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2019/04/07

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麈(しゆ) (やはり大型のシカ或いはシフゾウがモデル)

Siyu

 

 

 

しゆ

【音主】

 

チユイ

 

三才圖會云麈似鹿而大群鹿隨之皆視麈所往也其尾

辟塵以置倩帛中能令歳久紅色不黦又以拂氈令氈不

△按禪家常攜塵尾【今呼曰拂子】爲高僧衆皆隨行【詳見于佛噐下】

 

 

しゆ

【音、「主」。】

 

チユイ

 

「三才圖會」に云はく、『麈は鹿に似て、大なり。群鹿、之れに隨ふ。皆、麈を視て往く所〔とす〕なり。其の尾、塵を辟〔(さ)〕く。以つて倩帛(あかねぎぬ)の中に置〔けば〕、能く歳久しくして紅色〔を〕黦(うる)まざらしむ。又、以つて氈を拂〔へば〕、氈をして蠧(むしく)はざらしむ』〔と〕。

△按ずるに、禪家、常に塵尾(しゆび)【今、呼びて「拂子〔(ほつす)〕」と曰ふ。】を攜(たづさ)へるを、高僧と爲す。衆、皆、隨ひて行なふ【詳〔かには〕「佛噐」の下を見よ。】。

[やぶちゃん注:これは限定された種を指さず、群れを先導するように見える、哺乳綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科 Cervidae のシカ類の大型固体(多くは♂)を指すと採るしかない。但し、種としては既に出したシカ科シカ亜科シフゾウ属 Elaphurus davidianus を名指しているとしてもよいように思う。シフゾウの尾は四十センチメートルと長く、本種の尾の毛が実際に払子(後述)の材料とされた事実があるからである。しかし、ともかくもこれは、本文にある通り、払子(ほっす:獣の毛などを束ね、これに柄をつけた仏具。サンスクリット語のビヤジャナの漢訳で、単に「払(ほつ)」或いは「払(ほっす)」とも書く。葬儀などの法要の際に導師を務める僧が所持するが、元来はインドで蚊などの虫を追い払うために用いたもので、後に修行者を導く際ににも利用されるようになった。「摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)」などによれば、比丘(僧)が蚊虫に悩まされているのを知った釈尊が、羊毛を撚ったもの・麻を使ったもの・布を裂いたもの・破れ物・木の枝を使ったものなどに柄を附けて、払子とすることを許したという。その材料に高価なものを使用することは、他人に盗みの罪を犯させるとの理由から禁じられた(シフゾウが世紀末に野生状態では絶滅してしまったのは実に皮肉であると私は思う)。中国では禅宗で住持の説法時の威儀具として盛んに用いられ、本邦でも鎌倉時代以後、禅宗で用いられるようになり、浄土真宗以外の各宗で用いられている(ここは小学館「日本大百科全書」に拠った))の用法・威儀から逆に想定された、人文的文物から生まれた、原動物への比喩的な漢字名義と思われる

『「三才圖會」に云はく……』この右側(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。本挿絵にも実は見られる、角と鬚の他、体側に独特の円紋が派手に描かれているが、これも上記の仏教の導師の連想からの過剰な権威的装飾化であろうと思われる。

「麈を視て往く所〔とす〕なり」この麈の行くのを見て、その行くべき道を知って導かれて行く。如何にも人文的シンボルである。

「倩帛(あかねぎぬ)」「倩」は単に「美しい」の意であるが、上記の「三才図会」を見ると「蒨」で、これならば、キク亜綱アカネ目アカネ科アカネ属アカネ Rubia argyi で、根を用いた茜色・緋色の茜染めの原種であるから、当て訓の「茜帛・茜布(あかねぎぬ)」は正しい。

「黦(うる)まざらしむ」「黦」(音「エツ・エチ」)は「色が褪せる」の意。

「氈」音「セン」或いは「かも」と訓じているかも知れない。獣毛で織った敷物のこと。

「蠧(むしく)はざらしむ」毛織物を食害する虫がつかぬようにさせる。]

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