[やぶちゃん注:中文サイトを見るに、ここを代表的出典とする伝説の名酒とする。]を以つて之れに灌げば、必ず、活す。」
と。顏、其の言のごとくす。乃(すなは)ち、應じて曰はく、
「諾。」
と。急ぎ、百家の綵灰酒を以つて、之れに灌ぐ。遂に活して下(くだ)り步みて、言ひて笑ひ、飮食すること、常のごとし。終歲[やぶちゃん注:その年の末。]、一兒を生む。兒の年、兩歲たり[やぶちゃん注:一年で普通の子の二年分成長したことを指す。]。友人、曰はく、
「此れ、妖なり。必ず、君の與(ため)に患ひを爲さん。余に、神劒、有り。之れを斬るべし。」
と。其の夕べ、顏に劒を遺す。劒、纔(わづ)かに室が顏に及ぶ[やぶちゃん注:妻の目にとまった。]。眞眞、乃ち、曰く、
「妾(わらは)は南嶽の地仙(ちせん)なり。無何(むか)にして[やぶちゃん注:ちょっと。]人の爲めに妾の形を畫がかる。君、又、妾の名を呼ぶ。既にして君が願ひを奪はず[やぶちゃん注:叶えてやった。]。今、妾を疑ふ。妾、住むべからず。」
と言ひ訖(おは)りて、其の子を攜(たづさ)へて、却(しりぞ)きて軟障(ぜんじやう)に上(のぼ)る。其の障を覩(み)るに、惟だ一孩子を添ふのみ。皆、是れ、畫たり』と。
讀み竟(おは)りて、轉じて、舊聞を懷ふ。巳に三十餘年、若(も)し、杜公が書く所、虛(うそ)ならざれば、則ち、監郡が子の異遇も、之れ有らん。
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