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2019/04/11

淺間の煙 清白(伊良子清白) (附・初出形)

 

淺間の煙

 

 

    その一

 

おく霜早き信濃路の

關より西は紅葉(もみぢ)して

秋か御空(みそら)の鮮かに

けぶり色濃き淺間山

 

低くつらなる唐松の

梢に暮の日はさして

斜におとす雁金の

翅(つばさ)に白き野路の風

 

木賊(とくさ)刈る子が行きなづむ

蓼科(たでしな)山は靑くして

佐久の平(たひら)に伏(こや)したる

八十(やそ)の里わは霞みたり

 

   その二

 

から松がくり行く駒の

いななく聲も秋にして

岩船山の頂に

一つらかかる雁(かり)の文字

 

佐久の手兒奈(てこな)が面影は

笠に深みて見えねども

をとめさびすと花染の

帶は可憐(あはれ)に結びたり

 

牧にすさびの草の笛

手綱曳く子が戀となる

空はさやけき秋の風

淺間のけぶりまた高し

 

   その三

 

眞柴(ましば)樵(こ)り積み山の名の

雲の光もうすひ嶺(ね)の

紅葉折る日となりぬれば

秋のみぞれぞ降り止まぬ

 

醜(しこ)の國土(くぬち)の早蕨(さわらび)の

萠ゆるは達し佐久の子等

八十(やそ)の日おちず淺間野の

石の細徑(こみち)になくらんか

 

   その四

 

そのうた古き追分の

ふしは淸(さや)けき露の玉

朝野通へば晴となり

夕野かへれば雨となる

 

東上野西信濃

空は一つや淺間山

東に下(くだ)れば風となり

西にのぼれば雲となる

 

[やぶちゃん注:初出は明治三六(一九〇三)年一月一日発行の『文庫』であるが、初出では署名「清白」で、総標題「山岳雜詩」のもとに、「陰の卷」(「孔雀船」で「鬼の語」と改題して収録)と前の「山頂」及び本篇の原型「淺間の烟」(新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」に再録するに際して「淺間の煙」と表記を変えた)の全三篇を収録する。初出は以下。後半が改変され(上記の「その二」以下)、多量のカット部分がある。

   *

 

淺間の烟(七首)

 

置く霜早き信濃路の

關より西は紅葉(もみぢ)して

秋か、御空の鮮かに

煙いろ濃き淺間山

 

低く連なる唐松の

梢に暮の日はさして

斜におつる雁金の

翅をこゆる野路の風

 

木賊(とくさ)刈る子が行き難(なづ)む

蓼科(たでしな)山は靑くして

佐久の平(たひら)に伏(こや)したる

八十(やそ)の里わは霞みたり

  ○

月の世遠き譚

雲の杵搗く碓氷ねの

紅葉折る目となりぬれば

秋のみぞれの降りやまぬ

 

醜(しこ)の園土(くぬち)の早わらびを

春はもたらす佐久の子等

八十の日落ちず淺間野の

石の徑(こみち)になくらんか

  ○

落葉(から)松がくり行く駒の

嘶く聲も秋にして

岩船山の頂に

一つらかゝる雁の文字

 

佐久の手兒奈(てこな)が面影は

笠に深みて見えねども

乙女さびすと花染の

帶は可憐(あはれ)に結びたり

 

牧にすさびの草の笛

手綱曳く子が戀と成る

空は淸(さや)けき秋の風

淺間のけぶりまた高し

  ○

其歌古き追分の

節は淸(さや)けき露の玉

朝野通へば雲と成り

夕野通へば雨と成る

 

淺間のけぶり立たぬ日を

卯花かげに來ては啼く

惡しき聲のほとゝぎす

山の御魂にあらざるか

  ○

富士の女神と神集ひ

火雨ふらして醜國を

八百日八百夜と淨めけん

若き姿の淺間山

 

佐久の廣野に眠りたる

千曲乙女の面影は

猛き炎を夢みつゝ

今も淸(さ)やかに流れたり

  ○

雉子鳴き立つ原中に

淺間の煙仰ぐ時

草刈る童瞳には

天つ焰や宿るらん

 

秀才(ずさい)は草にあらはれて

眞玉ゆらゝに玉ゆらに

いみじき歌を殘すらん

朝、童は小草刈る

  ○

待路誰の子の眞白玉

野べに山べにおきわたす

けぶり朝にたちぬとも

さもあれ秋は露の秋

 

隱れてきゆる逃水に

思ひは遠し旅の空

けぶり夕に立ちぬとも

さもあれ秋は露の秋

 

   *

初出の「秀才(すさい)」の「す」は「しう」の実際の拗音に発音したと思われる音を直音の仮名で表記する直音(ちょくおん)表記と呼ばれる現象で、実発音の「者(しゃ)」「主(しゅ)」を「さ」「す」と書く類い。中古・中世に多く見られる。古典でお馴染みの「従者(ずさ)」、「貫主(かんす)」と表記している、あれである。]

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