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2019/04/10

言靈 清白(伊良子清白) (附 初出形)

 

言 靈

 

水草(みくさ)を追ひて牧人(まきびと)の

うつり住みたるいにしへの

遠きその世に言靈(ことだま)は

幸(さき)はふ國をえらびたり

 

北にむかへば海荒れて

天(そら)もくもれり松柏の

黑き梢の蔽ふところ

ここの言葉はにごりたり

 

南に行けば鰐鮫の

棲み古る流れ深林(ふかばやし)

物みな燃ゆる熱帶の

ここの言葉は訛りたり

 

牧場みどりのグリースと

桂にほへるローマンと

かがやき昇る日の本と

ここに言葉は榮えたり

 

花おのづから咲きいでて

鳥おのづから啼き交はし

日は照らせどもあたたかき

ここに言葉はさかえたり

 

冠(かぶり)に百合花(ゆり)を插す如く

樂と詩(うた)とは國民(くにたみ)が

國を頌(ほ)めたることばにて

よろこび四方に溢れたり

 

見ればなつかしグリースの

古き匠が家の集

きけば慕はしローマンの

名ある樂師が歌の卷

 

詩(うた)の聖(ひじり)は聲あげて

湖(うみ)のほとりにうまれたり

世を驚かす伶人は

祭のにはにあらはれぬ

 

薔薇(しやうび)の花にこと寄せて

戀を歌ひし世捨て人

地獄の曲におそはれて

胡弓をすてし少年子

 

二つの蛇のまつはへる

鞭を手にするヘルメスが

幼(いと)けなかりし目に觸れて

琴をつくりし龜の甲

 

古きその世の罪と罰

天(あめ)の火盤(ひざら)をぬすみたる

プロメトイスの物語

神の工(たくみ)のオフイツト

 

國は亡びてそのかみの

帝(みかど)の輦(くるま)絕えぬれど

葡萄畠の破垣(やれがき)に

言葉はなほも殘りけり

 

綾にかしこし敷島の

大和島根の神國に

俸へ來たりし神寶(かんだから)

誰れ言靈(ことだま)を仰がざる

 

わが故鄕(ふるさと)は東(ひんがし)の

海に千重(ちへ)敷く波の花

四方の春風ふきよせて

匀ふ言葉となりにけり

 

わが故鄕は黃金なす

足穗(たりほ)のいねのたなつもの

豐年(とよどし)祝ふ國民(くにたみ)の

言葉は今も賑はへり

 

わが故鄕はあし笛の

澄みたるしらべ誰か吹く

浦の船唄白波も

言葉あるこそうれしけれ

 

[やぶちゃん注:初出は明治三五(一九〇二)年十月発行の『文庫』。署名は「清白」。

「グリース」前に「牧場」とするから、「grease」で、生きた家畜たちの柔らかな獣脂の視覚的嗅覚的イメージであろう。

「桂」これは香りのよい木材として万葉の古えから知られるユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum

「ローマン」roman(フランス語)。浪漫。

「伶人」楽師。

「ヘルメス」(ラテン文字転写:Hermēs)ギリシア神話の神々の伝令役の青年神で、商売・盗み・賭博・競技・旅人の守護神とされるほか、雄弁と音楽の神でもあり、竪琴・笛や数・アルファベット・度量衡などを発明し、火の起こし方を発見した知恵者ともされる。プロメーテウスと並んでギリシア神話のトリックスター的存在であり、文化英雄としての面を有するが、霊魂を冥界に導く役割をも持っている。手には翼を有し、柄に二匹の蛇が絡みついている伝令使の杖「ケーリュケイオン」(kērukeion:カドゥケウス:cādūceus、長母音を省略して、杖の意)を持つ。ここで伊良子清白の言う「鞭」はその杖のこと。

「幼(いと)けなかりし目に觸れて」「琴をつくりし龜の甲」前注でも参考にしたウィキの「ヘルメース」によれば、『ヘルメースは早朝に生まれ、昼にゆりかごから抜け出すと、まもなくアポローンの飼っていた雄牛』五十『頭を盗んだ』。『ヘルメースは自身の足跡を偽装し、さらに証拠の品を燃やして雄牛たちを後ろ向きに歩かせ、牛舎から出た形跡をなくしてしまった』。『翌日、牛たちがいないことに気付いたアポローンは不思議な足跡に戸惑うが、占いによりヘルメースが犯人だと知る』。『激怒したアポローンはヘルメースを見つけ、牛を返すように迫るが、ヘルメースは「生まれたばかりの自分にできる訳がない」とうそぶき、ゼウスの前に引き立てられても「嘘のつき方も知らない」と言った』。『それを見たゼウスはヘルメースに泥棒と嘘の才能があることを見抜き、ヘルメースに対してアポローンに牛を返すように勧めた』。『ヘルメースは牛を返すが』、『アポローンは納得いか』なかった。すると、『ヘルメースは生まれた直後(牛を盗んだ帰りとも)に洞穴で捕らえた亀の甲羅に』、『羊の腸を張って作った竪琴を奏でた』。『それが欲しくなったアポローンは牛と竪琴を交換してヘルメースを許し、さらに』、『ヘルメースが葦笛をこしらえると、アポローンは友好の証として自身の持つケーリュケイオンの杖をヘルメースに贈った(牛はヘルメースが全て殺したため、交換したのはケーリュケイオンだけとする説も』あり『殺した牛の腸を竪琴の材料に使ったとも』言われる)、この時、『アポローンとお互いに必要な物を交換したことからヘルメースは商売の神と呼ばれ、生まれた直後に各地を飛び回ったことから旅の神にもなった』とある。

「プロメトイス」ギリシア神話に登場する男神で、タイタンの一柱であるプロメテウス(Promētheús)。ウィキの「プロメーテウス」によれば、『ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた存在として知られる。また人間を創造したとも言われ』、先のヘルメスと『並んで』、『ギリシア神話におけるトリックスター的存在であり、文化英雄としての面を有する』とある。『ゼウスが人間と神を区別しようと考えた際、プロメーテウスはその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。彼は大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮で包み』、『もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しそうに見せた。そしてゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しそうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるように計画していた。ゼウスは騙されて脂身に包まれた骨を選んでしまい、怒って人類から火を取り上げた』。『この時から人間は、肉や内臓のように』、『死ねば』、『すぐに腐ってなくなってしまう運命を持つようになった』。『ゼウスはさらに人類から火を取り上げたが、プロメーテウスは、自然界の猛威や寒さに怯える人類を哀れみ、火があれば、暖をとることもでき、調理も出来ると考え』、鍛冶神『ヘーパイストスの作業場の炉の中にオオウイキョウ』(セリ目セリ科オオウイキョウ属オオウイキョウ Ferula communis)を火口(ほくち)として『入れて点火し』、『それを地上に持って来て人類に「火」を渡した。人類は火を基盤とした文明や技術など多くの恩恵を受けたが、同時にゼウスの予言通り、その火を使って武器を作り』、『戦争を始めるに至った』。『これに怒ったゼウスは、権力の神クラトスと暴力の神ビアーに命じ』、『プロメーテウスをカウカーソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして』、『毎日』、『肝臓を鷲についばまれる責め苦を強いた。プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで拷問が行われていた。その刑期は』三『万年であった』とある。

「オフイツト」「off it」か。「off one's head」の短縮刑の口語・俗語で「酔って・狂って・夢中になって」の意であるから、伊良子清白は「酔狂な振る舞い」の意で用いているか。

「輦(くるま)」本邦では音「レン」で読むのが普通。天皇が乗用する輿(こし)の一つ。行幸の際に方形の屋形を載せた轅(ながえ)を駕輿丁(かよちょう)が担ぐ形のもの。屋根に金銅の鳳凰を置くものを「鳳輦」、宝珠形を置くものを「葱花(そうか)輦」と呼ぶが、前者が天皇の正式の乗用の輿である。

 初出形は以下。かなり原型と異なる

   *

 

言 靈

 

水草(みくさ)を追ひて牧人(まきびと)の

うつり住みたるいにしへの

遠きその世に言靈(ことだま)は

幸(さきは)ふ國をえらびたり

 

北にむかへば海荒れて

天(そら)もくもれり松杉の

黑き梢の蔽ふところ

ここの言葉はにごりたり

 

南に行けば鰐ざめの

棲み古る流れ深林(ふかばやし)

物みな燃ゆる熱國(あつくに)の

ここの言葉は訛りたり

 

牧場みどりのグリースと

桂にほへるローマンと

かがやき昇る日の本と

ここに言葉は榮えたり

 

日は暖かに野を照らし

花は深くも咲きいでて

鳥は長閑に啼き交はし

こゝに言葉は榮えたり

 

冠に百合花(ゆり)をさすごとく

樂と詩(うた)とは國民(くにたみ)が

國を頌(ほ)めたることばにて

よろこび四方に溢れたり

天(てん)に酒星あるところ

地に酒泉湧くところ

うましみくにの言靈は

さきはふ限りさきはひぬ

 

見ればなつかしグリースの

古き匠が家の集

きけば慕はしローマンの

名ある樂師がうたの卷

 

これ靑丹よし奈良すぎて

山城霞む鴨の川

都の錦たれか織る

 

詩(うた)の聖(ひじり)は聲あげて

湖(うみ)のほとりにうまれたり

世を驚かす伶人は

祭のにはにあらはれぬ

 

薔薇(しやうび)の花にこと寄せて

戀を歌ひし世捨て人

地獄の曲におそはれて

胡弓をすてし少年子

 

二つの蛇のまつはへる

鞭を手にするヘルメスが

幼(いと)けなかりし目に觸れて

琴をつくりし龜の甲

 

古きその世の罪と罰

天(あめ)の火盤(ひざら)をぬすみたる

プロメトイスの物語

神の工(たくみ)のヲフイツト

 

國は亡びてそのかみの

帝(みかど)の輦(くるま)絕えぬれど

葡萄畠の破垣(やれがき)に

言葉はなほも殘りけり

 

綾に畏し敷島の

大和島根の神國に

俸へ來たりし神寶(かんだから)

誰れ言靈(ことだま)を仰がざる

 

勅撰の集代々を經て

廿一代花紅葉

秀でし人の名を誦して

文の林を辿りみる

 

木播の里の隱家に

それ蟬丸が四つの絲

命をからむ蔦蘿

芭蕉は岐蘇の句に老いぬ

 

誰れ故鄕を思はざる

誰れ故鄕の言の葉の

舌に甘きを思はざる

あゝ歸らなむ歸らなむ

 

窓をひらけば國原の

樂しき鄕は穗に滿ちて

豐年祝ふ國民の

今言の葉は賑へり

 

   *

初出中の「木播」は京都府宇治市木幡(こばた)か(グーグル・マップ・データ。但し、ここだとすると読みは確定出来ない。「こばた」(住所表示の読み)以外に「こわた」「こはた」の読みが今も併存するからである)。蟬丸がここに隠棲したとする伝承があるのか。ウィキの「蝉丸」によれば、「平家物語」巻十の「海道下り」では、醍醐天皇の第四宮として、山科の四宮河原(現在の京都市山科区を南流する四宮川と東西に走る東海道が交差するあたりに広がっていた河原)に住んだとはある。「岐蘇の句」の「岐蘇」は「木曾」の古表記。芭蕉の「老いぬ」とするその句は、言わずもがな、前行で下の句が示されたそれ、則ち、「更科紀行」に載る、

 桟橋(かけはし)や命をからむ蔦葛(つたかづら)

であることは言うまでもない。同紀行のこのロケーション自体は、芭蕉満四十四歳、貞亨五(一六八八)年八月十一日頃に当たる。]

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