ねたか起きぬか 伊良子清白
ねたか起きぬか
ねたか起きぬか
萱野の貉(むじな)
よいそらよい
沖の夜繩を
鮫がとる
岳(たけ)の朝西風(あさにし)
飛び出せ螇蚸(ばつた)
よいそらよい
濱の鰯(いわし)を
鮪(しび)が逐ふ
[やぶちゃん注:これは本底本のこのパートの親本である昭和四(一九二九)年十一月十五日新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」が刊行される七ヶ月前、改造社から出版された「現代日本文学全集」(昭和四(一九二七)年四月十五日刊)第三十七篇の「現代日本詩・漢詩集」の部の「伊良子清白篇」に初出された特異点の詩篇である(この刊行の五日前には梓書房から詩集「孔雀船」の再刻版が刊行されている)。なお、改造社本の同篇には、他に「孔雀船」から「秋和の里」・「漂泊」・「月光日光」・「不開の間」・「安乘の稚兒」・「鬼の語」・「五月野」・「初陣」の全九篇が載せられてある。無論、初出時も伊良子清白は鳥羽にあったから、その景と考えてよい。初出では標題の「ねたか起きぬか」が「寢たか起きぬか」、詩篇初行が「寢(ね)たか起(お)きぬか」となっている。
「貉(むじな)」貍(たぬき)、則ち、食肉目イヌ科タヌキ属タヌキ亜種ホンドタヌキ Nyctereutes procyonoides viverrinus ととっておく。本邦の民俗社会では古くから、穴熊(本邦固有種である食肉目イヌ型亜目クマ下目イタチ小目イタチ上科イタチ科アナグマ属ニホンアナグマ Meles anakuma)や、白鼻芯(食肉目ネコ型亜目ジャコウネコ科パームシベット亜科ハクビシン属ハクビシン Paguma larvata)を指したり、これらの種を区別することなく、総称する名称として使用することが多いが、アナグマとの混淆はいいとしても、後者ハクビシンは私は本来、本邦には棲息せず、後代(江戸時代或いは明治期)に移入された外来種ではないかと考えているので含めない。さらに言うと、アナグマはしばしばタヌキにそっくりだとされるが、私は面相が全く違うと感ずる。私はアナグマは民俗社会ではタヌキとゝネツして独立的にメジャーな存在であるとは決して思わない人間である。従って私はこの「貉」はタヌキ(アナグマを無意識的に含むとしてもよい)とするのである。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貍」及び同「貉」をどうぞ!
「岳(たけ)」朝熊ヶ岳(あさくまだけ)。朝熊山(あさまやま)。前の「七つ飛島」の伊良子清白の「註」及び私の注を参照。
「螇蚸(ばつた)」節足動物門昆虫綱直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目 Caelifera のバッタ類。
「鰯(いわし)」本邦では、条鰭綱ニシン目ニシン亜目 Clupeoidei の、ニシン科ニシン亜科マイワシ属マイワシ Sardinops melanostictus・ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres 及びカタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonica の三種を「鰯(イワシ)」と呼んでいる。
「鮪(しび)」漢字からマグロ(条鰭綱スズキ目サバ科マグロ族マグロ属 Thunnus)に類する分類学的に真正な、「ホンマグロ」と呼ばれることの多いスズキ目サバ亜目サバ科サバ亜科マグロ族マグロ属クロマグロ Thunnus orientalis を想起する者が多いが、確かにそれも指すものの、本邦で古くより使われている「鮪(しび)」は魚体の似た複数のマグロ属の種を指し、他に、「キハダマグロ」とも呼ばれるマグロ属キハダ Thunnus albacares や、マグロ族マグロ属 Thunnus 亜属ビンナガ Thunnus alalunga を含む。なお、「鮪(しび)」は「古事記」「日本書紀」「万葉集」に既に「鮪」の字が出、「日本書紀」武烈天皇即位前記の部分に、その読み方を「滋寐(しび)」としてある非常に古い語である。]